「 流浪の意味 」 ( 聖書「創世記」12章 )手島 佑郎  

「彼はそこからベテルの東の山に移った。そして天幕を張った。
  西にはベテル、東にはアイがあった。
 そこに彼はエホバのために祭壇を築き、そしてエホバの名を呼んだ。
 アブラムはなお進んでネゲブに移った。」   (聖書「創世記」12章8--9節)

 

 
 最近、日本の若者の間で「エグザイル」という言葉が流行ってい る。
 これを略して「エグ」と呼んだりもする。若者の間で人気があるJ-POP(ジェイポップ)
のグループ、「エグザイル」はその象徴である。
 なぜこのグループが人気なのかというと、一つには、その歌唱力や、ダンスが魅力的
だからである。もう一つは、エ・グ・ザ・イ・ルと発音する音の響きが、これまでの日
本語にない違和感であり、それが彼らには新鮮に聞こえるからだ。
 エグザイルというのは、英語の「exile、流浪、流刑」である。
 メンバーたちがズボンをだらりと穿いて、上着をべろりと羽織るあのパンクスタイル
は、いかにも「流れ者」風で、それがまた若者の目に格好よく映るらしい。
 グループ「エグザイル」は2001年からの登場だが、エグザイルという名前自体の登場
はもっと古い。1988年8月に、NECの若者向けパソコン用のゲームソフトとして日本
テレネットが発売した『エグザイル:破壊の偶像』に遡る。それ以来、徐々にゲームの
世界でエグザイルという言葉が浸透し、2001年には米国のゲームソフト会社がWindows
とMac向けに、「MYST 3 EXIL」というソフトを発売した。これはプレーステーション2
にも移植され、しかも、臨場感溢れるサラウンド方式の音響設計をしていたので、爆発
的人気となった。この人気にあやかって、それまで「Jソール・ブラザーズ」と名乗っ
ていた日本の音楽グループが、「エグザイル」と改名した。

 ちなみに、「J-POP」という言葉も新しい。
 もともと、「日本製ポピュラーミュージック」という意味で、東京のFMラジオ放送局
J-WAVEが、1988年に言い始めた新語である。
 ところで、海外には「J-POPカルチャー」という言葉もある。こちらは、「 Japanese Popular
Culture、日本発大衆文化」という意味である。もっぱら日本のマンガやアニメを通して、
海外の若者の間で浸透している様々な日本型新文化を指す。

だがこちらは、マンガ、アニメ、コンピュータゲーム、カラオケのみならず、J- POP音楽、

日本食、とくにスシ、そして村上春樹や吉本バナナなどの小説、オタク族やメード

スタイルなどの生活様式も含まれる。
 18世紀から19世紀にかけて、日本人の知らないヨーロッパで、ホクサイやヒロシゲの
浮世絵が印象派画家たちに多大な影響をおよぼしたように、今や、現代の日本国民の多
くが気付いていないところで、日本の大衆文化が世界中の若者たちに新しい影響を与え
始めているのだ。

 だが、忘れてはならない。
 ホクサイもヒロシゲも、自分のやりたいことを自分流に表現したのであって、100年後
を意識していたわけでも、異国からの評価を意識していたわけでもない。
 自分のやりたいことを自分流に表現した最高の手本は、聖書の中に登場するアブラハ
ムである。今でこそアブラハムといえば、イスラエル民族の父祖として、またアラブ民
族の父祖として尊敬され、だれでも知っている。だが、当時は本人も周囲の人々も、ま
さか4,000年後の現代にまで記憶される人物になるとは、つゆ想像しなかったのではな
いか。
 聖書の「創世記」によれば、彼は一族とともにカルデアのウル、現在のモスール付近
にあった古代の大都市から、約1,000km離れたメソポタミア平原の最北西部ハラン、現
在シリア国境に近いトルコ東部の町まで移住した。さらに彼は、ハランから南西のカナ
ン方向へ進んだ。これまた約1,000kmの旅路である。現代とちがって正確な地図もない
時代に2,000kmの旅をするには、よほどの目的がなければ、一般には考えられない。

