ユダヤ思想研究からの発想:ト一ラーの門
「トーラーの門」会報バックナンバーより 〜
手島佑郎: [2011年 てしまゆうろう]
「 ガンバレ・ニッポンよりも 」 ( 聖書「創世記」24章後半 )
手島 佑郎 (C)
しもべの発言:
「主人アブラハムの神エホバよ、どうか今日わたしを顧みて、主人アブラハム
に慈しみを示したまえ」(創世記24章12節、新共同訳聖書)
アブラハムの発言:
「わたしは今までエホバの導きに従って歩んできた。エホバは彼の使者を遣わしてお前に伴わせ、旅の目的を叶えてくださる」(24章40節)
しもべの発言:
「主人アブラハムの神エホバよ、わたしが辿ってきたこの旅の目的をもし本当に叶えてくださるおつもりならば……」(24章42節)
しもべの発言:
「私の旅の目的を叶えたのはエホバなのですから……」(24章56節)
1つの出来事であっても、それを単純に眺める人、仔細に観察するする人、それを初めから偏見で見る人、そして、その出来事に無関心な人、または丸きり気
づかない人など、人さまざまだ。同じ出来事への受け止め方が、人によって大きく異なってくる。
今回の大震災の場合、津波で家族を失った人、津波や地震で家や会社、工場、農地や漁具などを失った人、失ってはいないが相当な損壊・被害を受けた人、職
場を失った人、そして何も失っていないその他大勢の国民一般とでは、人それぞれ震災への反応が異なる。
しかも、津波プラス福島原発の放射能被害の問題がからみ、一層ややこしくなっている。そのために、沖縄の米軍基地移転問題など、どこか遠くへ消えてし
まっている。これで、良いのだろうか。さながら現在の日本は、東日本だけへの「ガンバレ
ニッポン」一色で染まっている。それは、大手マスコミの本社が東京に集中しており、つい身近の問題にばかり目を向けるためでもある。
最近、さすがに「ガンバレ」一色に疲れてきた。そのせいか、何か他の言い方はないか、他の表現はないかと、人々も模索し始めてきた。だが、なかなか代わ
りのことばが見つからない。
先日、ある人が、「ガンバロウは“顔晴ろう”、つまり笑顔になることだ」と新聞で書いていた。そういうコジツケも可能ではあ
る。だが、耳に響いてくるのは、やはりガンバロウであって、カオハレヨウではない。『大言海』によると、「頑張る」とは、「我意を張る」が訛ったものだと
いう。
しかし、我意を張って踏みとどまっても、それで、どうするのか、どうなるのか。到達すべき目標が見えない。これでは、一休みのしようもない。そこにガン
バルことの限界がある。
最近では、ガンバレという代わりに、リラックス!(寛いで!)と英語で励ますほうが良いという意見もある。それも一案である。だが、日本人同士が英語で
「リラックス!」と言うのも如何なものか。他に適切な日本語表現はないのであろうか。
震災後、外国の友人から多くの見舞いと励ましを頂いた。その大半が、「日本の復興と皆様の健康を祈っています」という趣旨のものであった。
「祈っていますよ」、この一言こそが、いま日本に最も必要な合い言葉ではないだろうか。そこには未来への希望と励ましと、善意がこめられている。「復興
を祈っていますよ」、「元気の回復を祈っていますよ」、「奮闘を祈っていますよ」……。「祈っていますよ」でいいのではない
だろうか。
「祈り」といえば、じつはヘブライ語聖書では、ヘブライ語の「ヒットパレル、祈る」という単語は、78回しか使われていない。大半は「アマル、言った」
である。神の前で、神に面して語りかければ、それが、すなわち「祈り」なのである。
冒頭にかかげた創世記24章の4つの発言のうち、最初と三番目の発言は、あきらかにアブラハムのしもべが神にむかって祈った発言である。しかし、原文で
は、「言った」としか記されていない。そのさりげない表現にこそ、祈りの本質が隠されている。
ヘブライ語の「ヒットパレル、祈る」は、神の前で頭を垂れ、さらに全身を大地に投げだし平伏し、身をよじらせて祈ることだ。名詞の「テフィラー、祈り」
は三拝九拝を前提にしている。
だが、そこまでしなくても、神との対話はできる。これが、聖書における神と人間との信仰関係なのだ。たとえ神が見えなくても、神と対面していなくても、
誰かに語るつもりで心の思いを注ぎだし、自分で呟くだけで、それが祈りの始まりなのである。
24章63節の「イサクは夕方暗くなる頃、野原を散策(スーアッフ)していた」という個所を、私ならば、「イサクは夕べの前に野原で思いをつぶやくため
に出かけた」と訳したい。サッフというヘブライ語には、「思う、語る」という意味もある。ブラツラブのラビ・ナフマンは、自分の思いを自分のことばで神の
前にそそぎだすことこそ、神に近づく祈りであると教えていた。
では、祈るという行為の結果どうなるか? それは、次の2つの発言に示唆されている。
「神エホバよ、どうか今日わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示したまえ」
「エホバは彼の使者を遣わしてお前に伴わせ、お前の旅の目的を叶えてくださる」
祈ると、第1に、何かハプニングが起きるのである。「どうか今日わたしを顧みて」という個所の原文は、「どうぞ今日わたしの前に(何かを)起こしたま
え。主人アブラハムのために慈悲を行ないたまえ」である。祈りとは、本来、自分のために祈るのではなく、他人のために執り成すことなのである。
第2に、祈る者には、同行二人というか、目にみえない守護天使が加護する。そして旅の目的が叶えられる。というよりも、「道を完遂させる」のである。直
訳すれば、道を貫くこと(ヒツリアッフ)に至る。だから、42節の前半を私は、「主人アブラハムの神エホバよ、もしあなたが存在し、私が歩んでいる私の道
を完遂させるのであれば……」と訳したい。
お互いに祈り合うようになると、それがニッポンをいやし、ニッポンの元気を回復させ、ひいては、ニッポンの復興を完遂させてくれる道に至るのである。
⟪ Copyright by Teshima 不許複製・禁無断転載 ⟫
創造的歴史の終リの次は 手島 佑郎
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人は逡巡する。あれかこれか選択に思い悩む。
思い悩むばかりで意のままにならない自分を見て、おのれを不憫だとか不幸だとか 思う。
だが見方をかえれば、あれかこれか選択があるということは贅沢な悩み、いや贅沢 その
ものである。選択できるほどまだ可能性が残されている。
可能性があるということは、まだ無形の財産があるということだ。これは感謝しな けれ
ばなるまい。
その無形の財産はいまだ形をなしていない。
形をなしていないものを選択した場合、どういう発展があるのか先が読めない。
先が読めないから、不安で逡巡する。
我々は逡巡にどう対処すればいいのだろうか。
視点をかえて考えてみよう。そもそも、この世の中で、先が全部読めている物事が ある
だろうか。あるとしたら、せいぜい天体の動き、それも恒星や惑星、遊星の運動周 期、
それに潮の干満ぐらいではないか。宇宙が整然とした数学的科学的法則の上に営まれ てい
るから、こういう予測が可能なのである。
しかしながら、いっけん機械的にみえる天体宇宙の営みといっても、科学で説明で きる
のはマクロな流れだけである。いつ宇宙のどこにブラックホールが発生するかという 予測
までは現在の科学ではできない。
ましてや、宇宙の局所で発生するミクロな現象、たとえば隕石の落下や地震発生の 予知
など、ミクロになればなるほど、事前の予測はできない。
科学で説明できるのは、なぜそうなったかを事後的に説明する程度である。科学 は、
どこまでも事実とデータの蓄積の上に成立するものであるから、データがない現象に 関し
ては、無能にならざるをえない。科学は基本的に過去の経験則の延長であって、同じ 法則
で再生可能な事象に対してのみ有効である。
「科学によって宇宙の自然現象はすべて合理的に説明できるし、解明できる」と自 負す
る人がいる。だが、科学はあくまでも科学的範囲内に妥当する事象も対して有効なの しか
ない。でさえも予知予測予見できない領域があることを、我々は認識すべきである。
逡巡という行為は、過去との対決のなかでは生じない。未来と直面する場合にのみ 経験
する行為である。
不安に満ちた未知を選ぶか、安全な現状の延長に留まるべきか。その決断をめぐっ て逡
巡する。
私の歩みをふりかえって見ると、不安であっても自分がほんとうに挑戦したい事で あれ
ば、これに乗り出して失敗したことはなかった。
反面、いかにも魅力的で見返りも大きいようにみえても、あるいはそれ以外に選択 肢が
ないようにみえても、それに関わることの自分の意義が見い出せないプロジェクトは こと
ごとく惨めな結末に至った。
自分の意義というのは、自分の中にある生命の納得である。生命が納得している仕 事は、
どんなに困難であっても、それを克服し勝利することができる。しかし生命が納得し てい
ない事業は、いかに理性で承認していても、結局はダッチロールの末、挫折してしま う。
まるで生命がそれを予測していたかのように、最初に生命が危惧していた事態を迎え てし
まう。
生命が納得していたプロジェクト、私の場合、33年前のイスラエル留学、26年 前の
米国留学、12年前の独立、いずれも無謀の出発であった。
おのれの力量を知っているならば中止すべきことだった。いずれも成算の見込みも 海図
も無いのに出発した。イスラエルでは4年間ストレス性胃潰瘍で下血しながら、それ でも
ヘブライ大学の初の日本人卒業に漕ぎつけた。
米国では、並居る俊秀のラビ学生に伍して、はたして学位を仕上げることができる かど
うか、まるで自信はなかった。それに、生活費にも困窮していた。あの当時、ハーレ ムに
住んでいた日本人は、私と妻と幼い娘だけであった。極貧で余裕のないはずの私なの に、
当時は、一方でユダヤ教の勉強をし、一方でキリスト教の伝道活動も同時にこなして いた。
もちろん、誰かに頼まれて始めたわけではない。全くのボランタリーであった。
さて、帰国後サラリーマン勤めをし、それを辞め、独立してから現在までの20数 年は、
過分な恩寵におおわれて一家を養ってくることができた。
そればかりか、『ユダヤ教入門』『創世記』『Zen Buddhisim and Hasidism』など20点
余の著書を仕事の合間をぬって世に送れた。昨年は、『ユダヤ教の霊性、ハシディズ ムの
心』、ことしはすでに『10人の男が並ぶ女性の秘密』を世に送り出した。
多くの新しい友人にもまみえることができた。
生命が納得していなかったプロジェクトについて語ることは控えよう。それがいか に高
遠な理想を掲げていたにせよ、結局のところ見るべき成果に到達していない。
納得と危惧とが混在していたのは、C社の教育プロジェクトであった。プロジェク トは
破天荒で挑戦的であった。だが一方で、私の心中には、なぜかその会社の存続に一抹 の
不安が横切るのであった。不安を承知で、私の魂はプロジェクトの挑戦に納得した。
さながら信長のウツケに賭ける藤吉郎のつもりで、私は自分の持っている全てをそこ に注
ぎこんだ。教育は当初の期待を超える成果が出た。だが同時に、当初の危惧の通り4 年後
にC社は清算されてしまった。ただしあのプロジェクトに参画できたことは、私に とって
は大きな創造行為への参加であり、そこで体験したことは少しも無駄ではなかった。 いま
も微塵の後悔も残らない完全燃焼であった。
こうふりかえって見ると、逡巡は創造と敗退の両方の可能性が開かれているときに 起き
るように私には思える。
生命が納得して挑戦することは、つねに創造への門が開かれている。生命が納得し てい
る時は、どんな困難な課題でも易々と自分で決断できる。
だが生命が納得していない時は、判断の正当性を主張するに足りるだけの膨大な理 由付
けや証拠を必要とする。それでいて、結局のところ創造的行為にはつながらない。せ いぜ
い過去の延長の拡大である。
例えば、聖書の「列王紀」上1〜2章に記されているダビデ王からソロモンへの王 位
継承の事件は、生命の納得を欠く。
なぜダビデ王は自分で後継者指名ができなかったのか。
テキストを丹念に読むと、第4王子アドニヤが次期王位を狙っていたことは事実で ある
としても、彼がクーデタを起こした事実はテキストからは読めない。
むしろソロモンの王位継承は預言者ナタンとバテセバの陰謀で実現したことに気付 く。
ユダヤの歴史の最も輝かしいページを築いていたころのダビデは、そんな風に他人の 差し
金で動くようなことはなかった。
だが、晩年に創造的エネルギーを失ったダビデ王は、部下のシナリオで催促される ほど
に凋落した。凋落した男からの指名でバトンをひきつぐ者には、これまた大きな創造 的エ
ネルギーは期待できない。それがソロモンであった。
これを契機に古代イスラエルの歴史は衰退の200年期を迎えはじめた。
政治においても、生命の納得がある時は大胆な建設が進む。しかし生命の納得がな い時
は、政治家にとっての理性役をしている官僚が準備した詭弁的シナリオや答弁でもっ て駒
の進め方の理由付けに代える。
日本でも、政治家自身で大きな決断と実行ができなくなり始めている。明治維新以 来
開拓してきた創造的エネルギーが中央では枯渇し始めている。
創造的生命の横溢する人物の出現を外野席に期待しなければならない時代となって きた。
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新刊書を出版しました
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「 健 忘 症 」 ( 聖書「創世記」9章 ) 手島 佑郎 (C)
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このところ、物忘れが多い。もともと私は1年に数度大きなポカをする。ある時は 講演に出かけて、講演用の資料や備品を一式自宅に忘れて出たことがある。先月は、ホテルにパソコンを置き忘れてしまった。そして今日は、メモなしにこの一 文を書こうとしている。
メモというのは、先月、創世記9章について話しをしたさいの講義用メモのことで ある。
通常、私は講演や講義をするさいに、A4サイズ1枚のメモを作る。一般の講演で あれば、そこに話の主要なテーマを6ヵ条ほど用意し、それぞれに関連するキーワードを、その見出しの下に、話の順番にメモする。聖書講義の場合は、旧約聖 書研究のトーラー研究会でも、新約聖書研究会の場合でも、A4用紙1枚に該当箇所をテキストとしてコピーし、そのコピーの周囲に小さな文字でメモを書き込 む。それだけで、大体、1時間半ほどの話しの準備が整う。
一方、講演や講義を終えると、私は、そこで話した内容をすぐに全部忘れてしまう ことにしている。それは、次回に同じテーマに関して話すときに、自分の考えが同じパターンの繰返しに陥らないようにするためである。さもないと、形骸化し た自分の記憶のそのまた形骸に自分自身が捉えられてしまう。同じテーマで講演する場合でも、毎回、新たにメモをこしらえる。過去のメモを参照することはま ず無い。
1日とか、2日にわたる講義の場合は、講演の要点をパワーポイントで出力できる 映像化しておく。それも、できるだけ簡単で大きな図である。受講者に見せる文字は1画面に20文字以内程度である。こまかい文書のコピーなどを使うことは 無い。
映写されたパワーポイントの画面の内容や図を、私は説明しない。スクリーンに映 し出される映像も文字も、聴衆を退屈させないための補助手段である。というのは、聴衆が私の話を聞きながら考えるためだからである。話しながら私も聴衆と 考える。考えることが聴衆にも私にとっても目的なのであり、映像を鑑賞したり、私の文章を書き写したりすることは目的ではない。
講演のメモは、ふつう1日がかりで考える。聖書講義のメモは3日がかりである。
経営者の方々との勉強会「道塾」の講義用メモとなると、少なくとも下読みを4〜 5回して、それから課題リストを作成する。勉強会の1週間前ほどに、数日かけて課題に従ってメモの下書きをする。そして直前の2日間をかけて、メモの不備 を点検する。なぜ道塾の準備に時間を要するのかと言えば、毎回あたらしいテーマなので、テーマやテキストについて私が知っている自身の過去の知識や過去の 常識の披瀝だと、自分が納得出来ないからである。
聖書研究の場合は、おおよそ40年近い知識の蓄積がある。それでも1日では準備 できない。というのは、自分自身の視点や問題意識が日々新しくなっているからである。新しい疑問、新しい問題意識に応えるためには、自分自身の知見を新し い視点から一新しなければならない。
どうすれば、自分の知識や先入観に自分自身が捉えられないようにできるか。それ を私はこの30年あまり自分への課題にしてきた。私の模倣をする他人が少なくない。だが、私は自分を模倣する自分ではありたくない。一つでもいいから、先 月までの考えと違うことを今月は発見したい。僅かでもいいから、明日は昨日の自分とちがう自分を発見したい。そう切に願ってきた。
そういう次第であるから、毎月のこの「トーラーの門」の中に掲載している文章の 大半も、執筆の時点で私が考えていることであって、研究会そのものの報告でも要約でもない。研究会の講義の内容は、せいぜい第2面の半分ほどに少し紹介す るだけである。
とはいっても、温故知新。自分の古いメモを見ながら、会報を執筆の時点での新し い問題意識をまさぐりつつ、毎回、この会報を作ってきた。それなのに、今月は1ヵ月前の自分と異なる自分を創出しようにも、そのメモが今回はどこにも見当 たらない。これは苛酷だ。誤って、どなたかに会報と一緒に自分のメモを郵送したのかもしれない。
ところで、出エジプト記の記述によると、神は、イスラエルの民の呻き声を聞いて ようやく、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い出し、彼らを顧みたという。そして、ノアの洪水の後では、アララト山をも水面下に水没させるような大 洪水を、二度と起さないという約束の象徴として、神は虹を雲の間に現わすことにした。「もし虹が雲の中に見えると、わたしはわが契約を思い出すであろう」 と、神は語っている。
ヘブライ語原文では、「わが弓をわたしは雲の中に置いた。……その弓が雲の中に 見えると、わたしはわが契約を思い出すであろう」となっている。
ヘブライ語のケシェットは、まず「弓」の意味である。ついで「虹」をも意味す る。英語では、虹のことをrainbow(雨の弓)と呼ぶ。
神がノアの洪水の後で雲の間に虹を置いたというのは、洪水の暴虐をもたらした武 器を雲に預けたという意味である。つまり、虹とは、単純に二度と神が洪水を起さないというシンボルだけではない。むしろ、神自身が洪水という暴虐をもたら した武器を放棄したのだから、人間もまた、互いに殺戮や掠奪、凌辱などの暴虐と暴力を放棄せよという戒めなのである。
神は全宇宙の経営で日々忙しいにも拘わらず、忘れない工夫を自身に課している。 この物語の教訓は、たまには虹を見て、ゆったりとした心地になることが大切なのだ、と教えているのではない。むしろ、自分の忘れやすさに気付き、その対策 を怠らないことこそが、人が永遠に近づく第一歩なのであると教えているのではないだろうか。
18世紀の東欧で興ったハシディズム運動は、現 代のユダヤ芸術や文化に多大な影響を与え、ブーバーやヘシェルなどの思想の基礎となった。本書は、このユダヤ教復興運動に焦点を当て、ユダヤ人の心の中に ある生の意味と葛藤など、彼らの内面を探り、ユダヤ人の日常の宗教生活の実態をわかりやすく解説する。初版発行部数僅少につき、本書をご希望の方は、書店 に直接ご予約なさってください。
今回は「愛」という語について再考することにしてみました。
なお、トーラー研究会では聖書の「創世記」を読み始めました。
ご関心のあるお方は、どなたでもご参加ください。
この会は、ユダヤ教の宣伝とも、キリスト教の伝道とも無関係です。
古典として自己啓発のために聖書を読む会です。
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トーラーの門 #269。 2009年5月号 より
「 聖書の福音 」 ( 聖書「イザヤ書」61章10節〜63章9節 )
手島 佑郎 (C)
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あなたにはもはや「捨てられた女」と言われず、あなたの地はもはや「荒れ地」
とは言われない。あなたは「わが愛着の彼女(ヘフツィ・バ)」と言われ、あなた
の地は「娶られた地(ベウラ)」と言われる。(「イザヤ書」62章4節前半、 私訳 )
彼らの全ての逆境にさいして、彼(神)も逆境をともにし、その愛によって面前
の天使に彼らを救わせた。またその激しい憐憫をもって彼らを贖った。
(「イザヤ書」63章9節前半、 私訳 )
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現代は「愛」が氾濫している時代である。人間愛、恋愛、動物への愛、植物への
愛、郷土愛、そしてきわめて意図的人為的に宣揚されはじめている国への愛……。
それは、おおむね、どれも対象物に対して「優しく」ふるまうか、「大切にするこ
と」を意味している。
しかし、視点を変えて見ると、あえて優しくせよとか、大切にせよと言わなけれ
ばならないほどに、人間がつまらなくなり、男女の仲が薄れ、動物が動物らしい生
気に乏しくなり、植物が本来の瑞々しい勢いを欠き、郷土が愛着をおぼえる安らぎ
が消え、国もまた誇らしく思いたい尊厳を失ってしまったのではないだろうか。つ
まり、大切にする価値や甲斐のある対象ではなくなってきているのかもしれない。
昔は、愛などと唱えなくても、自ずとそれぞれを大切にしていたのではなかった
だろうか。
他方、現代の愛という語の洪水の中で、西洋流にいえば、ギリシア語のフィロス
(友愛)、アガペー(慈愛)の存在はどこかに消失し、もっぱらエロス(性愛)だ
けがのさばるようになった。エロスは、自分に欠けたものを獲得しようとする強欲
のことであるから、むしろ「欠愛」と訳すほうが適切なのかもしれない。
仏教用語で「愛」といえば、「執着」のことである。まことに現代は執着の時代
である。というよりも、むしろ現代は自己の存在自身が飢餓状態で、他人のことま
で構っておれないのだ。
かつて、ごく自然であった「父性愛」も「母性愛」も昨今の日本ではどこか揺る
いでいる。総じて社会全体から父の威厳、母の落着きが希薄になってきている。
これは、多くの家庭において、じっくり手間ひまをかけた料理での食事をしなく
なったことと無関係ではないかもしれない。実際、私の仄聞する範囲でも、百貨店
やスーパーの惣菜で夕食の副食を飾るようになっている家族が少なくない。一見す
ると家族の絆を大切にしているように見えるが、じつは多くの家庭において、食事
や団欒の時間においてさえも、各自が家族と向き合わなくなっている。まるで教室
で黒板の方を見て給食を食べるかのように、家族の視線はもっぱらテレビの画面の
ほうへばかり向いている。父親はといえば、家族の行事をビデオカメラで手軽に記
録するだけで、妻や子供たちと一緒に過す時間もひどく少なくなっている。
キリスト教会では、「愛」とか「福音」とかいう言葉が毎回使われ、ここではさ
らに形骸化が進んでいる。とかく愛の裏付けというか、愛の実感が伴わない観念だ
けの愛が連発されている。
そして、旧約聖書の神、ユダヤ教の神は恐ろしい審判の神で、新約聖書のキリス
ト教の神は愛の神だという。本当にそうなのであろうか。もしそうであるとしたら、
イエス・キリストが示した神は、天地創造以来の聖書の神とは別物の、新興宗教の
神であったのだろうか。
4月のトーラー研究会で読んだイザヤ書62章で、神に背いたイスラエルの民に対して、
神は、「あなたはもはや『捨てられた女(アズバ)』と言われず、あなたの地は『荒
れ地(シェママ)』とは言われない。あなたは『わが愛着の彼女(ヘフツィ・バ)』
と言われ、あなたの地は『娶られた地(ベウラ)』と言われる」と告げている。背い
た者をも赦す。この寛大と海容の神をキリスト教会では、福音の神ではないというの
であろうか。
63章では、イスラエルの民が逆境にいるときは、神も逆境をともにし、その面前の
天使を遣わし、愛によって彼らを救わせ、またその激しい憐憫をもって彼らを贖った
という。神だから人間界を超越し、人間と無関係だというのではない。みずからも人
間と共に苦しみ、激しい憐憫をもって人間を救おうとする。贖うとは、自腹を切って
代価を払い、他人を隷属から解放し、本来の自由な地位に回復してあげる行為のこと
である。これが愛でなくて、何であろうか。
聖書がめざしていた愛の世界は、自己犠牲をいとわないで、人々の幸せのために自
ら奉仕する世界であった。そこには、愛についてのお説教も必要としない自然な共存
の社会があった。
ちなみに、「愛」という漢字は、『新字源』によれば、「ひっそりと歩く」と
「人に物を贈る」という文字から成っている。つまり、ひそやかな善意と行動にこ
そ愛の本質があるわけだ。
ところで、兵庫県は豊岡の出石(いずし)に臨済宗の名刹、宗鏡(すきょう)寺が
ある。ここは三代将軍家光の師であった沢庵和尚の出身寺である。
このたび、この寺の第14代目住職として小原游堂(こはら・ゆうどう)和尚が就任
することになり、4月初旬にその晋山式へ招かれた。
游堂和尚は弱冠30歳。世間的に言えば、それは大抜擢である。晋山式は簡素単純
であった。大徳寺管長以下50数名の老師高僧が直立して一心に唱える読経が式に威
厳を添えた。
晋山式の最後に游堂和尚が泣きながら決意を述べた。
「わたしは大徳寺聚光院で師の虎洞和尚から、『親切にせよ』と教わりました。
親切とは、自らを切るという意味です。自らを切って、人に親切をすることです。
わたしは、これから家族を親切にし、檀家を親切にし、堂衆を親切にし、世間の全
ての人々を親切にしていく所存です」と。
とかく「愛」という言葉が氾濫する現代において、自らを切って、人に尽くすと
いう游堂和尚の「親切」という言葉は、私の心にはとても新鮮にひびいた。
「 古典を楽しむ 」 (ゼカリヤ書2章14節--4章7節 ) 手島 佑郎 (C)
万軍のエホバは斯く宣う。「汝がもし我が道に歩むならば、もし我が服務規定を守るなら ば、汝もまた我が神殿で裁定をくだし、さらにまた我が庭を守ることとなろう。また、ここ に立ち並ぶ者ら(天使たち)の中に行き来させよう。 大祭司ヨシュアよ、汝も、汝の前に 座 す僚友も、汝らは模範となるべき人々であるがゆえに、よく聞け。 みよ、我はわがしもべを、芽を生じさせる」 ( ゼカリヤ書3章7節--8節、 手島訳 )
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わたしは、いたって無趣味である。
一般に、趣味といえば、余暇の読書、音楽観賞、ゴルフ、釣り、陶芸、庭作りなどなど、余暇の活用内容 をさす。わたしは、そうしたことをまるでしない。
そもそも趣味とは、いったい何のことであろうか。
「広辞苑」は、趣味とは、「おもむき、あじわいを感じ取る力、美的感覚の持ち方、このみ、専門家とし てでなく楽しみとしてする事柄」と説明している。現代的な余暇活動よりも、個人の美的文化的価値観に重心をおいた説明である。
趣味ということばは、古文には出てこない。江戸時代の道楽とはちがう。察するに、趣味という語は、明 治以後、英語の hobby(ホビー)の訳語として広がったようである。
ウェブスター英語大辞典(Webster's New Twentieth Century Dictionary)で、hobbyを調べた。この辞典では、原則として、各単語が最初に使われときの意味から、歴史的に順々に並べてあるので、英単語 の意味だけでなく、その原意や用法の変遷が分かって面白い。
これによると、第1に、hobbyとは「中型の強い馬」のことである。サラブレッドのような大型競争 馬ではなく、昔、山から木材などを挽き出していた木曽駒のような中型馬のことである。
転じて、第2に、遊具の「木馬」という意味も持つようになった。そして、幼児がくりかえし木馬を揺ら しながら遊ぶことから、更に転じて、第3に、「繰返して話す得意な話題」という意味にもなった。そこからさらに、現在の「余暇に好んで行なう物事や研究」 となった。さらにまた「気晴らし」という意味もある。
日本語の「趣味」と英語の「hobby」では、意味がずいぶん違う。英語のhobbyだと、日本語の 「あの家の調度品は趣味が良い」などいう表現には使えない。
さて、わたしには気晴らしのための趣味はない。第1、時間の余裕などない。つねに考え事をしている。 そうはいうものの、ビジネス系の事柄を考えている時間と、古典書物系の事柄を考えている時間との区別がある。それ以外に、生活として朝食・昼食・夕食・散 歩・入浴という時間が、思考作業の間に入る。これが、通常は気分転換の時間である。
ビジネス系の事柄は、もっぱらニュース記事で考える。かつては経済書や経営学書もよく読んだが、それ は一応卒業した。現在は、外電や英字新聞や英字雑誌の記事を比較しながら考える。必要とあれば、海外の資料をネット上で検索し、裏付けを取る。そして、ま た現在を考える。
古典書物系の事柄を考えている時も、過去の資料を過去形で読むわけではない。もし過去の出来事を現在 に置き換えたならば、何が読み取れるかという問題意識で古典を読む。
いわゆる古典と呼ばれている書物は、つねにどの時代の読者にも語りかけてきたから、現代まで残ってい るのである。その点で、古典は、あらゆる時代の読者を共感させる同時代性を秘めている。古典は、過去だけで終わらず、過去と現在をむすび、未来へも問題を 投げかける。
古典を読むさいには、その古典が書かれた時代の常識や社会事情などを知っているとよい。さもないと、 字面だけを追って、本来の意図したことと違う解釈をしかねない。
たとえば聖書には、「万軍の主」という訳語がたびたび使われる。原文では、YHVH_ZBAVTであ る。YHVHは神の名である。これはヤハウェとかイェホヴァと発音したりできる。だが、ユダヤ人は通常、そうは読まないでアドナイ(わが主)と呼ぶ。 ZBAVT(ツェバオット)は、ZBA(ツァバ、軍)の複数形なので、万軍と訳したのであろう。だが、ユダヤ教徒ではない日本人までが、YHVHを「主」 と読む必要はないはずだ。あくまでもYHVHは固有名詞なのである。
ところで、ユダヤ人の場合は原文の意図を掘り下げて、さらに拡大解釈することもある。
その一例が、冒頭に引用したゼカリヤ書7章8節の「わがしもべを、芽を生じさせる」である。この文の 意味は、神がそのしもべダビデ王の子孫を再興させるということである。
これを掘り下げると、神が「わがしもべ」と呼んでいたダビデ王の子孫から新芽を起し、いずれユダヤ民 族全体に復興をもたらすことへの示唆となる。
ちなみに、古代ユダヤでは王を即位させるさいに、頭にオリーブ油を塗っていた。大祭司も油を塗られて 就任していた。そこで油を塗られた者(メシアッフ)という言葉が転じて、メシアという概念ができた。ユダヤ教では、メシアとは、ユダヤ救国主の意味であ る。
「芽」というのは、ヘブライ語で「ツェマッフ、ZMH」である。このヘブライ語文字を数値に置き換え ると、Z=90、M=40、H=8で合計すると138になる。他方、メシアのことをユダヤ教では「慰め主、メナヘム(MNHM)」とも呼ぶ。メナヘムの数 値は、M=40、N=50、H=8、M=40で、こちらも合計138である。つまり、神のしもべである新しい「芽」とは、メシアの別称なのである。
案外、こうした知的シュミレーションに耽ることが、わたしにとっての趣味かもしれない。
畏友・村岡崇光氏がかつてニューヨークの拙宅に立寄られたとき、「自分の趣味はアラム語を読むことか なあ。アラム語の文献を読んでいる時が一番楽しい」と家人に語っておられた。意味を探り、目の前の事象や事実への疑問をもつ。但し、これは時間的余暇で出 来る作業ではない。
「 驚きについて 」 (士師記13章2節--24節 ) 手島 佑郎 (C)
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マノアはエホバの使いに言った、「誰ですか、あなたの名は?