 では、彼に目的があったのかというと、それは定かではない。聖書の記述から判明し
ていることは、神が彼に、「おまえは、おまえの地を出て、……わが示す地へ行け!」だ
けであった。

 私は1974年にロサンゼルスのユダヤ大学で創世記を教えていた時に、この個所をどう
学生に説明すべきか悩んだ。
 そのとき、私に霊感のように閃いたのは、原文を直訳することであった。

「レッフ(歩め)レハ(汝自身で)メアルツェハ(汝の地より、–– –– –– לך לך מארצך
エル(方へ)ハアレツ(地の)アシェル(という)アルエハ(わが汝に見せる)אל הארץ אשר אראך」

そうか、自分自身で歩めばいいのだ。ヘブライ語の「レハ」は、汝の為に、汝自身で、
汝自身に向かって、汝のものとなるために、等と訳すこともできる。そこで、私は授業
の中で学生たち次のように話した。

「諸君は、アブラハムの子孫だ。諸君もアブラハムのように、自身に向かって、自身の
力で歩き出すのだ。まず自分自身のやりたいことを目指して歩き出し、自分を自分のも
のとするのだ。そうしないかぎり、神は、諸君に何も見せない。だから、まず諸君が今
立っている“地”から、場所から、一歩踏み出せ。自分の地から踏み出すこと、これが、
諸君ユダヤ人が民族として荷なっている“流浪”の現実の意味だ。踏み出して初めて、
諸君は、自分自身を発見する。」

 すると学生たちは、こういう説明は初めて聞いたと、皆が拍手喝采してくれた。

 ところで、アブラハムは目指したカナンの地で、何を発見したこのか?
 創世記12章はいう。「彼はそこからベテルの東の山に移った。そして天幕を張った。
西にはベテル、東にはアイがあった」と。
 ベテルという地名は、「神の家」という意味である。東を意味するヘブライ語の「ケデ
ム」には「正面」という意味もある。そしてアイというヘブライ語は、正確には「ハ・
イ、あの廃虚」という意味だ。
 つまり、アブラハムが辿り着いたカナンの中央部は、目の前に荒涼たる廃虚が広がっ
ていたのだ。アイという場所は、考古学発掘調査の結果、紀元前3,000年から2,000年頃
にかけて栄え、アブラハムがカナンに到着したときには、既に「あの廃虚」だったので
ある。
 アブラハムがカナンで目撃したことは、一千年繁栄した都市であっても、何かの戦乱
のはてに、一人として住む者がいない廃虚になってしまう現実、人間の文明や栄華の虚
しさであった。
 廃虚アイを目の前にして、彼がしみじみと悟ったことは、神に背を向けると人間の前
には滅亡しかないということであった。
 つまり、神に背を向けず、自分自身に向かって、しかも神と共に歩むことの大切を、
アブラハムは発見した。
 だから、彼は、「そこでエホバのために祭壇を築き、そしてエホバを称えて、その名を
呼んだ」のであった。
 自分自身を発見するために、人は自分という殻からエグザイルしなければならないの
である。


 [ ちなみに、創世記12章の神からの命令「汝自身をめざして歩め」について
 の解説は、1983年に、拙著『成功へのユダヤ発想の秘密』(実業の日本社刊、
 筆名ヤンケル・フィッシャー)で初めて記した。当時、私はその筆名で雑誌
 『実業の日本』にコラムを連載していた。
 だが、片仮名の名前であったためか、このアブラハムの故事の解説を、当時、
 玉川大教授の前島誠氏が氏の著書『ユダヤ流逆転の発想』ダイヤモンド社1985
 年、で盗用した。後に、同書に拙著からの盗用があることを私が指摘したとこ
 ろ、ダイヤモンド社の編集長は剽窃としか考えられないと認めている。
 当時は、剽窃を指摘すると、指摘した人間のほうが度量が小さいと看做される
 風潮であったために、私は告発見送っていた。 
 しかし、その後も、氏は拙著から幾つも剽窃している。残念なことだ。
 いま、世間を賑わしている理系論文のコピペよりも遥か以前から日本では大学
 の文系の教員の間で,しばしば、このような盗用が横行してきた。残念なことである。 ]

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