もしあなたの発言通りに運んだら、私ども共はあなたに敬意を払い
ましょう」
彼にエホバの使いは言った、「なぜこのことで私の名をあなたは
訊ねるのか? それはペリ(人知の及ぶものではないの)だ」
さてマノアはヤギの中から子山羊を、そしてパンとを取り、岩の
上でエホバにささげた。驚異が勃発した。マノアとその妻はそれを
注目しつづけた。祭壇の上から炎が天に上った時に、エホバの使い
が祭壇の炎の中で(天に)昇ったのである。マノアとその妻はそれ
を注目しつづけた。そして彼らは跪き、大地に顔を伏せた。
( 士師記13章17〜18節、 手島訳 )
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現代の日本社会では、生活の中から神秘なものへの驚き、神秘な
世界への憧れ、そして神秘な出来事が見られなくなった。というよ
りも、人々の内から素直な驚きの心が失せた。
少なくとも私にかぎって云えば、子供の頃は私は驚きに囲まれて
過していた。
まず雷が怖かった。炸裂する稲妻と轟く雷鳴に身を縮めていた。
山に登れば、木の枝から枝へと電光が飛ぶのを幾度も見た。嵐も恐
かった。ごうごうと吹く風、びゅうびゅうと唸る電線、そして、が
たがたと鳴る雨戸、ぴーぴーと叫ぶ窓のすきま風。もしや屋根瓦が
飛ばされて、雨漏りするのではないかという怯え。大自然の脅威の
まえに、しばしば心が震えた。
また、感動も大きかった。しばしば熊本城に登っては、天守閣跡
の石垣の上から大きな太陽が西のはてに沈むのを遠望した。あでや
かな茜色に変る夕空、刻々と明るさを落としていく下方の雲。気が
ついてみると、あたりはすっかり夕闇につつまれていた。
夜の星空がまた壮大であった。春には北から南にかけて西の空を
流れている銀河が、夏には東の空を流れる。秋には北東の空から南
西へと向きを転換し、冬の銀河は北西から南東へとさらに大転換を
する。かぎりなく深い闇の奥で輝く銀河のきらめきは圧巻であった。
それに星座を眺める愉しみがあった。冬は銀河に沿って北西の中
天から南東にかけてカシオペア、ペルセウス、オリオンが双ぶ。春
はほぼ北東の頭上に北斗七星が輝き、夏は南の空で威嚇するサソリ
座を楽しんだ。秋は、頭上の銀河に沿って飛ぶハクチョウと、南東
の中空を駆けるペガサスを視野にとらえながら、それぞれにまつわ
るギリシャ神話を思い出していた。
夏の川には、紫色の翼をもつカワセミが飛び、水草の中を赤黒い
斑点のアズキヘビが泳いでいた。遊ぶ合間に、城のお堀でヒシの実
を見つけては口に含み、崖の下でノビルを摘んだ。
秋には石垣を這うアケビを採り、カラスウリの赤い実を蔓ごと家
に持ち帰っていた。カラスウリの種子は大黒様の形をしていた。ハ
トムギの原種ジュズダマはどこでも川辺に生えていた。
南国の熊本でも、冬には高さ5cmもある霜柱を好んで踏みつぶし
ていた。
わが家は町中にあった。その家の裏には、コウモリもフクロウも
青大将もいた。
今にして思えば、日常生活のいたるところに驚きを禁じ得ない自
然が溢れていた。というよりも、日常の中で非日常を発見できる感
性を私たちは有していたのかもしれない。
いつからそうした感性を私たち日本人は失い始めたのか。
それはおそらく人類が人工衛星を打ち上げてからの変化である。
あの頃から次第に人々は人類が万能であるかのように思い始めた。
現代社会では、すべてが殆ど説明可能になってしまった。地球の営
みも、生物の活動も、宇宙の生成も、そしてミクロな分子の反応ま
でも、おおむね論理的科学的に解明されている。
その結果、多くの人々は単純に「分る」と「分らない」、「知っ
ている」と「知らない」という2分割された世界観で物事に接する
ようになってしまった。この世の現象は、説明できる事柄と、一部
まだ説明できない事柄とに二分されてしまった。
問題は、未知の分野が残っていることではない。人々の間で、と
りわけ少年や若者の間で、未知の事柄に対してみずから疑問を持ち、
みずから解明しようという探究心が薄れてしまってきたことである。
説明できない事柄も、早晩すべて科学的に説明できるようになると
多くの人が考えている。いずれは誰かの研究によって既知のものと
なる。そう人々は思うようになった。
私は聖書の物語をできるだけ合理的に読む。歴史的背景や古代の
生活習慣を参照しながら、現代人に分る方法で説明する。奇蹟の記
述でも、合理的に説明しようとつとめる。しかしながら、ある一線
を超えてまでは合理的解明の努力はしない。神秘は神秘のまま残し
ておけばいい。
たとえば今回の士師記13章の物語がその一例である。
英雄サムソンの誕生に先立って、神の使いが現れ、マノアの妻に
いずれ男児が生まれると告げた。その時マノアが神の使いに、「誰
ですか、あなたの名は?」と訊ねた。すると神の使いは、「なぜこ
のことで私の名を訊ねるのか? それはペリだ」と反論した。
ペリというヘブライ語は、「人知が及ばない、不可思議だ」とい
う意味である。つまり、天使の名や神の名を知ったからといって、
それが人間にとって何の効用があるのか。大切なのは表面の名前や
名辞ではなく、実際に何が発生し、何が発動するかだ。肝心なのは、
その背後にどのような存在や事実があるかだ。聖書はそう教えたい
のである。
私の兄弟子、ピンハス・ペリの実名はピンハス・ハコーヘンであ
った。彼は若い時に短編小説を発表して一躍有名になった。
編集長がその作品の著者を呼び出した。
そこに現れたのは、まだ16歳の少年であった。
編集長はおもわず、「これは驚きだ。ゼ・ペリ!」と叫んだ。
以来、ピンハスは筆名「ピンハス・ペリ」を名乗るようになった。
名前よりも実在に秘密があるのだった。
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ト一ラーの門 No. 256 March, 2008 より
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「 帰依するということ 」 ( 聖書「列王記」下4章42節--5章19節 )
手島 佑郎 (C)
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ナアマンは言った、
「では、せめて騾馬1対に積載の土をしもべに与えて下さらないでしょうか。
というのは、しもべは燔祭と犠牲をエホバ以外の神々にはもはや捧げないか
らです。
ただ次のことだけはエホバがしもべにお許しになりますように。しもべの
主君がリンモンの神殿に入り、そこで礼拝をするさいに、彼はわたしの手に
寄りかかりますそしてわたしはリンモンの神殿で礼拝させられます。リンモ
ンの神殿でのわたしの礼拝に関して、このことをなにとぞエホバがしもべに
許してくださいますよう」
エリシャはナアマンに言った、
「レッフ・レシャロム、平安にむかって歩め!」
( 列王記下5章17 -- 19節、手島訳 )
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トーラー研究会が1986年9月に始まったとき、台風にもかかわらず御参集
くださった方々の中に、初代駐イスラエル日本大使を務めた服部比佐治閣下
がおられた。
その令夫人サカヱ子様が2月13日に逝去された。享年90歳。
彼女の告別式に先立って15日の夕辺、「もがり」の儀が行なわれた。彼女
はクリスチャンであった。日本古来の神道でいう「もがり」のことを、仏式
では「通夜」とよび、教会では「前夜式」という。
わたしは、どうもこの「前夜式」という呼称を好きになれない。これは、
おそらく英語の「クリスマス・イブ」を「クリスマス前夜祭」と訳したのと
同様に、稚拙な日本語力が創出した悪訳の例だ。古来の日本語では「前夜」
といえば、「昨夜」の意味であった。
そもそも欧米の葬儀には通夜も前夜式もない。いきなり葬儀である。した
がって、葬儀の前夜式という概念もことばもない。
では、なぜ日本では通夜や前夜式があるのかといえば、古代日本では人が
亡くなると、埋葬の準備ができるまで遺体を喪屋に移し、そこで夜通し遺体
を守っていたからである。その習慣を仏教が尊重して通夜となり、日本では
キリスト教もこれを踏襲したのである。
考えてみると、一般的に使われる「前夜祭」という用語も奇妙だ。
「Eve、宵」というのは生活が太陰暦で営まれていた時代からの名残りで
ある。太陰暦では、月の出とともに新しい1日が始まり、日没でその1日が
終わる。「イブ」とは1日の始まりの意味なのである。前夜どころか新夜な
のである。クリスマス・イブはクリスマスの前夜ではなく、クリスマスの始
まりという意味である。ハロウィーンのイブも、じつは万聖節が始まる宵な
のである。
はじまりと終わり。何が大切かといえば、はじまりである。次にはじまり
と終わりの間にある<と>である。はじまり、終わり、だけでは何の変化も
連続も、そして発展もない。まるで暗黒で真空なままの宇宙空間のようなも
のだ。<と>に象徴される途中のプロセスこそが初めの志向した目標を実現
させ、初めに内実を与え、終わりを意義あらしめる。
服部サカヱ子様は、女学校時代にキリスト教徒になった。彼女の感化で、
夫君・服部大使もキリスト教徒となり、イスラエル、バチカン大使もつとめ、
最後はカトリック教会の信徒となった。夫君が逝かれてから20年、日本とイ
スラエルの婦人福祉活動に献身され、最後まで初代駐イスラエル日本大使夫
人としての矜持と威厳を保たれていた。しかも彼女はプロテスタントのまま
宗派替えをしなかった。その一貫性(integrity)には学ぶ点が多い。
さて、冒頭に引用した聖書の記事は、イスラエルの預言者エリシャとイス
ラエルの敵シリアの武将ナアマンとの対話の一部である。
ナアマンは実直で下心のない人物であった。ユダヤ教の解釈によれば、戦
闘でイスラエル王アハブを射止めた無名の射手こそ彼であったという。その
功でシリア王の側近として抜擢されていた。
だが彼はライ病に罹っていた。当時、慢性の皮膚病はライ病と診断される
ことが多かった。彼が重症の皮膚病であったことは間違いなかろう。
彼の妻はイスラエルから拉致した少女を下女として使っていた。その少女
が言うには、預言者エリシャのもとへ行けば治るとのこと。彼は国王の許可
を貰ってイスラエルへ行き、エリシャを訪ねた。
だが、エリシャは彼の前に姿も見せない。ただ、ヨルダン川で7回水浴せ
よと人を介して命じた。その言動はナアマンには無礼に思えた。
だが水浴してみると、たちまちライ病が治った。
そこで礼を述べにエリシャのもとに戻った。そして御礼の品々を受取らな
いエリシャに対してナアマンは懇願した。
「ではせめてイスラエルの土をシリアに持ち帰り、その土の上に祭壇を築き、
自分は今後イスラエルの神エホバだけを礼拝します。ただし、シリア国王の
公式行事としてシリアの守護神の神殿リンモンでの参拝に参加しなければな
らず、そのさい礼拝の姿勢をすることを許してほしい」と。
職務上宗教儀式に参列するとしても、それは自分の本心ではない。自分は
エホバのみを礼拝し、エホバに帰依しますと誓った。そしてエリシャは彼の
内的純潔への理解を示した。
最後にエリシャはナアマンに一言だけ与えた。
「レッフ・レシャロム!」
この1句はふつうは「安らかに行け」と訳されている。
だが原文は、「平安に向かって歩め!」である。
人は究極的な平安・涅槃へ向かって歩まねばならない。それが生の現実な
のだ。
ちなみに、わたしの父・手島郁郎はキリスト教の伝道者であった。毎年夏
冬に全国の信徒を集めて大集会をしていた。信徒の数が増えるつれ、全員を
収容できる会場や宿泊施設の確保が難しくなり、寺院の宿坊も利用した。
1967年の夏は伊勢神宮会館で集会を開催した。父の弟子の中には内宮の近
くまで行き、社殿に向かって参拝する人もいた。そのことを父に伝えると、
「伊勢神宮を尊敬することと、参拝することは別だ。ぼくはキリストしか拝
まないよ」とわたしを諭した。
東京の代々木に住んでいた頃、父は毎朝明治神宮の森を散歩していたが、
あくまでも散歩であって、神宮に参拝はしなかった。その他の神社仏閣へ敬
意、戦没者への哀悼などを表しても、参拝はしなかった。
父はクリスチャンとして自分の帰依する神への信義を重んじ、宗教的帰依
と尊敬とを峻別し厳格に宗教的けじめを守っていた。
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[ご紹介]
『物語 イスラエルの歴史』高橋正男著(中公新書、¥980+)
著者は1964年にエルサレムのヘブライ大学に留学以来、ひとすじにイスラ
エルという国民の歴史に魅せられてきた。40年かけて著者が吸収咀嚼してき
た知識を、本書では手短に披瀝している。
中世から近世にかけてのパレスチナのユダヤ人社会の実情と文化への言及
がもう少し詳しければ、なお良かった。
その点こそが今後のユダヤ研究者の大きな課題の1つである。
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ト一ラーの門 No. 259 July, 2008 より
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「 とむらいの在り方 」 (エゼキエル書44章15--31節 )
手島 佑郎 (C)
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「(祭司は)死人のもとへ入ってはならない。身を穢すからだ。ただし、
父のため、母のため、子息のため、子女のため、兄弟のため、夫なき姉妹
のためには、身を穢すべし」
( エゼキエル書44章25節、手島訳 )
「(大祭司は)すべての死者の人々に関して、(そこへ)入ってはなら
ない。彼の父、彼の母のためにも身を穢してはならない」
( レビ記21章11節、 手島訳 )
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人がその一生のうちに一度ならず、二度、三度と経験する行事に「とむ
らい」がある。
結婚式や子供の出産祝いには一度も立ち会わないという人もいるかもし
れない。しかし、人として生まれてきて、誰の死をも見送らないという人
はいないのではないのか。人は一生のうちどこかで親の死、あるいは兄弟
姉妹の死、友人の死、伴侶の死、親類縁者の死などに出会う。
死は人の誕生と同じく、人がかならず通らなければならない人生の門で
ある。それは同時に、周囲の他の人々を巻き込む社会的儀礼、すなわち、
「とむらい」を伴う。
ところで一般的には、人々は出産や結婚などの祝いのためには自分でも
事前にいろいろな準備をする。だが、どういうわけかとむらいとなると、
ほとんど事前の準備をしない。せいぜい一部の人々が生前に自分の死後の
財産の分与について遺言を用意しているくらいなものである。遺言をする
人でも、自分の葬儀の在り方について指示を残す人はめったにいない。
とむらいの準備にはできるだけ触れたくない、できるだけ先送りしたい
というのは、死を不吉なもの、不幸なことと見なしているからなのであろ
う。あらかじめとむらいへの準備や手配などするのは、不幸や不吉をはや
く呼び込みかねないと懸念するからなのであろう。
そのためかたとえ身近な人が臨終に近づいていても、周囲の人々はただ
おろおろと手をこまねいて、その死を待っている。というよりも、できれ
ば死を延期させたいと、生への一縷の望みをつなぐことに奔走する。
そして、ついにその人が息を引き取ると、まるで死がとつぜん臨んだかの
ように、あたふたと葬儀社にかけこんで葬儀の段取りを依頼する。
そして死去にともなう対応に忙殺されたまま、とむらいの次第はほとん
ど、いや一切、葬儀社の手にゆだねられてしまう。寺で仏式の葬儀をしよ
うと、キリスト教会で告別式をしようと、葬祭会堂で神道式の野辺送りを
しようと、ほとんど例外なく、葬儀社が関与し、式場設営から火葬場まで
の段取りを葬儀社がおこなう。
とむらいの儀式は、司会、進行から会場の案内にいたるまで、ほとんど
葬儀社のプロの手によって進められる。それは、いかにも悲しみに満ちた
かのような口調で、葬儀の雰囲気を演出する。大きな企業や団体の幹部が
死去した場合には、もちろん社員や団体職員も受付係などを担当する。だ
が、式そのものが葬儀社のプロの指揮下にあることには変わりない。
こうした日本的葬儀の実態の場に出会うたびに、わたしは何かやりきれ
ないものを感じる。とむらいの形式化、非人間性化とでも言おうか。遺族
や故人と親しかった人々を置き去りにしたまま、とむらいが営まれている
ような印象をわたしは受ける。
もとより、ふつうの人々は葬儀のプロではない。だから、葬儀をどのよ
うにおこなえばよいかを知らない。そのためにであろう、遺族も近しかっ
た人々もただ無言かつ無表情で葬儀に参列する。たいていの場合、遺族は
ただ無言で唯々諾々と葬儀社の指示に従って式場に座っている。まるで悲
しみも悼みも感じないかのように無表情でさえある。それとも、無表情で
あることが、この場合は遺族の美徳なのか。そう疑いたいほど、遺族は無
感動にさえ見える。
会葬者もまた、その多くの表情は、故人への哀惜や追悼の表情を表わさ
ない。単純に社会的義務または義理で列席しているという印象である。
現代の日本の葬儀は、いわば葬儀というお神輿を職業葬儀社にまかせた
ままだ。葬儀が終わるやいなや、葬儀社は次の神輿をかつぐ。そして、多
くの場合、人々は遺族を放置し、故人への追悼も早々に忘れるのである。
本来は、遺族こそがとむらいの儀式の主役であり、親しかった人々こそ
が哀悼の脇役であるべきではないのか。どのようにすれば、遺族はとむら
いの主導権を取り戻せるか。どのようにすれば、哀悼の儀式の主人公たり
得るか。
そのヒントの1つをエゼキエル書の記事から窺い知ることができる。
ユダヤ教では祭司の家系にある者が死者の穢れに触れることを厳禁して
いる。では、家族が死去した場合はどうするか。
エゼキエルの場合、同書24章によれば、最愛の妻が急死したときに神は
彼に歎くなと命じた。その理由は、その時、彼が流浪の地バビロンで大祭
司の職務を代行していたのかもしれない。
祭司がいかに神聖な職務であるとはいえ、愛する家族の死にさいして、
遺体のそばに近寄ることさえも許さないという神の掟はあまりに非情では
ないか。彼は内心でそう反問したにちがいない。
その反問に応えてであろう。44章では、大祭司職務から非番の祭司は、
亡くなった家族の遺体に接触し、そのために大いに歎いてよいと、掟の
緩和が告げられた。人の死のとむらいの主人公は遺族なのである。
ユダヤ人の間では、とむらいは遺族とコミュニティー全体の行事であ
る。直接の遺族以外の最少10人以上のユダヤ教成人男子が共同して執行
する定めになっている。葬儀は簡素で、葬儀は会葬者全員が冥福を祈る
祈祷を唱和し、全員で神への感謝と、遺族とイスラエル民族全体の繁栄
を祈って終わる。
大事なのは、その後7日間である。とむらいの主役は遺族であるから、
遺族はいっさい家事を行なわず、友人や近隣の人々がすべて遺族の家事
を代行する。そして遺族に7日の間、もっぱら故人への哀悼と惜別に耽
ってもらう。朝夕、遺族の家でユダヤ教の礼拝が執行され、友人らも遺
族と共に服喪する。人の誕生の喜びも死の悲しみもコミュニティーで分
ち合う。
遺族とコミュニティーとの融和。ユダヤ人のとむらいの在り方から、
私達は学ぶことが多い。
= = = = = = = = = = =
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ト一ラーの門 No. 257 April, 2008 より
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「 聖書の推理法 」 ( 列王記下7章3節-20節 ) 手島 佑郎
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4人がライ病で門の入口いた。彼らはお互いに言った。
「いったい何のために我々はここに座っているか、死ぬまでか。
もし我々が町の中へ入ろうと思っても、町の中は飢餓だ。
我々はあそこで死ぬだろう。
もしここで座ったままいても、我々は死ぬ。
だから今、アラム軍の陣へ行って投降しよう。
もし彼らが我々を生かしてくれれば、我々は生きのびる。
もし我々を殺すのであれば、我々は死ぬまでだ」
かれらは風が吹く頃に立ち上がり、アラム軍の陣へ行った。
みよ、そこには人はいなかった。
( 列王記下7章3 -- 5節、手島訳 )
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2002年に『聖書の暗号』という本が話題になった。ユダヤ人ジャーナ
リストと自称するドロズニンという人物の著書である。
彼によると、聖書には世界の存在以前から暗号の遺伝子が組み込まれて
いる。1995年のラビン首相暗殺も、2001年9月11日の同時多発テロへの予
言がかくされており、その謎を彼はコンピュータによって解読したという。
なるほどユダヤ教では、聖書(トーラー)は天地創造以前に天界で聖書
が造られていたと教える。
だが、じっさいには紀元前10世紀頃から前6世紀頃までの長い時間をか
けて様々の文書や資料が編纂され今日の形になったのである。
したがって、聖書に世界創造以前からの暗号が秘められているとする
ドロズニンの説は、その根底から学術的に無理がある。
『聖書の暗号』がもっともらしく見える理由の1つは、資料として掲げ
てあるヘブライ文字の一覧表が、門外漢には意味不明だからである。2つ
めは、コンピュータで解析した結果だと装おって、いかにも科学的である
かのように思わせているからである。
だが、コンピュータ処理の結果がすべて科学的であるというわけではな
い。データを意図的に加工し、コンピュータ処理をすれば、作為的な結果
を得ることも可能だ。
2003年1月、東京での記者会見の席、聖書にはアルカエダの日本攻撃の
可能性を示唆している予言もあると彼は語った。そのとき記者会見の席で
配付した資料を、わたしは聖書と照合した。それは、レビ記、民数記、
申命記から数行ずつ切り取って、単語と単語の間の空白も全て無視し、
ヘブライ文字を人為的につなぎ、一種の乱数表に仕立ててあった。
暗号は、自分が伝えたいメッセージを別の文書の中に隠しこむ技術で
ある。
だが、紀元前10世紀にはアルカエダという団体も日本という国もなか
った。もちろんそのような名前もなかった。だから、アルカエダや日本
の名を暗号化することさえ有りえないはずだ。
ドロズニンは、聖書に暗号があったという結論を先に設定し、それに
合うように暗号化を演出したにすぎない。一種の詐欺である。それに便
乗した出版社も同罪である。
彼は、聖書にはユダヤ暦5766年(西暦2006年)に原爆で人類滅亡のホ
ロコーストが起きるという予言があると述べていた。だが、現実にはそ
れは起きなかった。彼と一緒になって聖書に暗号があると騒いだ人々は、
いまどのように反省しているのだろうか。
旧約聖書にも、新約聖書にも暗号はない。ただし、旧約聖書のダニエル
書と新約聖書のヨハネ黙示録に記されている2つの謎めいた数字は、とか
く誤解を招いている。
ダニエル書は、ペルシャ時代のダニエルという人物を主人公に設定し、
紀元前2世紀前半にユダヤに圧政をしたシリア王アンティオコス・エピフ
ァネスへの怨嗟を綴ったフィクションである。その12章に出てくる数字
「1335日」とは、エピファネスの圧政終了とユダヤ教の礼拝再開まで
になお3年半ほどの時間が必要だという意味である。
ヨハネ黙示録は、紀元後1世紀にキリスト教を迫害したネロ皇帝への
呪いとキリスト教の最終勝利を予言風に記した寓話である。その13章に
出てくる「666」という数字は、直接ネロを名指しする危険を避け、
数字暗喩(ギメトリア)で表現したのであった。
聖書に暗号がないとはいえ、聖書には推理小説を読むような愉しみがあ
る。そこに記されている物語の背後の事件や経緯、とりわけ重要な役割を
担っているにもかかわらず氏名不詳の人物の素性を推理するのは面白い。
たとえば、列王記下7章のはじめに登場する4人のライ病人である。
紀元前845年頃、北イスラエルの首都サマリアはシリア(アラム)軍に
包囲され、城内の人々は餓死寸前であった。当時イスラエルでは、ライ病
人は市民から隔離され、城内には住めなかった。城門の外で夜露をしのぐ
しかない彼らも餓死寸前であった。そこで、彼らはあえてシリア軍に投降
することにした。シリアはライ病でも現役の将軍ナアマンがいる国だ。
あるいは自分達をも保護してくれるかもしれない。そう彼らは期待したの
であろう。彼らがシリア軍の陣地に行ってみると、そこは藻抜けの殻。
彼らはシリア軍の逃走をいちはやくイスラエル国王に報告し、城内の人
々は奇跡的に餓死から救われた。
4人はいわば救国の功労者である。それなのに氏名が明かされていな
い。なぜだろうか。
ユダヤ教のラビたちは、4人のライ病人とはゲハジとその息子3人だ
と推定している。
わたしは、ラビたちの推定をもとに、その理由付けを逆推理してみた。
じつは下5章にヒントがある。シリアの将軍ナアマンが預言者エリシャ
の指示通りにヨルダン川で水浴したら、彼のライ病が癒された。彼はエ
リシャに感謝し、金銀と晴れ着を御礼に差し出すが、エリシャは受取ら
ない。エリシャの下僕ゲハジはナアマンの後を追いかけ、御礼の品をだ
まし取る。それが発覚し、ゲハジはライ病になった。この記事が7章と
つながるのである。
ライ病になったゲハジは、町の中に住めない。だから城門の外にいた。
7章では、そのライ病人たちがシリア軍の陣地に入って「金銀、衣服
を持ち出し」、それを隠したという記事がある。これは、ゲハジがナア
マンから御礼の「金銀、晴れ着」をかすめ取り、自宅に隠した記事と同
じ行動である。ライ病になっても、悪行を反省し改めていない。そこに
ゲハジの横顔がうかがえる。
そして、掠奪できるだけ掠奪し、それでも自分たちだけで取りきれない
ほど大量の富があるのに気づいて、ようやく彼は反省し、シリア軍の逃走
を国王に告げにいったのである。
満たされてみて、自分の至らなさに気づいた。それがこの物語のせめて
もの救いである。
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無尽蔵の恵み (民数記11章) 手島 佑郎
「わたしはどこから肉を得て、このすべての民に与えることができる でしょうか。彼等は泣いて、肉を食べさせよと私に言います。私ひとりでは、このすべての民を負えません。それは私には重すぎます」 (聖書「民数記」11章13〜14節) |
日本も米国も社会の先行きが不透明で暗く、人々は自信喪失し始めている。米国は サブプライム問題をかかえて、景気継続の期待が立ち消え、急速に失業も増えている。
とはいえ、それでも米国には自分達を未来への希望につなごうとする雰囲気があ る。日本は年金問題でごたごたし、それ以外の問題はほとんど棚ざらしのままで、次世代への希望さえも見えない。
この違いはどこから来るか。
日本社会は人々に和を守れと要求するが、いざとなると知らぬふりをして仲間をさ え助けない。そのため日本人は孤独で路頭に迷う。
米国社会は人々に自助独立を教えるが、いざとなると人々が助けあう。それゆえで あろうか、米国人は困窮する中で再起をはかる余裕がある。そのことを示唆する資料をご紹介しよう。
9.11のテロが起きた2001年末にニューヨーク在住の知人、廣嶋都留さんか ら頂いた手紙である。以下はその一部である。
ニューヨークの町は クリスマスの飾りつけがキラキラと美しいですが、いつもの年と違うの は、星条旗がともに飾られ、上手にまざり合い、冬の風にはためいている事です。クリ スマス の音楽、ミュージカルが放映されてますが、番組の初め、中間と最後に、いつも9月11日の 犠牲者たちと家族のために哀悼の言葉が無言で流れま す。急に音がなくなる、かえって皆がテ レビに目を移します。そして目を伏せます。・・・・・・
あれから3ヵ月が過ぎました。いまだに皆の胸にはアメリカ国旗 のピンや三色のリボンがつ けられ車も旗をなびかせて走っています。"God Bless America"を一日に何回聞くでしょうか。 そのたびにアメリカの人たちは慰められ、勇気づけられ明日に向かって歩き出します。・・・・・・
冬季オリンピック聖火リレーがアトランタ市を出発しました。こ れから アメリカ全土を人 から人へと手渡されてまわります。来年に向けて、人々の心に希望の光をともす聖火の旅であ ってほしいと願います。
わたしは、その後もこの手紙を幾度となく読み返した。
テレビ番組の合間に無言の哀悼文が流れるたびに「皆がテレビに目を移します。そ して目を伏せます」というくだりを読むたびに、当時のニューヨークの人々の重苦しい気持ちがいまも伝わってくる。
犠牲者やその家族と傷みをわかちあっている人々のやさしい心に感動する。同時 に、その傷みを未来への希望につなぐ聖火リレーの成功を私も祈りたくなる。
このお手紙をもらったのは、9.11事件から3ヵ月後であった。
9.11事件から3ヶ月も経て、米国ではなおも娯楽番組の合間に哀悼文のテロッ プと沈黙が画面に流れていたのである。
このような沈黙と哀悼が日本にあるだろうか。
阪神大震災のときも、その後の大地震や阪急電車脱線事件など幾つもの悲惨な事故 が日本では起きた、だが、そのたびに日本のテレビはすぐに通常の番組配信に戻った。
総じていまの日本に欠けているのは、他人の痛みや悲しみを皆でわかちあう共感で ある。同情というのは、たんに気の毒だと思うことではない。悲しみや痛みを心から本当にわかちあうことだ。
悲しみや痛みをわかちあえる者同士は、責任と希望をわかちあうこともできる。 ニューヨークから伝わってきた復興への逞しさは、じつはあの町の人々が悲しみをわかちあい、互いに励ましあっていたからなのだ。それがニューヨークの秘密 であり魅力である。私にはそう思える。
人々が自分の懐だけを温めよう、自分の欲求だけを満足させようとし始めると、社 会はたちまち混乱しはじめる。日本のいまの混乱は、国民の多くが自分の安楽だけを願うからではないか。
生きるために人は、少なくとも自己の生存の欲求を満足させようとする。それは本 質的に利己的である。だが、一方で、人は自分ひとりでは生きていけない存在である。他人が生産し、他人が供給した何らかのサービスや便益を利用せずして は、人は自分で生きてゆくことさえままならない。人は、人と協調協力してこそ初めて人として生きてゆける。
3,300年ほど前、イスラエルの民はエジプトを脱出しシナイの荒野を流浪しは じめた。 水も食糧も十分にない荒野のなかで民衆は指導者モーセに、「肉を与えよ、野菜を与えよ」と迫った。彼等の要求の声は高まり、それはもう暴動寸前 の域に達していた。
「民数記」11章の記述によれば、そのときモーセは、「私ひとりではこのすべて の民を負えない。それは私には重すぎる」と神にむかって愚痴っている。
事態がここまでに至った理由のひとつは、リーダーであるモーセにもあった。彼ひ とりでスタンドプレーしていたからである。必ずしも肉や野菜の美食が欠乏していたからだけではない。
指導者が責任を負うとはいえ、彼だけに権力を集中させると、民衆は彼等の独断だ けで自利の追求をはじめる。モーセは自分ひとりで負うには責任が重すぎると愚痴る前に、もっと人々と責任を共同で担い権限を分担すべきであった。人々を広 く経営や運営に参画させないから、人心が離反したのだ。
では、なぜリーダーは指導権を独占しようとするのか。
それは彼が自分だけが富や栄誉を得たいからである。「民数記」11章の出来事に 関連して、ラビたちはつぎのような説話を残している。
王様が果樹園を所有していた。ある日、家来を呼んだ。
「果樹園の管理をお前に委ねる。果物が実ったら、お前
が欲しいだけの量を報酬として取らせよう」と約束した。家来は収穫を ひとり占めできるというので、喜んで大いに仕事に精を出した。
だが、仕事が忙しくなってくると、彼ひとりでは手が回らなくなった。
そこで王様に増員を願い出た。
「よろしい。ただし彼等も収穫の中から、その働きに応じて欲しいだけ 報酬を取っていいことにする」と王様は答えた。
これを聞いて、家来は自分の取り分が減るのは困ると思った。だが、彼 だけでは果樹園の面倒に手が回らない。仕方なく増員した。
さて収穫の時になった。王様の果樹園からイチジクやブドウ、ザクロや ナツメヤシなど沢山の果物が取れた。労働者たちが、欲しいだけの報酬を取った。家来も欲しいだけ沢山の報酬をその中から取った。
それでも、まだまだ沢山の果物があふれていた。
富を皆とわかちあう態度があるとき、皆がじゅうぶん満足できる環境も生まれるの である。
祝福について (申命記33章) 手島 佑郎
以下は、神の人モーセが死の直前にイスラエルの子らを祝福した祝 福である。いわく、 「エホバはシナイから来たる。セイルよりわれらに輝き上る。パラン の山より現わる。 汝は幾千の聖所より出で、その右には燃ゆる火あり」 (申命記33章1〜2節私訳) |
いつぞや宇宙飛行士・向井千秋さんがエンデバー号で初飛行したとき、日本政府首 脳との交信模様がテレビで紹介されていた。当時の首相は誰であったか忘れたが、首相の話しかけは「頑張ってください、頑張ってください」の一点張りであっ た。対照的に、そのとき科学技術庁長官であった田中真紀子さんは英語でほかの宇宙飛行士にも話しかけていた。最後に「God bless you! (神があなたがたを祝福されますように)」と祝福で会話をしめくくった。
祝福。この2文字が昨今の日本の社会生活から消えうせつつあるように見える。せ いぜいあの首相ではないが「頑張って! 頑張って!」である。これは励ましであるが、祝福ではない。
若人が学校を卒業すると「卒業おめでとう」と祝う。これは祝辞である。だが、つ づけて「これから、それぞれの道で大いに頑張ってください」とくる。
祝福というのは、「諸君の前途に困難も多かろうが、そのさきに成功と幸せがあら んことを祈ります」である。結婚したカップルに、「お二人の幸せを祈ります」というのも祝福である。そうした祝福のことばが、いま日本で発されるのは、卒 業式と結婚式くらいしかない。
頑張った先に何があるかを示唆し、その成就を祈ることが祝福なのである。
God bless you! は正確には、May God bless you! である。これとならんで、英語の別れぎわの挨拶「Good bye!」も、じつは祝福のことばである。Good be with ye! (善いことがあなたに伴いますように)の略なのである。単純に「さようなら」ではないのである。
むかし日本では、「弥栄(いやさか)を祈ります」といっていた。あれが Good bye! である。
なぜ日本の挨拶から祝福が少なくなったのか。
それには二つの理由が考えられる。ひとつは、日本人の多くが自分のことばかりし か考えなくなってきたからである。もっぱら自分の利益、自分の権益、自分の安住ばかりを念頭におく。それは同時に、他人への無関心、冷淡となった。お互い に助けあおうという姿勢が少なくなった。
一方で、神仏に祈るという気持ちが失せてきた。合格祈願や交通安全祈願、商売繁 盛祈願はするが、日々、神仏に感謝するという習慣をもっている人々が少なくなった。
ほんらい祝福とは、相手の前途に対して神仏の加護があるようにと祈る行為であ る。
ヘブライ語では「祝福」のことを、「ブラハー」という。「祝福する」というのは バレッフである。これは「ひざ(ベレッフ)」に由来している。「ひざまづかせる」という意味である。
神が人をひざまづかせて祝福を授けるからである。祝福を受ける者は、神のまえに 一段へりくだって受けるのである。
イサクが息子ヤコブを祝福したときも、ヤコブがその孫マナセとエフライムを祝福 したときも。またモーセがイスラエルの部族を祝福したときも、神の祝福をかれらの上に祈っている。
人が人に対して出来る行為は、せいぜい激励か、あるいは称賛するかである。人智 のおよばない未来のことに関しては、人の能力を超えた超越者の保護のもとにゆだねるしかない。そこで、他人の前途の幸せを神仏に祈って、その前途を祝す る。これが祝福である。
祝福された経験がない人は、祝福の価値を理解せず、たんなる「励まし」と思って しまう。励ましは、あるプロジェクトなり目標なりに向かっての意欲喚起であって、一過性的である。
祝福は、前途をこまかく限定しない。祝福は包括的であり永続的である。
あれは1970年の9月、ぼくがニューヨークの留学へと出発する朝のことであっ た。父に別れを告げた。父は玄関口で無言であった。「父上、ひとことお言葉ください」とぼくは頼んだ。
すると、父は石段の上からぼくの顔を見下ろして、「God bless you! 」とだけ言った。
それが父から受けた最初にして最後の祝福であった。父は父自身のぼくへの意志を 表明しなかった。一切を神の意志にゆだねた。そう言って、父は自分の手元からぼくを送り出した。
一切を神の意志に委ねたという宣言の結果、ぼくは見えざる神の手に無限に束縛さ れることとなった。少なくとも、ぼくはそう実感した。父の意志や、父の束縛に対してならば、反抗もできる。だが、無限の超越者の意志の下に引き渡されたと なると、反抗のしようもない。神のまえに如何に素直に、かつ真実に生きるか。
わがままなぼくだけに、God bless you! の言葉は、ずしりと重く感じられた。
あれ以来、問題に直面するたびに神の意志をあおいで行動するようになった。とい うよりも、神が見えないとはいえ、神に対しておのれの行動の責任を取る用意があるかどうか。自分の行動の申し開きをする覚悟があるかどうか、を考えるよう になった。
God bless you! の一言は、ぼくに自己責任の自覚をうながすことになったのである。
他方、神に祝福されてきたからこそ、いわゆる世の中の定職定業がないようなぼく でも、今日まで無事に生きてくることができた。ぼくの半生は、けっして順風満帆ではなかった。むしろ逆風破帆の航海つづきであった。しかし難破しなかっ た。かえって、さまざまの教訓と知恵を学ぶことができた。これは、God bless you! の恩恵である。
神への祝福を信じて書き綴った最初の著作は、当初『ユダヤ人の特性とユダヤ教』 と題していたが、出版社のネーミングで『ユダヤ人はなぜ優秀か』となった。あれ以来、著書を10数冊も世に送ることができた。あの本は、初版出版と同時 に、父の創設したキリスト教グループで禁書に付された。そういう事件もあって、ぼくはあのグループから離脱した。結果としては、ぼくは自由を得た。これ も、God bless you! の祝福の一部であった。
神の祝福は、人間の望む通りの方向には行かないかもしれない。だが、祝福を信じ て進み行けば、きっと最善が実現する。これからも、お互いに祝福を祈りあいたいものである。
ユダヤ思想のもう一つの着想(雅歌1章) 手島
佑郎
「歌の中の歌、ソロモンのものといわれる。 (女) 「あの方がその口で数々の接吻の中から私に接吻してくださればよいのに」 (囃子)「あなたの恋人らは葡萄酒よりも麗しい」(雅歌1:1 直訳)
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このところ大勢の人と出会う日々が続く。人に出会うことは刺激も多いし、啓発さ れる。
ただし、不器用な私は人前で話すとなると、事前準備が要る。同じテーマで話す場 合でも、毎回、今度はどう話したものかと、少なくとも丸1日あれこれ思案する。いまだかつて私は自信満々で人前に立ったことは一度もない。いつも無事に目 的を遂げられるようにと祈る。会議で質問する場合でも、心臓がキューンと締めつけられるほどにアガル。
とりわけ新しいテーマで話すとなると、たとえ2時間の講演でも、4〜5日それに かかりきりで思考をこらし、データをひっくり返し、資料を点検し、思い悩む。ときには準備万端できたと思うこともあるのだが、間際になると、またあれこれ 不備に気付きはじめる。そこで再び資料をひもとき参照し、考え直しはじめる。こんどはもう時間がなくなる。けっきょく不安のまま愚見を陳述するはめにな る。毎回のトーラー研究会もその連続である。
以上を勘案すると、トーラー研究会で「雅歌講義」を始めたとき、これは無謀の極 みだと思った。なぜならば、「雅歌」は、聖書とはいうものの、じつは「雅歌」が華麗奔放な恋愛詩だからである。それに、私が永年これを愛読してきたとはい え、どう雅歌を紹介してよいか、方向が決まらないまま雅歌講義に乗り出してしまった。
では、なぜ雅歌の講義をするのかといえば、私が雅歌を取り上げないなら、雅歌の 世界にふみこむ者は今後も日本では出ないだろうと思ったからである。
私の恩師ラビ・アブラハム・ヘシェルは「Being is a blessing. (存在すること自体が祝福である)」と教えられた。
雅歌という詩が世界に存在しているということ、それは世界に祝福をもたらす。現 在のところ、我々にとって雅歌は聖書に収録された1叙情詩にすぎない。それは、あたかも海底の真珠、または研磨されていないダイヤモンドのようなものであ る。では雅歌を掘り出して研磨すると、どんな輝きが出るか。わたしはそれに挑戦したくなって、雅歌の公開講読を決心した。
襟を正して雅歌を読み始めてみて驚いた。山また山、谷また谷である。表面的な詩 のことばの背後に幾層にもわたって、さまざまの意味が隠されている。その深遠さは旧訳聖書の冒頭の「創世記」のはじめの部分に匹敵するほどである。
「雅歌」というのは原文を直訳すると「歌の中の歌」である。「歌の中の歌」とは どういう意味か。ラビたちはいう「歌の中の歌とは、最も神聖な歌という意味である。これは人間の男女の恋歌にたとえて、神とイスラエルの民との信頼関係を 歌い上げた詩である」と。但し、最初からこういう見方が確立していたわけではない。多くのラビたちは雅歌を通俗的な恋愛詩として蔑視した。雅歌が正式に聖 書に収録されたのは西暦90年である。当時、すでにユダヤの国はローマによって滅ぼされ、ユダヤ人は国家を失った状態で今日のパレスチナに住んでいた。
荒廃した国土を前にして、国民の士気高揚のために必要なことは、希望を回復する ことであった。だが、疲れ切った国民に「希望をもて! ユダヤ精神をもて!」と檄をとばして、それで希望が回復できるわけではない。
そういう状態のときに、時のユダヤ教のリーダー、ラビ・アキバは、希望の回復と は、神への信仰の回復が土台でなければいけないと気付いた。信仰の回復とは、神への信頼の回復であり、信頼の回復とは愛情の回復であり、愛情の回復のため には、最初に出会ったときの純愛の記憶の回復から始めなければならないことにも気付いた。
一般に人々は、信頼がないのであれば愛はないと考える。だが、ラビ・アキバは、 愛がなければ信頼もありえないということを、彼の体験の中から知っていた。
というのは、アキバ自身が大恋愛の末、愛妻ラケルと結婚した経験をもっていたか らである。それに、妻の忍耐と献身によって信仰を発見し、妻の無私な愛に支えられて学問と真理探究に励んだという経験をもっていたからである。
愛は人を励ます。愛は人を支える。愛する者からの愛を感じるものは、絶望の中で も絶望せず希望を持ち続ける。愛は人を許す。愛は人をつつむ。愛する者からの愛の視線を感じる者は、愛の期待にこたえて自分を高めようと努力する。
見える人間同士でさえも愛が信頼の絆である。そうだとすれば、見えない神に対す る信頼となると、なおのこと愛が先行するのではないか。もし宇宙を創造した神からの愛の迫りの気配をおのが身に感じるならば、人は絶望を停止し、創造と建 設にむかって歩むのではないか。
神の愛をどのようにして人々に教えるか。それには、誰でも経験する恋愛のロマン チックな感情に仮託して、神と人間との信頼を描いた雅歌が最適だと、ラビ・アキバは思った。
雅歌の冒頭の書き出し、「あの方がその口で数々の接吻の中から私に接吻してくだ さればよいのに」という願望は、時間・空間・年齢を超えて人々に共鳴共感をよぶ。
恋は若人だけのものではない。老いた者といえども、その胸の内には若い日の感情 がまだ高鳴っている。その若い感情をよみがえらせて、さながら恋人に逢うごとく、神を恋い慕えと、ラビ・アキバは教えたのであった。
いとしい相手に出会いたい情動は、ぬばたまの夜の闇を駆け抜けてでも走る。同時 に、暗黒の闇の壁をこえてでも、いとしい者があたかも側近くにいるかのように、その臨在を感じとることができる。神に祈るというのは、そういう感情をわか せながら天を仰ぐことなのだ。
神と人間の愛の関係は、極上のワインがふんだんに供される祝宴の比でない。神と の出会いは最高の幸福をもたらす。だから、神のそば近くに進み出て、神から直接接吻をもらうべきだと聖書は勧めるのである。神から直接語りかけられる経験 をする時、人は何が真実かを発見できる。
以上は雅歌の冒頭の第1節の解説のほんの一端である。
聖書も、人も遠くから眺めているだけでは分からないことが一杯ある。不器用で も、身体ごと自分でぶつかって行けば、新しい視点が開かれ、新しい着想がわく。そういう意味で、雅歌は私に固定観念の排除を教えてくれる絶好の書物であ る。
汝ら上りゆくなかれ、また戦うなかれ 我なんじらの中に居らざればなり(申命記1章 45節)。 ‥‥‥‥ 汝の神エホバ汝が手になすところの諸々の事において汝らをめぐみ、 汝がこの大いなる荒野を通るを看そなわしたまえり、 汝の神エホバこの40年のあいだ汝とともに在したればなり。 (申命記2章7節)
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信仰ということに関して、神仏にお願いや依頼することばかりだと思っている人が多い。信仰には確かに そういう一面もある。だが神と人間の関係はそう単純ではない。
聖書によれば、神がこの宇宙を創造した。そして「神の栄光は全地に充つ」(イザヤ書6:3)といっ て、神の偉大な力が全世界に充満していると考える。これを神の遍在という。仏教でも万法一如といって、すべての存在は仏性で満ちていると、似たような考え がある。
草・木・山・川・海・空・生き物などすべての自然も神(仏)の超越的な力で満たされ、支えられている。 このことに気がつくと、自然を眺めるたびに神の超越的な力をたたえ、かつ自然を大切にとりあつかうようになる。
自分は神仏とは無関係だと考えている人は、神不在の生活である。人間の側から神と無縁宣言をしたから といって、神がことさらに意地悪をするわけではない。だが、無縁宣言をしている者がやにわに神仏に助けを求めても、これは聞き入れられまい。
神と良い関係を維持したいと思うならば、日頃から神のほうにむかって、神の前で礼拝し、神と対話して おくことである。神は見えないとはいえ、対話を求める者には語りかけ応答する。聖書の詩人はいう「我つねにエホバをわが目の前に置けり」と(詩篇16: 8)。今日すぐに応答がなくても、心をこめて祈りに没頭する者にはかならず神は応える。仏教においても、キリスト教においても、イスラム教においても、真 剣に祈る者には神は永遠の世界から応答してくる。そこに神の臨在の世界がある。
臨在から一歩さらに進んだ次元の関係が、神との共在である。喜びも悲しみも、雨の日も晴れの日も、順 境のときも逆境のときも、神が我々と共にいるから心強く前進できる。「エホバわが右にいますゆえ、われ動かされることあらじ」(詩篇16:8b)である。 神と腕組みして歩く。暗黒の夜道をあるくときでも転倒する心配はない。イスラエルの民がシナイ半島の荒野を40年彷徨したにもかかわらず、生活に不自由し なかったのは、ひとえに神がかれらを伴って保護してくれたからである。
しかし 、保護されているというのは、あくまでも受け身である。保護されている身分では大きなプロジェクトの達成は出来ない。大きなプロジェクトは積極果敢な行動 で取り組まなければならない。それには、神的な生命力がわれわれの内奥からこみあげて、我々を目標にむかって駆り立て、われわれの内側からエネルギーが爆 発するような状況が望ましい。つまり、神の内在である。 これは神と人との呼吸がぴたっと 一致していないと難しい。
今回読んだ申命記の箇所がその一例である。アモリ人との戦いを前にしてイスラエルの民はいったんひる んだ。そのために神は「汝ら上りゆくな、また戦うな。我なんじらの中に居らざればなり」(申命記1:42)といって、たとえ戦闘に出ても敗北するぞと警告 した。神がかれらの間に内在しないのに、民は出陣する。だが結局かれらは無残な敗北を喫す羽目になった。
神の内在、それは神がわれわれの内燃機関となって我々をうごかす関係である。わずかでも歯車の掛け合 わせや調子が狂うと、神の内燃機関は起動しなくなる。神の発動は、神本位の呼吸で可能なのであって人間本位の思惑では実現できない。どこまでおのれの自我 を抑えて、神の意思に自己をゆだねるか。これは霊的に無私な人にしてはじめて可能なことだ。これをキリスト教の使徒パウロのことばで表現すれば、「もはや われ生くるにあらず。キリストわがうちに在りて生くるなり」(ガラテヤ書2:20)である。
禅宗の六祖・慧能のことばを借りるならば「我心自有仏、自仏是真仏」である。わが心のなかに自ずと仏 があり、自分という仏こそ真の仏だという境地である。そこには人間的計らいは一切ない。自我がよけいな作用をしないから、まことに自由自在である。
だが、神と人間との関係は神の内在だけに終わらない。究極的には人間という存在が神につつまれてし まって、神の内部に圧縮されてしまうもうひとつの次元がある。神に包まれるとその強大な力に圧しつぶされて、人間の自我は無になってしまう。そこではもは や人間の自意識は作用せず、神の意識、神の力だけが圧倒する世界となる。これは神の包在であるる。一切の真理が荘厳なすがたを表わし、作為も不作為も昇華 してしまう。神の包在という名称は私の造語だ。六祖のことばを借りれば「作無所得、是最上乗」である。
イスラムの神秘家も、ユダヤ教の神秘家も、キリスト教の神秘家も、そして仏教の究極の境地も、もろも ろの高等宗教のおそらく行き着く目標は、そういう絶対無我の境地である。
この神人一体の境地を、神秘主義では unio mystica(ウニオ・ミスティカ、神秘的合一)とよぶ。宗教生活はここに至ってようやく一応の完成をみる。
申命記がめざした理想もそこにある。だからこそ、申命記は「心を尽くし精神を尽くし力を尽くして汝の 神エホバを愛せよ」と命じるのである。愛は一体化の作業である。
しかし現実には、人は神との共在のレベルにすらなかなか到達しない。もっぱら神不在のまま好き勝手な 行動ばかりしている。ふだんから礼拝に参加していても神の臨在にふれる人は稀である。ましてや、神の内在、包在となると、これを体験できる人は滅多にいな いのも事実である。
宗教ということは、見えない神を信じるかどうかの問題だけではない。人間として充実した内面生活を送 るかどうかの問題でもある。
申命記はそのための最良の方法として神との協調の意義を提唱しているのである。日常の社会生活のみな らず、精神的内面的霊的生活においても我々は改善向上を遂げるものでありたい。
もし夫が昼から昼にかけて彼女に沈黙に沈黙しておれぱ、彼は妻がみずから実行し始めたすべての誓願、またはすべての物断ちを実行さすべし。なぜならば、彼 はそれを聞いた日に彼女に沈黙していたのだから。もし夫がそれを聞いた後になってそれを覆しに覆すならぱ、彼は妻の罪を負わねばならない。 (民数記30章14〜15節 手島訳) |
地球上の大半の生物は、オス・メスの区別がある。
オスが先か、メスが先かといえば、魚類の中のクロダイの場合は、幼魚のときはオスだが、成魚になると 集団の必要に応じて、一部の個体がメスに性転換する例もある。
ヒトの場合は、発生学的に見ると、オスからメスヘと転換するのではない。メスの不完全個体がオスにな るのである。具休的には、メスの個体を育てるホルモンが遺伝子の不完全さによって抑制され、メスの身体的土台からオスが誕生するのである。種の保存のため の補助的機能としてオスがつくり出されるのである。
ホモサピエンス(ヒト)種族の母集団はメスである。ということは、メスは、メス集団を維持するのに必 要な数のオスを生むのである。つまり、メスが十分に選択できるだけの数のオスでなけれぱならない。そのため、ヒトのオスはメスの数よりも多い。これは、生 物としての必然なのである。
それゆえ、ヒト社会におけるオス同士の競争は、メス同士の競争以上に熾烈なものとなる。人間社会では 通常オスは、オトコこそ偉いのだと威張っている。だが、生物学的に見ると、オトコが威張れる相手は、生存競争に負けた他のオスに対してであって、ホモサピ エンス種族の主流であるメス(オンナ)に対してではないのである。
なぜヒト社会ではオスが威張るようになったのか。一説によると、オトコが屋外で生産労働をし、オンナ は専ら家事などの軽い労働しかしていないからだという。しかし労働という点では、オンナも農作業などには積極的に参加しており、男女の性差による軽重の判 断は妥当でない。
オトコがのうのうと威張る理由は、人類の出現以来、ヒトのオスが集団を外敵の襲撃から守ったり、戦争 に出陣するなど、危険度の高い任務を担ってきたからではないだろうか。反面、無事平穏のときは、家にいて悠然と休息することがオトコの習性となった。
これは、人類以前のサル時代からの習性かもしれない。ボス猿はふだんは群れの中央にいて、悠々と暮ら す。いったん群れに危険が迫ると、ボス猿こそ戦いの先頭に出て、群れを相手の攻撃から守る。ライオンの群れなどでは、獲物を調達するのはメスの役割で、オ スは戦闘と生殖だけに励む。サルでもライオンでも戦闘能カと生殖能カに劣るオスは、メスから見放されてしまう。ヒトは、ボスでなくてもオスが威張るように なった点で、他の動物と大きくちがっている。
他方、ヒトのオスは、社会的責任というものを担いはじめることによって、動物のオスとは異なってき た。ヒトは、休カ的に他の動物に劣っており、単独では生きられない。それゆえ、必然的に社会を構成せざるを得なかった。そして、体カの劣勢を知カと社会性 とでカバーしてきた。
社会構造が複雑化するにしたがって、知カの差が社会秩序を決定するように変わってきた。しかも、オト コが社会の防衛と存続の主カを構成するために、オトコ同士の取り決めや約東事が社会を支える秩序の基礎となり、次第に男子優先社会となったのであろう。
その名残が、女性への参政権承認である。民主主義先進国イギリスで女性に参政権を認めたのは1918 年、アメリカ1920年、フランス1944年。最も民主的なスイスに至っては1971年であった。
オトコが社会を支えているという意識の強さに比例して、女性に政治参加を認めることへの抵抗があった ものと見える。中東には、いまだに女性に参政権を認めていない国々もある。
対照的に、ニュージーランドやオーストラリアは、植民地として出発したために古い歴史的しがらみが希 薄であった。それぞれ女性への参政権を1893年、1902年に認めている。
聖書が綴られた古代ユダヤ社会も、男子優先の社会であった。ただし、男子には奏を扶養する義務がある ことを明文化していた(例、出エジプト記21:10-11)。ユダヤ教では、現代でも妻には夫の遺産相続する権利や認めていない。遣産は息子たちが相続 し、かれらが母親を扶養する。
では、聖害時代のイスラエルの女性たちには社会的権利が無<、日陰の存在であったのか。
実際は、その逆であったようだ。聖書の中の鮫言という客物は、女性賛歌で結んでいる。「実カある奏を だれが見つけようか。彼女は真珠よりもすぐれて車い。その夫の心は彼女を信頼し、収益に欠ける二とはない。…彼女は畑をよく考えて買い、そ の手の働きの実をもってブドウ園を植える。…彼女はその商品の良さを理解している。その灯火は終夜消えることがない。彼女は手を糸取り棒に のべ、その手には紡錘をもち、手を貧しい者にひらき、乏しい人に手をさしのべる。…彼女は亜麻布を作ってそれを売り、帯を作って商人に渡 す。…その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う。『立派に事をなしとげる女は多いが、貴女はそのすべてに 優っている』と。
聖脅時代の女性たちは、夫や父親からの信頼のもとに、むしろ現代女性たち以上に自己の裁量で農作業を 計画し、自分の考えと見通しで商売もしていたのである。
ところで、先月読んだ聖害の箇所、民数記30章では、夫が妻の行動にかんして沈黙しておれば、夫がそ れを承認したものと看倣す、と規定している。
もし奏の行動に異論がある場合ば、妻が白分の予定や計画を語ったその日のうちに、夫は反対しなけれぱ ならない。翌目の日没後になって反対したのでは無効だと、夫の権限の限界さえも定めている。後になって反対した場合は、その責任は夫が負わなければならな いのであった。
この規走は、輿味深い示唆を与えてくれる。信頼とは、信頼する側も信頼される側も、無条件全面的に信 頼することであり、お互いが完全であると信じるから、無言で委せるのである。もし疑義があれば、直ちに確認すべきことであって、後で異論を唱えるべきでは ない。後で反対するのは、相手への信頼を欠くばかりか、自分の考えも把握しておらず、自分本位だからである。そういう夫に対して聖害は、婁の行為に途中で 反対した責任として罰金を払え、と命じている。
聖書は、アダムが最初に創造されたから男子優先だとは認めない。むしろ彼が不完全であることを気付か せるために、神はアダムを最=初に創造したのである。
モーセはイスラエルの子孫に命じた。いわく「これは君たちがくじによって所領すべき地である。エホバはこれを9部族と(マナセ部族の)半部族に与えよと命 じた。なぜならば、ルベンの子孫の部族はかれらの父祖の家に応じてかれらの所領を取った。ガドの子孫もかれらの父祖に応じて、またマナセの半部族もかれら の所領を取った。2部族と半部族はかれらの所領を、エリコのヨルダンの渡し、東方の真正面に取った」 〜 民数記34章13〜15節 原文より手島訳 〜 |
2003年9月にパレスチナ自治政府のアッバス首相が辞任にして以来、和平交渉再開の前途に暗雲がた ちこめている。彼はパレスチナ各派を説得して、1993年にオスロ合意(パレスチナ暫定自治原則の合意)を成立にまでこぎつけた中心的推進者である。アラ ファトはそのお膳立ての上に乗っていたにすぎない。だからこそ、アッバスの登場にイスラエルのシャロン首相も期待していたのであった。
しかし、そこには誤算が2つあった。
第1に、イラク戦争が終結したものの、戦後の秩序回復が当初の予想に反していまだ混乱のまま、占領軍 への抵抗と自爆攻撃が続いていること。もし、米軍主導下にイラクの国内秩序がすみやかに回復すれば、アラファトも自治政府の秩序強化に乗り出さざるを得な いであろうと、イスラエル側は期待していた。そういう国際情勢の下であれば、アッバス首相が動きやすいであろうという筋書きを読んでいた。だが、イラクに おけるテロの頻発と米軍の無力さを見て、アラファトはハマスの自爆テロを取り締まるどころか、むしろ支援しはじめる方向へ走りはじめた。
第2に、アッバスが首相に就任したものの丸腰であったこと。イスラエル側の常識では、首相になるとい うことは、軍事・警察の両方を指揮統括できる権限を入手することである。だが、アラファトはそのいずれの権限もアッバスに譲渡しなかった。そのため、イス ラエル側は為す術もなく、パレスチナ自治政府の権力闘争を傍観するだけの事態に追い込まれた。
平和というものは、武力行使をするかどうかは別としても、武力を背景にしなければ実現できない一面を もっている。「武」という文字がその経緯をよく物語っている。「戈を止める」のが「武」なのである。
たとえば、フランス革命後の混乱はジャコバン党の独裁と恐怖政治を生んだ。テロという言葉はここから 始まった。今日のイラクの混乱とそっくりである。そのテロの連続に最終的なピリオドを打ち、フランスに秩序回復をもたらしたのは、ナポレオンであった。
卓越した軍事家の不在、それが中東の混乱と不安定の大きな要因である。
第3者から見ると、パレスチナの場合、双方が武力行使を自粛すれば、明日にでも和平交渉が可能なよう に思える。だが、現実の当事者は、それぞれの事情で武力行使を自粛できない。
パレスチナ側は、イスラエルに侵略されたという思いが強く、抵抗してでもイスラエルを排除したいと願 う者が後を絶たない。小石の投石から自爆テロまで、さまざまの抵抗を試みる。イスラエル側は、パレスチナ・テロに加害されたとの被害者意識が強く、報復し ないと甘く見られると信じ込んでいる。かくして、相互に勝敗の決着がつかない小規模な報復のくり返しを続ける。そして、相互の憎悪だけが増幅拡大してい く。
憎悪は増幅拡大するだけではない。憎悪の神話化がはじまる。そうなると、憎悪が民族の歴史とDNAに しみ込んで、幾百年とつづく怨念に変化する。アラブ人にしみこんだ十字軍への怨念は、まさにその例である。
そうなる前に、いまイスラエルとパレスチナは早急に和平と信頼を確立しなければならない。
それにしても、約束の地、乳と蜜の流れる地カナンとは何なのか。神から約束された土地だという理由だ けで、ユダヤ人には無条件にあの土地に住む権利があるのか。
聖書を読んでみると、神の約束なるものが実に漠然とした内容であることに気付く。
神が最初ユダヤ人の祖先アブラハムに約束した創世記15章の記述では、「ユウフラテス川からエジプト の川まで」の広大な地域であった。これは現在のイラク中西部からシナイ半島北部のエルアリシュ川まで、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルを含む全地 域である。
2回目の約束の地の記述・民数記34章では、現在のシリア南東部、レバノン、ヨルダン川東岸、それに 南部のネゲブを除くイスラエルとなっている。
紀元前2,000年から前1,000年にかけて、レバノンを中心とするこれらの地域は「カナン」と呼 ばれていた。当時、これらの地域は、北のメソポタミア帝国、南のエジプト帝国にはさまれ、その時々の勝者に朝貢する属領であった。カナンの語源は、「カナ ア、屈服する」で、「属領」の意味である。いわば独立主権に乏しい空白地域であった。だからこそ、神はイスラエルの民にあの地を与えると約束したのであろ う。
だが、モーセの後継者ヨシュアが実際に取得したのは、南部を除くほぼ現在のイスラエルの領土にヨルダ ン川東岸を加えての地域でしかなかった。
なぜイスラエルは約束の地の全域を取得しないのか。この疑問に対する答は、民数記34章の1句にヒン トが隠されている。「君たちがくじによって所領すべき地を神はイスラエルの部族に与えよと命じた。ルベン部族はかれらの父祖の家に応じてかれらの所領を 取った」
彼等は約束の土地を相続したのではなく、腕づくで「取った」のである。神が与えると約束していたから といって、無条件にあの土地を取得できるわけではない。
神から最初に約束を受けていたアブラハムのように、ヘブロンの町の郊外の猫の額ほどの狭いマクペラの 畑を、銀400シケルという大金を払って購入した例もある。
約束の地を得るというのは、武力で占領するにせよ、話し合いで解決するにせよ、アブラハムのように原 住民と経済的解決で共存するにせよ、それは各自の力量次第なのである。
このことは、現在のイスラエル・パレスチナの紛争を考える上でも大いに参考になる。神は人間に約束や ビジョンを与えるものの、その実現に向かって神が介入するわけではない。神の加護があると信じて、目標に向かってやり抜く者だけが、目標を手に入れるので ある。
イスラエルもパレスチナも平和を望んでいる。しかし、どのように平和を実現しようとするのかという手 段や達成方法については、双方の考えや思惑が異なる。そのために平和が遠のく。
いま双方にとって大切なことは、平和達成のための手段や手続きについて、もっと視野を広げ選択肢を広 げることである。当面の利害だけを対立させ狭い選択肢を衝突させるから、和平への合意点が見つからないのではないか。
武力で解決できないだけに、もっと別の視点から和平を考える必要がある。そう思われる昨今である。
記憶と行動 (民数記15章) 手島
佑郎
「イスラエルの子らに語って言え。代々かれらの衣服のつばさにふさ(ツィツィート)を作れ。つばさのふさの上に青ひもをつけよ。それは、あなたたちにっと て目印(ツィツィート)となる。あなたたちは、それを見て、エホバのもろもろの命令を記憶し、それを行なえ。あなたたちは自分の心と目に追随してさまよう なかれ。そもそも、あなたたちは、それらに追随しては不倫するのだ」 (民数記15章38〜39節 てしま訳) |
先日2年ぶりで福岡の大国病院の人間ドックに入った。院長の大国篤史先生とは、20数年あまり親しく させていただいている。先生の専門は消化器で、医学博士として立派な研究業績をあげた後、郷里の久山町へ帰って開業された。
西洋医学だけでなく、東洋医学についても造詣が深い。患者の病状によっては、みずから鍼灸治療を施さ れることもある。先生が自然食品を重視しているので、大国病院の給食では有機野菜や新鮮な魚肉が出る。ドックに入るたびに、その美味な給食が楽しみであ る。そういえば、先生は、九州大学医学部付属病院が見放したご尊父の皮膚癌を、自宅の玄米食で完治させられた。
2年毎に私はそこで人間ドックに入る。理由は彼が名医であるからだけではない。彼の手にかかると、胃 カメラも大腸カメラもすっと入る。よく胃カメラを呑まされるのは苦しいというが、彼のもとでは私はそんな経験をしたことがない。彼は、内視鏡を巧みに操作 し、他の病院では見つけられない小指の爪サイズの胃癌でも見つける。2〜3ミリのポリープでも見つけてしまう。その場で、そのまま切除してしまう。予備検 査も何も要らない。
2泊3日のドック入院の間にレントゲンや血液検査はむろんのこと、超音波検査器(エコー)でカンゾ ウ、ジンゾウから、とかくエコーでは捕捉しにくいスイゾウやヒゾウまできちんと観察把握してくださる。先生が内視鏡で胃と大腸を検査されるときも、エコー 検査をされるときも終始、私もモニター画面に映る体内の映像を観察した。
十年ぶりに、大腸にポリープが2個見つかった。もちろん直ぐに切除してしまった。私の印象に残ってい たのは、大腸の一部が赤く充血していたことだ。原因不明ということであったが、今にして思えば、入院の3日前に、食べあわせが悪かったのか下痢をしてい た。その後遺症なのかもしれない。先生によれば、今回の私の検査結果では、いくぶん脂肪肝が見られたことと、前からある左腎臓の結石くらいが要注意であっ た。他には異常はなかった。
患者に負担をかけないこと。これが大国先生の信条である。だから、入院前日の夜8時まではごく平常の 食事をしてかまわない。今回も当日の朝、羽田から空路福岡へ向かった。病院がある久山町までは福岡空港から車で20分ほど。少し遅れたが、朝10時過ぎに 入院。
初日の昼前にレントゲン、エコー検査と胃カメラ検査があり、検査後には七分粥の昼食。夕食もたっぷ り。その後下剤をのむ。早くも夜中から通じがきた。さらに午前中、下剤2リットルを30分毎500c.c.飲む。最近は1リットルのペットボトル入のお茶 を飲み慣れているせいか、少しも苦痛でない。午後2時半から大腸カメラ、3時に検査終了。その夕方の食事は玄海灘の太刀魚の塩焼き。そして3日目の朝9時 過ぎに退院。10時の飛行機に飛び乗り昼すぎに羽田に帰着。
仕事も持っていったのだが、けっきょく検査の合間の時間は、こんこんと眠った。目が覚めても、物を考 える気にならない。書類へ手が伸びない。ひさびさに思考停止してしまった。
いわば、頭脳回路にも下剤をかけ、溜まっていた懸案を全部放念してしまった。ときどき頭を空っぽにす ることは、生体としての大脳にも必要な処置であろう。
僭越ではあるが、機会があれば皆様も大国病院の人間ドックを一度ご利用ください。
病院では、看護婦さんたちが手のひらに赤ペン、青ペンで沢山メモを書き付けていた。患者への投薬時刻 や、検査のチェック時刻、準備すべき用具や薬品名なのであろう。さまざまの作業を同時にこなすには、うっかりミスは許されない。
その様子を目にしたとき、私の脳裏にはユダヤ教の戒め「代々イスラエルの子らの衣服の翼にふさを作 れ」という一句が思い起こされた。「衣服のつばさ」とは、四隅のことである。四隅が尖っていることを、翼にたとえたのである。
ユダヤの礼拝では上半身をつつむ「タリート」という大型のショールをはおる。その四隅にはそれぞれ7 本の糸で編み、8本の糸をつるした房が結びつけられている。伝統を遵守するユダヤ人は、今も上着の下に貫頭衣型の小さいタリートを着用している。これら は、十戒をはじめ諸々の戒律をつねに記憶し、万が一にも神の命令から逸脱しないための記憶確認装置である。
人間は記憶する存在である前に、忘却する存在なのである。ドイツの心理学者エビングハウスの研究によ ると、人は20分で記憶した内容の40%を忘却し、2日後には60%を忘却する。1ヵ月も経過すると、良くてせいぜい20%しか憶えていない。
その中で記憶を行動に結びつけ、実践するとなると、いっそう確率が低くなってくる。なぜなら記憶を行 動に移すには、強力に意志を発動させなければならないからだ。大切だと記憶していても、行動を先延ばししたり、実践を放棄してしまえば、それきりである。
こういう点に、人間が人間と交際・交流・行動する社会生活の難しさがある。
ところで、ユダヤ人が使用しているタリートの四隅のふさの糸は、どれも青糸ではなく、白糸のままであ る。なぜ命令通りの青糸でないのか。
青は天空の色、それは神の玉座の色だと言われている。イスラエルの民に神のように神聖な存在になって ほしいと期待したから、青色の目印をつけよと命じたのである。
だが、だれもいまだ神の玉座を直接に見た者もいない。だれもそこに近づけるほどに自分を浄化し神聖に したわけではない。ということは、ひとくちに青色といっても、ほんとうはどういう青色なのか不明のままである。よって、ユダヤ人たちは、ふさの糸を白い無 地のままにしているのだ。いつの日か理想の水準に達したときに、全員で衣のふさを青色に染めようと誓っている。
その日まで、はてしない精進が課せられている。そのためにも、おのれの五体をつつがなく維持すること が大切である。私の恩師、ラビ・アブラハム・ヘシェル先生は、「我々の身体は、神に奉仕するための器だ。信仰も、理想も、行動も、身体が健康であってのこ とだ。身体を大切にしようよ」と、1972年の初冬、ブロードウェイを歩きつつ私に言われた。
記憶と行動と健康、この3つの意義をかみしめる昨今である。
( 民数記19章9節 ) |
だが、そのヘブライ語原文を日本語に翻訳するとなると、これは私には容易な作業でない。
原文のもつ微妙なニュアンスの陰翳を、どう日本語で伝えるか。適当な訳語がすぐに見つかればいいが、 そう一筋縄にはいかない。目、耳、鼻、手、足などの単純な名詞は、すぐに該当することばが見つかるものの、生活習慣や風俗に関する用語となると、そうはい かない。日本人とユダヤ人とでは生活習慣も風俗も文化もちがうからだ。
たとえば、冒頭に引用した一節の末尾にある「罪祭」という訳語。日本語としてはおよそ意味不明であ る。おそらく漢訳聖書から借りたのであろう。ヘブライ語では「ハタット」、英語では「sin-offering」である。罪を神にあがなってもらうために ささげる供物の意味である。
現代では「あがなう」という日本古来の日本語さえも理解できない人が増えている。物品や金銭を支払っ て、負い目を帳消しにしてもらうことである。身代金を払って人質を解放したり、質屋に質入れしていた物品を代金と引き替えで取り戻す。あれが「あがなう」 という行為だ。
もっと難しいのは、感情や価値観をあらわすことばだ。たとえば、「あわれみ」を意味するヘブライ語 は、「ラハミム」である。これは、「レヘム、子宮」という言葉の複数形である。子供をいとおしみ思いやる母親の愛情こもった深い慈悲である。漢字では憐憫 の「憫」か、不愍(ふびん)の「愍」がこれに近い。気の毒におもって、積極的にいつくしむ心である。「慈愍」と訳すべきであろう。これは、悲しみとか悲哀 といった消極的な感情の「哀れみ」ではない。
「トブ、よい」という言葉も多彩な意味がある。善悪の善だけでなく、転じて「良いこと、恵み、富、幸 運(トゥブ)」などの意味もある。「ラア、わるい」も「悪、不幸、災害、疫病」といった意味がある。文脈によって日本語への訳出の仕方がちがってくる。
というよりも、こうした総合的な言外の意味( connotation カノテーション) があることを承知のうえで、それも含んだ訳語の選定がのぞまれるのである。
翻訳のさい、単純に辞書で訳語を探すようなことはしてはならない。英和辞典でさえも、訳語の適切さが 信頼できない。ましてや、言語学者でも、日本語学者でもない素人集団が作ったヘブライ語・日本語辞典など滅相もない。いい加減な訳語は人を誤解へと導きか ねない。
では、どうするか。ヘブライ語の文を訳すさい、私はヘブライ語・ヘブライ語辞典でその単語のあらゆる 使い方を味わう。その上で、その文章がどういう意図を伝えようとしているのかを考える。そして改めて、特定の単語の意味やニュアンスを吟味する。それか ら、私は国語辞典をひもとき、該当しそうな日本語表現をさがす。たいてい、それでは満足できず、漢字辞典を開き、漢字で類語を追跡し、できるだけ原文の ニュアンスを伝えるに近い熟語や用字をさがす。
その一例が、冒頭の文章の中の「監護」ということばだ。原文では、平易な「レミシュメレット、まもり のために」という単語であるが、単純な保存や保管ではない。これは「警備、警備当番、監督、夜警、歩哨」といった、厳重な警備の意味なのである。
こんなわけで、翻訳には大そう苦労する。だから、私はめったに翻訳を引き受けない。
私は、できるだけ議論の口数を少なくして、それよりも原文のニュアンスが日本語でそのまま伝わるよう な仕事をしたいと願う。
ところで、先月のトーラー研究会でとりあげた「赤い牝牛」だが、古代イスラエルでは、死体にふれたさ いのケガレを洗い去るには、赤い牝牛の灰をまぜた水を使用していた。
これも日本人にはまったく無縁なテーマに見える。だが、タブーはどの民族にもある。たとえば、日本で は葬式から帰ってくると、浄めの塩をまく。神道のお祓いでは、サカキの枝を使う。
北欧のキリスト教徒が、クリスマスのとき家のドアにリーズ(木の枝の環飾り)を吊すのも、もとは魔除 けの習慣だったのである。
赤い牝牛に関して、ユダヤ教の説話には以下のエピソードが残っている。
あるとき、異教徒がラビ・ヨハナン・ベンザッカイに議論をふっかけた。
「ユダヤ教って、魔術のようですね。牝牛を焼いて、その灰を取る。死体にふれてケガレた者が出ると、そ の灰の水を2〜3滴ふりかけて、『これで浄められた!』と宣言するでしょう」
ラビ・ヨハナンが尋ね返した。「あなたは、悪霊に取りつかれた人を見たことがありますか」
「はい、ありますとも」「そんな時、あなたたちはどうするのですか」「私たちは木の根を集めて、その狂 人の下で根を焚いて、煙で彼をいぶし、それから水をかけます。そうすると悪霊が逃げ出し、狂人は生気にかえります」 ヨハナンは言った、「じゃあ、同じこ とではないですか。ユダヤ教では水をかけるだけで、ケガレた霊が去るです。ユダヤ教のほうがあなたの宗教よりもまさっていますね」
その異教徒が立ち去った後で、ヨハナンの弟子たちが先生に言った。「あの男は、あんな間に合わせの説 明で納得しましたが、我々はそうはいきません。本当のことを教えてください」
ヨハナンは答えた。「君たちに誓っていうが、死者がけがすわけでも、赤い牝牛の灰の水が浄めるわけも ない。これは神が命じた掟なのだ」 つまり、赤い牝牛の灰の妥当性や合理性については議論すべきではない。これは斯く信じ、斯く行なうのみだと答えたので あった。
ところで、なぜこの箇所だけ牝牛なのか。ユダヤ教の他の犠牲用の家畜は、いつも雄なのに。
ラビ・アビウがこの疑問について、次のように説明している。
「王様が召使女を使っていた。彼女には子供がいた。その子が勝手に宮殿に入りこんで、宮殿を汚した。そ の場合、王様はどうするか。彼女を呼び、宮殿を掃除せよと命じる。
同様に、神様は命じられた。『牝牛を引き出して、金の子牛の事件のつぐないをさせよ』と」
エキソダスのさい、イスラエルの祖先たちはシナイ山のふもとで金の子牛の偶像を作って、それを礼拝し ようとした。その罪のつぐないとして、ここに赤い牝牛が登場したのかもしれない。
何はともあれ、文化のちがう世界をつなぐというのは、傍で見ているほど簡単ではないのだ。
平等ということ (民数記16章) 手島
佑郎
「あなたたちには多大なことがある。全共同体の成員全員が聖なる者たちである。かれらの ただ中にエホバがおられる。なにゆえ、あなたたちはエホバの会衆の上に君臨するのか」(民数記16章3節) |
近代という時代は、2つの理念をその思想的基盤としている。自由と平等である。
「自由」という概念自体は、奴隷制度が当り前だった古代社会にまでさかのぼる。しかし古代社会におい ては、自由とは、個人の権利ではなく、社会的身分の別名であった。自由市民か奴隷かの区別であった。
中世封建時代には、市民は領主に抑圧され、商工業者も農民も領主に隷属する存在と化した。 その後、 近世になって、経済的実力をつけてきた市民が、封建領主の束縛から脱却しようとして、領主に自由を要求し始めた。自由が認められないと、新興勢力は旧勢力 に対して自由を認めさせるべく実力行使に訴え、対等を主張した。時として、それは過激な革命に発展した。
そこから、人類の歴史上いまだかつて無かった新しい理念・「平等」という考えが誕生した。人は、男女 貴賤貧富のへだてなく平等であり、平等の権利を有するという思想である。この考え方を最も直接的に表現したのは、米国の独立宣言やフランス革命の人権宣言 である。以後、次第に人間平等の考えは世界中に浸透しはじめた。
政治体制が民主主義であれ、共産主義であれ、その拠って立つ基盤は「平等」という思想である。民主主 義であるか、共産主義であるかは、権力構造の選択の相違にすぎない。
独裁政治や王政の国々の権力当事者においてさえ、人間平等を否定する者はいない。ただし、人間そのも のの尊厳と政治権力の保持とは別個のものであると彼等は言う。中には、人々の尊厳を守るために自分は権力保持をしているのだと釈明する者もいる。
一部の例外もある。アフリカの黒人イスラム社会には、今なお奴隷制度が現存している。それ以外の地域 でも、様々な差別と虐待が横行している。だが、世界全体の傾向としては、人間は本来みな平等なのだということを認める方向にむかいつつある。
民主主義といえば、古代アテネにおいても実現していた。しかし、あれは、都市国家の重要事項を市民が 共同で決定するという政治体制であって、権利の平等というよりも「義務の平等」に重点を置いていた。とりわけ兵役の負担であった。戦時には都市国家の防衛 のために市民全員が一致団結して軍務に服さねばならなかった。ソクラテスも自分で武器を購入し、費用自弁で戦争に出征していたのである。それに、女性や奴 隷には市民としての政治権利はなかった。
アテネの民主主義は、近代的平等とは程遠かった。人はみな平等な存在であり、人はみな平等に社会の便 益を享受できる権利をもつという内容ではなかった。
ことばは同じでも、中味がちがう。そこに歴史認識の難しさもある。その意味では、近代とは近代的自由 と近代的平等の理念の上に成立する社会であると、ここに定義し直しておこう。
旧約聖書を読んでみると、上記近代感覚で平等を論じようとしている記事に1件だけ出会う。
エジプト脱出後1年あまり経ったとき、トップリーダーであるモーセに対して、従兄弟のコラが挑戦して きた。その挑戦の文句が本号冒頭の一句である。コラは、モーセとアロンに対して、「なぜあなたは人々の上に君臨するのだ。皆ひとしくエホバの聖なる民では ないか。神の前では人はみな同等であり平等である。だから、特定の人物が全員を支配する地位を占めるべきではなく、威張るべきでもない」と詰問した。コラ の主張は、まことに近代的であった。コラの鋭い舌鋒の前に、モーセは返す言葉もなく、いったんは沈黙し、うなだれてしまった。
コラの論理を正面から切り崩すのは容易でない。この種の議論への反論は慎重を要す。まず、全員平等を 認めることである。つぎに、全員平等ではあっても、トップ辞任後の後任トップの選出はどういう方法を取るのかを質問してみることだ。案外、そこまでは考え ていない。
さらに、次の指導層によって現在のどの問題が解決される見通しなのかを尋ねてみるがいい。政権交代を 狙う人々は、現状批判をしても問題解決方法まで準備しているわけではない。大抵、この段階で革命者の理論は崩れる。だが一般には、そこまで議論を追及する 論客もいない。
しばらく考えて、やおらモーセは立ち上がった。人間同士で争っても埒があかない。それよりも、任命権 者である神自身に、本当はだれを神が選ぶのか、再度直接指名してもらうことにしようと、逆提案したのである。これにはコラも同意せざるを得なかった。
ユダヤ教のラビたちは、コラの挑戦は建て前と本音が乖離していたと、指摘している。すなわち、本音は 権力闘争であり、自分の置かれている序列への不満であった。コラは、モーセと同じくレビ族で、共にその中のコハテ家に属していた。コハテ家の本家アムラム の次男モーセがイスラエル全体の首長となっているのは、彼がエクソダスを企画実行指揮したのだから認めざるを得まい。また本家アムラムの長男アロンが祭司 を務めるのも容認せざるを得まい。
だが、本家だからといって、2つも要職を独占していいのか。俺にも1つ与えるべきではないか。俺はコ ハテ家中序列第3位、第1分家イヅハルの長男だ。せめて自分がレビ族全体の代表に指名されるべきだ。しかし、レビ族全体の代表に指名されたのは、自分より も下の序列のエリパザン。奴はコハテ家中序列第7位、第3分家ウジエルの次男だ。
コラは彼の個人的不満を隠し、公共性の高い平等論にすり替えて、モーセ非難キャンペーンを張った。だ から、自分からモーセやアロンに取って替わりたいとは言えなかった。2人が上位を独占していることを非難できても、下位のエリパザンが代表に選ばれている ことを直接不満だとも言えなかった。ましてや、アロンに替わった場合、彼に何が出来るかも言えなかった。
コラは、自分と同じ様な不満をもつルベン族の本家エリアブの当主ダタン、アビラムたちも反モーセ運動 に巻き込んだ。だが彼等の関心は、もっぱらカナンでの相続できる領地の保証と保全に集中していた。そのため、コラと行動を共にするほど利害が一致はしてい なかった。
結局、コラとダタンの連盟は決裂する。それにコランもダタン、アビラムも失脚してしまう。
平等は誰しもが願う人類の理想である。だが人間自身の手でそれを実現するのは甚だ難しい。仮にコラが モーセにとって替っても、それはまた新しい不平等を引き起こしたであろう。結局、人それぞれが天職に邁進し、自ずと収まるべき位置に落ち着く。これが社会 の法則なのだろう。
2人の友人 手島 佑郎
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ヘブライ大学留学中、2人のアメリカ・ユダヤ人学生と親しくしていた。ど ういう経緯で友人になったのか定かに覚えていない。ゼミや講義に出ていたからであろう。今にして思えば、2人との出会いが私の人生に大きな影響を与えてい たことに気付く。
第1に、彼等の日常の敬虔さが私にユダヤ教への理解の入り口を開いてくれ た。
当時、イスラエルに憧れて来たとはいえ、私はユダヤ教に対してはキリスト 教的偏見を持っていた。ユダヤ教は律法に縛られ因循姑息な宗教で、キリスト教に劣るものだ。だから、呪文みたいな祈祷書を読むだけの、形式的礼拝しかしな いのだ。そう思っていた。
それに、イスラエルではかならずしも国民全員がユダヤ教の戒律をきちんと 守っているわけではなかった。強烈な社会主義思想のシオニストたちが中心となって建国して間もないイスラエル社会では、むしろ宗教的伝統への蔑視や軽視の 風潮が強かった。聖書学科の学生の大半も、宗教嫌いの面があった。今ではそうでもないが、当時は普通のユダヤ人大学生の男子で、ユダヤ教徒のシンボル、頭 を覆うキパーという円布をつけている者さえ少なかった。
だが、2人は敬虔なユダヤ教徒であることを隠さず、堂々と戒律を遵守実践 していた。彼等と大学の食堂で昼食を一緒にすると、食後にかならず、「ヤコブ、ちょっと待ってくれ、ブラハー(祝祷)を唱えてからでないとテーブルから立 ち上がれないから」と私にいって、しばらく無言で祝祷を唱えていた。
その真摯な態度を見ていると、「ごちそうさまでした」とだけ言って食卓か ら立ち上がる私は自分が何か省略してしまっているかのようで、何となくきまりが悪かった。
彼等は、祝祷を儀礼としてではなく、神への個人的感謝の表現として実践し ていた。ユダヤ教はどうも形骸化していないようだ。そんな印象を彼等から受け、私の考えも変わりはじめた。こういう下地が積み重なって、私は次第にユダヤ 教の内面を理解するようになっていった。
1人の名はモルデハイ、もう1人はヨナタン・サフライだったと記憶してい る。
第2に、特にこのヨナタン・サフライのおかげで、わたしはユダヤ教世界の 内奥に入るきっかけに遭遇した。1965年の夏、夏休みになった直後、キャンパスでヨナタンに出会った。
「ヤコブ、いいところで君に出会った。ユダヤ学会の講演がある。聞きに行 こう」「どうしたんだい」「いいからついて来い。ヘシェルの講演があるのだ」「ヘシェルって誰だい」「君は知らないのかい。アブララハム・ヘシェルだ」 彼は半ば強引に私を大講堂に誘った。
そのとき、私はヘシェルが何者かも知らなかった。それは運命の拉致であっ た。その午後、はじめてラビ・アブラハム・ヨシュア・ヘシェルの講演に接した。ヘシェルの眼光は太陽のように輝いていた。その言葉は炎のように燃えてい た。彼は、ユダヤ教の神髄のラビ思想について全身全霊で語った。私は聴講しながら身震いした。これがユダヤ教の教えか。
あの時、ヨナタンに誘われたが故に、そののち私はヘシェル先生の最後の弟 子になる運命の道を歩くこととなった。ろくにミシュナも読めなかった私が、タルムードやゾハルの世界に立ち入り、ラビたちとの議論に加わるようになった。 モーセ以来連綿と続いてきたユダヤの火花が、異教徒の私の中にも受肉する結果となった。
機会があれば、もう一度ヨナタン・サフライに会って、あのときのお礼を述 べたい。
モルデハイとの1967年初夏の会話も、ずっと私の記憶に残っている。彼 は大学院生で、そろそろ修士論文の研究テーマを決めなければいけない頃であった。
「モルデハイ、何を修士論文の研究テーマにするの」「うむ〜、『塩の契 約』について書こうと思っているところだ」「研究資料は十分あるの」「そこが問題なんだ.....」
資料が潤沢にあるから研究する。これは普通の研究者のやり方である。だ が、モルデハイは、資料が豊富でないからこそ、関連資料を発掘し、先人たちが見落としていた事実や意義を復元しようと挑戦していた。
先月のトーラー研究会で民数記18章を読んでいると、モルデハイの物静か な表情が昨日のことのように思い出された。ほかの級友たちの顔は思い出せないのに、あの時の彼の表情と声だけは、ヨナタン・サフライと一緒に今も鮮明にお ぼえている。
さて、話を「塩の契約」に戻そう。これは、質的変化を来さない不変の契約 という意味で古代イスラエルでは使われていた。というのは、塩が食品の長期保存に有効な材料だからである。そればかりでない。契約をするさいには、パンに 塩をふって、そのパンを二つに分けて契約の当事者同士で食べる習慣があったことにも由来している。
この伝統は、今日でもユダヤ人の食事に引き継がれている。ディナーの食卓 では、まず主人がパンを全員に切って渡す。主人は、「われらの神はほむべきかな、パンを大地より取り出し給うた」と感謝の祈りを唱え、全員が塩を少しパン につけて食べる。それから食事が始まる。
塩が無ければ今もユダヤ人の祝宴は始まらないのである。それどころか塩が 無ければ、ユダヤ教徒は肉も食べれない。ユダヤ教は、血が残っている肉を禁止している。牛や羊などの肉は、まず血出しをしなければならない。塩を肉にすり こみ、塩水にしばらくつける。その後さらによく洗い、完全に血を抜いてからでないと調理を許されない。
つまり、塩ぬきには、ユダヤ人の日常生活そのものが成立しないのである。 これは、調味料としての塩の効能を超えている。
そういえば、キリストは、「塩によって全ての燔祭はささげられ、全ての供 物に塩が添えられる。塩にまさる良いものはない。君たちも塩を得て、たがいに平和に過ごせ」と助言している。これは、塩がなければ、人は神への献げ物も納 められず、塩がなければ人と人とが和合懇親する祝宴も催せないというユダヤ教の掟を念頭においている。
「諸君は地の塩であれ」という彼の発言も、単純に社会にとって有用な人物 であれという意味ではなかったと思われる。むしろ一歩踏み込んで、「諸君はユダヤ教の戒律を率先遵守し、必要なときには人々と神との間を仲介できる存在と なれ」という意味であったと推測される。
ヨナタンとモルデハイとは、私をユダヤ教にちかづけた。「契約の塩」的存 在であった。
日常われわれは何の有難みも意識しないで塩を使っている。では、われわれ は塩と同等の働きが出来ているのだろうか。おのれの役割について反省しきりの昨今である。
意思疎通と情報 (民数記13章) 手島
佑郎
エホバはモーセに言った。「人々を遣わして、カナンの地を探らせ よ。そこをわたしはイスラエルの人々に与える。父祖の部族ごとに一人づつを彼等のうちの首長が派遣せよ」 モーセはエホバの命にしたがって、パランの荒野から彼らを派遣し た。彼等は全員イスラエルの民の頭領であった。 (民数記13章1〜3節) |
人がヒト社会を形成できているのは、相互の意思疎通能力が高度に発達したおかげ である。
もちろん、動物は鳥も獣も、魚も虫も、それぞれ同じ種族同士では何らかの意思 疎通をはかっている。それによって、蟻や蜜蜂、猿や狼、象のように「群れ」という一定の集団を形成する生物もある。どの動物にも独自の意思伝達手段があ る。
たとえば、カラスのカー、カーにもさまざまの種類がある。わが家の前の丘に住 みついているサキブトカラスの群れを観察してみて、いろいろな事を知った。
彼らはお互いに安全距離を守っている。それぞれの巣は50m以上はなれてい る。わが家にいちばん近い松の木には、親子3羽のカラスが住みついていて、半径100mほどの範囲をかれらの縄張りにしている。「ここはオレの縄張りだ ぞ」と周囲に宣言している時は、カア、カア、と啼く。外敵が近くにいるときは、カッ、カッ、カッ、と警告する。
他部族のサキボソカラスの集団が丘を奪おうと襲撃してくると、丘を根城にして いるサキブト集団が一致団結して撃退にかかる。このときは、ガッ、ガッ、ガーッ、と烈しい絶叫だ。
サキブトを撃退し合戦が終わると、オーッ、カアー、カアーッ、と凱歌をあげ る。
温かい冬の午前中などはカラスも気分がいいのか、クルッ、クルッ、ク、ク、 クッルと10分も15分もさえずる。ほとんどカンツォーネを歌っている。とてもカラスの声だとは思えない。
ヒトにもっとも近い霊長類のチンパンジーは、ヒトの3歳の子どもほどの知能が あり、色の識別や、欲求の表示、かんたんな数の認識など、さまざまの意思表示ができるという。
ただし、その程度の知能では、生存のための意思表示はできても、高度な思想の 形成や思想の表明はできない。その点が、ヒトと他の動物との決定的な相違である。
チンパンジーがカラス以上に賢いとしても、ヒトと同等の知能を持つに至るとはと うてい考えられない。というのは、チンパンジーにはヒトと同じ言語能力がないからである。鳴き声、吼え声では感情までしか表現できない。彼等の知能の限界 は、彼等の言語能力の限界と軌を一にするのであろう。彼等は飼い主である人間の意思、命令、感情を感知することはできる。だが、思考を理解するものではな い。彼等に人間社会の政治・経済の仕組を話しても、文学や落語を語っても、その内容を理解するのは甚だ困難であろう。
私の経験では、1963年秋ヘブライ大学に入学する迄の半年間で私が習得したヘ ブライ語の語彙は、3歳の幼児の語彙とほぼ同じ約300語であった。日常必要な最低のコミュニケーションはなんとか出来た。だが、どだいその程度の語彙で は、最初のころ大学の講義はまるで理解できなかった。授業に座っているだけ。3歳児同様の語彙しかない私には、思想を理解しようとする作業は、闇夜にカラ スをつかまえるようなもので、ただただストレスの連続であった。
しかし私はその後急速にヘブライ語を習得し、1年後には大学の講義をほぼ理解 できるようになった。2年後には、自分の考えを不自由なくヘブライ語で表現できるようになった。
これは、ヒトとして私にも具わっていた言語能力のおかげであった。私がもしもチ ンパンジーであったら、何年たっても、最初のあの300語以上に進歩することはなかった。
ヒトは高度な意思疎通と情報交換ができる。それがヒトのヒトたるゆえんである。
しかしながら、高度な意思疎通と情報交換が出来るがゆえに、一方では意思疎通を 欠いたり、粗雑な情報交換をするなど、新たな問題が発生する。これもヒトならではのことである。
その一例が民数記13〜14章に収録されているスパイ物語である。
モーセは神の命令にしたがって、イスラエル12部族の代表をカナン偵察のために 派遣した。彼等は全員イスラエルの民を代表するにふさわしい傑出した人物であった。
彼等は40日にわたってカナン全土をあまねく調査した。ブドウの収穫がようやく 始まる初夏 であったにもかかわらず、その地にはすでに果物が豊富に実っていた。彼等は、たわわに熟れた巨大なブドウの房や、ザクロ、イチジクを証拠として持ち帰っ た。そして報告した。
「我々は派遣された地へ行きました。そこはまことに乳と蜜の流れる地です。これ はその果物です。だがしかし、その地に住む民は強く、町々はひじょうに堅固で大きい。我々はそこで巨人の子孫を見ました。アマレク人がネゲブに住み、ヘ テ、エブス、アモリ人が山地に住み、カナン人が海岸とヨルダン沿いに住んでいます」
この報告は、ほぼ完璧であった。ただ一点、「その地に住む民は強い」という箇所 だけが、何を基準にして「強い」と判断したか根拠不十分であった。武器をたくさん保有していたので、強い相手だと判断したのだろうか。そうであっても、も し相手に戦意が無ければ、戦う相手として強いかどうかは疑問である。
そして、この一点をめぐって、12人のスパイたちの間で解釈が二分してしまっ た。
モーセの後継者ヨシュアとカレブは、「もし神が我々に味方するのであれば、神は 我々をそこに導き入れる。必ず勝利できる。直ちに攻め上ろう」と主張した。他の者は、「とんでもない。我々は彼等の地に攻め上れない。彼等は我々よりも強 いからだ。あの巨人たちから見ると、我々はイナゴのように小さく映ったことだろう」と反対した。
ヨシュアとカレブは、敵が強そうに見えることには同意するものの、相手が強いか どうかは戦ってみなければ分からないと保留した。残りの10人は、はなから相手が自分たちよりも強いものだと憶測し、自分たちは弱いのだと決め込んだ。
情報交換や意思疎通の難しさは、ここに懸かっている。憶測のうえに憶測し早とち りの結論を出すのか。それとも事実を確認のうえに、実験実証し、目的にむかって前進していくのか。
事実を客観的に伝えても、受け取る側の解釈は主観的であり、しかも往々にして 自分に都合のよい方向への解釈に走る。そうなると、せっかくの情報が台なしになってしまう。
というのも、情報とは、ほんらい各自が自分の幸せを実現するための判断材料で あって、情報を生かすのも殺すのも、それは情報を受け取る本人なのである。
カラスの啼き声を、アホーッ、アホーッと聞くのも、それは聞く側のヒトの問題な のである。
神と人間の6つの関係 (申命記2章) 手島 佑郎
汝ら上りゆくなかれ、また戦うなかれ 我なんじらの中に居らざればなり。(1:45) 汝の神エホバ汝が手になすところの諸々の事において汝らをめぐみ、 汝がこの大いなる荒野を通るを看そなわしたまえり、 汝の神エホバこの40年のあいだ汝とともに在したればなり。 (申命記2章7節)
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信仰ということに関して、神仏にお願いや依頼することばかりだと思っている人が多い。信仰には確かに そういう一面もある。だが神と人間の関係はそう単純ではない。
聖書によれば、神がこの宇宙を創造した。そして「神の栄光は全地に充つ」(イザヤ書6:3)といっ て、神の偉大な力が全世界に充満していると考える。これを神の遍在という。仏教でも万法一如といって、すべての存在は仏性で満ちていると、似たような考え がある。
草・木・山・川・海・空・生き物などすべての自然も神(仏)の超越的な力で満たされ、支えられている。 このことに気がつくと、自然を眺めるたびに神の超越的な力をたたえ、かつ自然を大切にとりあつかうようになる。
神と人間の関係は6つのパターンに要約できる。
1[神の遍在]:世界中に神の本質が満ち充ちている。
2[神の不在]:世界と神とは無関係である。
3[神の臨在]:世界の上に神が臨んでいる。
4[神の共在]:神と世界とが協力共存している。
5[神の内在]:世界または人間の内部に神が力として働いている。
6[神の包在]:人間が神の力に包み込まれている。
自分は神仏とは無関係だと考えている人は、神不在の生活である。人間の側から神と無縁宣言をしたから といって、神がことさらに意地悪をするわけではない。だが、無縁宣言をしている者がやにわに神仏に助けを求めても、これは聞き入れられまい。
神と良い関係を維持したいと思うならば、日頃から神のほうにむかって、神の前で礼拝し、神と対話して おくことである。神は見えないとはいえ、対話を求める者には語りかけ応答する。聖書の詩人はいう「我つねにエホバをわが目の前に置けり」と(詩篇16: 8)。今日すぐに応答がなくても、心をこめて祈りに没頭する者にはかならず神は応える。仏教においても、キリスト教においても、イスラム教においても、真 剣に祈る者には神は永遠の世界から応答してくる。そこに神の臨在の世界がある。
臨在から一歩さらに進んだ次元の関係が、神との共在である。喜びも悲しみも、雨の日も晴れの日も、順 境のときも逆境のときも、神が我々と共にいるから心強く前進できる。「エホバわが右にいますゆえ、われ動かされることあらじ」(詩篇16:8b)である。 神と腕組みして歩く。暗黒の夜道をあるくときでも転倒する心配はない。イスラエルの民がシナイ半島の荒野を40年彷徨したにもかかわらず、生活に不自由し なかったのは、ひとえに神がかれらを伴って保護してくれたからである。
しかし 、保護されているというのは、あくまでも受け身である。保護されている身分では大きなプロジェクトの達成は出来ない。大きなプロジェクトは積極果敢な行動 で取り組まなければならない。それには、神的な生命力がわれわれの内奥からこみあげて、我々を目標にむかって駆り立て、われわれの内側からエネルギーが爆 発するような状況が望ましい。つまり、神の内在である。 これは神と人との呼吸がぴたっと 一致していないと難しい。
申命記の箇所がその一例である。アモリ人との戦いを前にしてイスラエルの民はいったんひるんだ。その ために神は「汝ら上りゆくな、また戦うな。我なんじらの中に居らざればなり」(申命記1:42)といって、たとえ戦闘に出ても敗北するぞと警告した。神が かれらの間に内在しないのに、民は出陣する。だが結局かれらは無残な敗北を喫す羽目になった。
神の内在、それは神がわれわれの内燃機関となって我々をうごかす関係である。わずかでも歯車の掛け合 わせや調子が狂うと、神の内燃機関は起動しなくなる。神の発動は、神本位の呼吸で可能なのであって人間本位の思惑では実現できない。どこまでおのれの自我 を抑えて、神の意思に自己をゆだねるか。これは霊的に無私な人にしてはじめて可能なことだ。これをキリスト教の使徒パウロのことばで表現すれば、「もはや われ生くるにあらず。キリストわがうちに在りて生くるなり」(ガラテヤ書2:20)である。
禅宗の六祖・慧能のことばを借りるならば「我心自有仏、自仏是真仏」である。わが心のなかに自ずと仏 があり、自分という仏こそ真の仏だという境地である。そこには人間的計らいは一切ない。自我がよけいな作用をしないから、まことに自由自在である。
だが、神と人間との関係は神の内在だけに終わらない。究極的には人間という存在が神につつまれてし まって、神の内部に圧縮されてしまうもうひとつの次元がある。神に包まれるとその強大な力に圧しつぶされて、人間の自我は無になってしまう。そこではもは や人間の自意識は作用せず、神の意識、神の力だけが圧倒する世界となる。これは神の包在である。一切の真理が荘厳なすがたを表わし、作為も不作為も昇華し てしまう。神の包在という名称は私の造語だ。六祖のことばを借りれば「作無所得、是最上乗」である。
イスラムの神秘家も、ユダヤ教の神秘家も、キリスト教の神秘家も、そして仏教の究極の境地も、もろも ろの高等宗教のおそらく行き着く目標は、そういう絶対無我の境地である。
この神人一体の境地を、神秘主義では unio mystica(ウニオ・ミスティカ、神秘的合一)とよぶ。宗教生活はここに至ってようやく一応の完成をみる。
申命記がめざした理想もそこにある。だからこそ、申命記は「心を尽くし精神を尽くし力を尽くして汝の 神エホバを愛せよ」と命じるのである。愛は一体化の作業である。
しかし現実には、人は神との共在のレベルにすらなかなか到達しない。もっぱら神不在のまま好き勝手な 行動ばかりしている。ふだんから礼拝に参加していても神の臨在にふれる人は稀である。ましてや、神の内在、包在となると、これを体験できる人は滅多にいな いのも事実である。
宗教ということは、見えない神を信じるかどうかの問題だけではない。人間として充実した内面生活を送 るかどうかの問題でもある。
申命記はそのための最良の方法として神との協調の意義を提唱しているのである。日常の社会生活のみな
らず、精神的内面的霊的生活においても我々は改善向上を遂げるものでありたい。
古典の読み方 (民数記12章) 手島 佑郎
ミリアムは語った。アロンもモーセについて彼が取っていたクシ人の 女のことで語った。 モーセがクシ人の女を取っていたからである。 彼等は言った。「ああモーセとだけしか語らなかったか、エホバは。 いや、我々とも語ったではないか」 そしてエホバはこれを聞いた。 (民数記12章1〜2節、私 訳)
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聖書にかぎらず古典を読むさいの一つの難しさは、原文が日本語であれ外国語であ れ、現代語に翻訳するさいのニュアンスの訳出の困難である。過去の時代と現代とでは文化が違うからである。外国と日本とではさらに生活風習も違う。翻訳に よって大筋のニュアンスは伝えられても、微妙なニュアンスを的確に伝えるのは決して容易でない。
たとえば、旧約聖書の民数記12章の冒頭を日本聖書協会の二つの訳で比較してみ よう。
モーセはクシの女をめとっていたが、そのクシの女をめとったゆえをもって、 ミリアムとアロンはモーセを非難した。彼等は言った、「主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないか」。主はこれを聞か れた。(日本聖書協会、口語訳)
ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難 し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではない か」。主はこれを聞かれた。(新共同訳)
新共同訳のほうには、固有名詞をできるだけ原文の発音に忠実に音訳しようとい う、最近の聖書研究の成果の跡がうかがわれる。しかし、一方では新共同訳聖書には、随所に原文にない見出しが書き加えられており、一方的な先入観で文章を 読ませてしまう危険がある。
どのようにすれば原文に忠実で、しかも日本語として生き生きとした文章に再現で きるか。他人がしあげた翻訳を批評するのは簡単だが、みずから翻訳するのは決して容易でない。
いちばん良い古典の読み方は、それが日本語古文であれ、外国の文献であれ、いず れも原文で読むことである。但し、原文で読むといっても、単純に辞書を引き引き直訳するのであれば、あまり感心しない。とりわけ、日本語訳の聖書ヘブライ 語辞典や、新約聖書ギリシャ語辞典を使うのは、私は奨めない。たいてい原語と訳語とのキャッチボールで終わるからである。
それよりも、一つ一つの単語なり、熟語が当時の社会で一般にどのような意味で使 われていたかを広く観察することが大切である。言葉は生き物である。だから、ある言葉がどういうニュアンスの背景から、ある文章の中で使われたのかを考え てみる。そうすると発言者の隠された真意を読み取ることが可能になる。
古典を読むさいにもう一つ大切なことは、行間をどう読むかである。というのは、 現代とちがって昔は世界中どこの国でも紙が貴重品であり、一般に文章を書くさいは簡潔な表現を工夫し、文章と文章との間もできるだけ詰めていたからであ る。
ホーメロスの叙事詩や源氏物語といった長編文学を綴るには、高価な羊皮紙や巻紙 が入手可能な貴族社会においてのみ実現できた。ふつうは極力冗長な表現を避けていた。
それゆえ、古典を読むときは、失われた行間の間合いを再現し、ときには原文から は省略されてしまった本来の饒舌な説明や精密な場面描写を推理補足することが望まれる。
といっても、勝手な想像や飛躍した憶測をしていいわけではない。前後の文脈との 関連を考慮に入れて、確実性の高い情況を演繹してみるのである。
民数記2章1〜2節を、私ならば次のように訳したい。改行や行の開け方も次のよ うにする。
ミリアムは語った.......アロンもモーセについて彼が取っていたク シ人の女のことで語った。モーセがクシ人の女を取っていたからである。 ................................................
彼等は言った。「ああモーセとだけしか語らなかったか、エホバは。いや、 我々とも語ったではないか」...........................
そしてエホバはこれを聞いた。
点線の空白の部分に、本来は記述すべき出来事や、発言や、時間的経過などがあっ た。しかしこの部分は意図的に削除されたのではない。物語を伝えた当事者や、傍で目撃していた人々には周知の事実であった。いや、この物語を聞く後代の人 々にとっても、ある程度の知識がある人々には前後関係が分かっていたのであろう。たとえば、「大石は語った。主君と吉良のことについてであった...」と 聞けば、「ははーん、赤穂義士のことか」とたいていの日本人は察しがつく。 キーワードをきちんと押さえれば、あとは物語の前後関係から、失われた部分の 復元も可能になる。だから、ユダヤ教の教師ラビたちは、物語そのものを伝承することにも力を注いだが、それ以上に、問題発見能力を代々継承させることに教 育の全身全霊を注いできた。
上記、民数記の箇所は、ヘブライ語原文では「ミリアムとアロンが語った」という よりも、まず「ミリアムが語った、ヴァティダベル ミリアム」なのである。それに便乗して、アロンも会話に入ったというニュアンスである。となると、ミリ アムがアロンと会話する前に、誰と話したかが疑問になる。そこでラビたちは次のように復元した。(青色文字部分がラビたちの推理補筆)
ミリアムはモーセの妻チッポラと語った。彼女 は、夫モーセが70人の長老とともに神に召し出され、もう幾日も家に帰っていないと、つい夫の姉ミリアムに愚痴った。そのことをミリアムはアロンに語っ た。すると、アロンもモーセについて、モーセが妻として娶っていた妻がク シ人の女であることを語った。ミ リアムは「モーセの妻はクシよね。さすが美人ね」とほめた。クシ女というのは、美人の代名詞であった。しかし、肌が黒い。アロンはミリアムの発言を受け て、「黒い」を「醜い」の意味に解釈しなおした。そして「たしかにチッポラは美人だが、夫が留守がちだ等と愚痴るあたり、はしたない。行ないが醜い」と、 弟の妻をこき下ろした。それにしても、モーセだけが神に重用されるのは、二人には面白くない。だから彼等は言った。「じっさいモーセとだけしかエホバは語らないのか。いや、我々の祖先にも、我々にも神は語りかけられたではないか。たとえば『生めよ、増えよ、地に満ちよ』と命じられたではない か」 彼等は二人だけの会話だと思っていた。だがエホバはこれを聞いた。
伝承とは何か。それは口伝えに継承される文言だけではない。最大の伝承は、行間 や間合い、わずかな空白に気付く能力を継承させることである。伝統芸能でも、形以上に大事なのは「間」である。間が形を支える。行間や間合いが、本来ある べき形の再現や支持を教えてくれる。
間をみつけることができるか。それは古典にかぎらず文化を理解する大切な鍵の一 つなのである。
エホバはモーセに語った。「汝のために銀の装飾をほどこした 二つのラッパを作れ。それは 会衆召集のさい、陣営進軍のさい汝のためのものである」 (民数記10章1〜2節私訳)
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イスラム暦は完全な太陰暦で、1ヵ月29日の月と30日の月が交互にく る。閏年の補正をしない。毎年11日半、太陽暦と誤差が生じ、太陽暦と同じ季節に戻るためには33年かかる。
そのイスラム暦第9月がラマダンである。1ヵ月間、夜明け前から日没まで 断食する。イスラムの断食は、最初はユダヤ教徒が新年第1月10日に断食して神に罪の許しを乞うヨムキプール(大贖罪日)を真似て始めたものである。今で もイスラム暦第1月ムハッラムの10日に、アシューラという断食がある。後に、天啓コーランが与えられたのがラマダン月27日であったことを記念して、 コーラン待望への謝意を表わすべく、ラマダン全30日間の断食が制度化された。
イスラム教では、この他シャッワール月2日から7日迄の6日間と、巡礼の ド・ハッジャ月の12日とに断食をすると功徳があると教えている。しかし断食すれば功徳があるということと、断食厳守とでは異なる。一般民衆は、厳守を命 じられているラマダン月しか断食しない。
真夏にラマダンがめぐって来ると、昼間の時間が長いだけに、暑く、体力の 消耗が激しい。真冬のラマダンも、寒さとひもじさで辛い。今年のように初冬であれば、まあまあしのげる。
だが、断食して空腹というのは日中のこと。夜は飲食自由の大宴会。抑圧へ の反動というべきか、毎年ラマダンに入ると食料品の売上が大幅に増える。
イスラム教の魅力は、人間の弱さをよく知っている点である。
人間の弱さを知っているという点では、イスラム教とならんで世界の3大宗 教といわれるキリスト教も、仏教も人間を弱い存在として捉えている。だが、その弱さへの対応がちがう。
キリスト教は、人間は原罪を背負った存在であると考える。キリストによる 救いを「信じる」か信じないかが、罪との断絶の鍵であると信者に選択をせまる。
仏教は、人間の弱さは煩悩に惑わされているためだと考える。正しい世界観 を「悟る」ことこそ人間が弱さから解放される道であると説く。
だが凡夫には正しい世界観を悟ることさえ出来ない点に、仏教の難しさがあ る。そこで、仏陀の慈悲にすがるという新たな解決が仏教には展開した。
キリスト教の難しさは、「見ずして信じる者は幸いなり」というが、見ない で信じようとする点にある。そこで、こちらもキリストの慈悲にすがるという信仰の仕方を教える。
イスラム教は、人間とはすぐ物事に挫折しやすい存在だと捉えている。信じ るとか悟るという自主的な判断を人間に求めること自体が難しいと考える。そこで、神に無条件に「服従する」ことを信者に要求する。そのかわり、褒美や恩賞 をできるだけ速やかに与え、士気高揚と明日への動機付けを確かなものとする。その典型が、コーランの中で断食を命じている箇所である。
一方では「これ信者の者よ、断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ」と 命じている。他方では「断食の夜、食うもよし、飲むもよし。やがて黎明の光さしそめ、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時までは」と規律をゆるめ ている。夜が明けると、また厳しい断食の一日が待っているとはいえ、夜間解禁があるから、庶民でも1ヵ月の修行にも耐えるわけである。
イスラムが人情の機微をじつによく観察し把握しているのは、教祖マホメッ トが商人出身であったことも影響しているように見受ける。
キリスト教、イスラム教の源流となったユダヤ教ではどうか。
そもそもユダヤ教は、人間を弱い存在と考えるよりも、むしろ不完全な存在 であると考えている。なるほど、最初の人間アダムは神の姿に似せ、そのイメージにかたどって造られた。とはいえ、あくまでも模造品であって本物ではなかっ た。聖書中の詩人のことばを借りると、「人は神よりも少し卑しくつくられた」のである。ここに人の不完全さの原因がある。
その結果どうなったか。人間は悪いことばかり思いはかるようになったと聖 書はいう。
この観察は、善悪に関して我々が今まで気付かなかった新しい視点を与え る。すなわち、善悪は半々で綱引きをするものではなく、少々不完全であると、それだけで悪が善を駆逐してしまうということである。
ユダヤ教では、こうした人間の弱さを克服し、悪から脱却するためには、律 法に学び、戒律を「実践する」ことを命じる。
しかしながら、ユダヤ教にも難しさがある。戒律を実践してさえおれば十分 だと自己満足する危険である。それはかえって人間を機械化させ、人間を完成から遠ざける事態を招きかねない。
では、どうすれば人はこの自己満足から脱却できるのか。それは人間がおの れの不完全さを自覚し、神との密着をはかることによってのみ解決する、とユダヤ教は答える。
たとえば、18世紀後半東欧ユダヤ人社会に起こったユダヤ教復興運動ハシ ディズムの祖、バアル・シェム・トブは礼拝のなかで神との密着を願えと教えた。それを受けて、2代目の指導者ラビ・ドブ・ベエルは次のような説教を残して いる。
神はモーセに、「汝のために銀の装飾を施した二つのラッパ(シュテイ・ハ ツァツロット)を作れ。それは会衆召集のさい、陣営進軍のさい汝のためのものである」と語った。
シュテイ・ハツァツロットを、シュテイ・ハツィ・ツーロット(二つの半分 の形)と読み替えるといい。人間をアダムというが、人は大地(アダマー)から取られた血(ダム)のかたまりにすぎない。ダムがアダムになるためには、アが 必要である。アとは何か。全宇宙のアレフ(至高者)の略称である。人はすなわち神を必要としているのである。
神がモーセに彼自身のために二つのラッパを作れと命じたのは、偉人モーセ といえども、しょせん半分の価値しかない存在であるという意味だ。それゆえ彼自身の完成のために、もう半分の形、つまり神自身と密着せよと命じたのであ る。自分の利害打算、思惑を離れて、宇宙の意思と合一しなければ、モーセは民衆を呼び集めることも、軍隊を指揮することもできなかったのである。手をこま ねいていても、人間の完成はありえない。誠心誠意、礼拝に参加し、心から神と直面せよ。それが汝自身のためなのである。
不完全なるがゆえに、完成をめざせと本来ユダヤ教は説く。いまイスラエル で専横にふるまっている国民宗教党など極右のユダヤ教指導者の姿は、とてもこの理想から遠いように見える。
心ない少数の指導者のために国民全体が振り回されているのは、イスラエル だけであろうか。
隠れた多様性の真実 (民数記7章)
手島 佑郎
第1日に奉納を寄進した者は、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。彼の奉納は銀の皿ひとつ、その重さは130シケル。銀の鉢ひとつ、70シケル。(民数記7章13節)
第2日に、イッサカルの族長ツアルの子ネタニエルが寄進した。彼の奉納は銀の皿ひとつ、 その重さは130シケル。銀の鉢ひとつ、70シケル。 (18〜19節)
動物は本能によって行動するが、私たち人間は理性によって行動する。こんな説明を心理学の授業で聞い たことがある。こういう説明を耳にすると、なんだかすべて人間は高等な存在であるかのような印象をいだく。だが、よくよく観察してみると、人間の知恵より も本能のほうがずっと精緻に組み立てられた知恵であると感嘆するケースが多い。
たとえば、蟻には羽がない。羽が退化してしまっているが、蟻は蜂の仲間である。蟻も蜂も、女王を中心 に働き蟻、働き蜂が社会を形成している。女王はせっせと卵を産み、働き蟻や働き蜂が食物の確保から幼虫の世話など、すべて見事な分業でこなしている。蟻や 蜂は、それをすべて本能によってこなしている。人間社会では、あのように無心で一心な分業は実現しようもない。
イスラエルには、キブツとよぶ共同・共産・平等農村システムがある。村の書記長から洗濯係までメン バーが従事する仕事の内容は異なるものの、衣食住は平等に配給される。小遣いも平等に支給される。村の外で高額の月給を稼いでいても、その給与をいったん 村の会計に入れ、改めてほかのメンバーと同じ額の小遣いをもらう。
たぶん、キブツ以上に平等な社会は文明世界には他にない。しかし、キブツのメンバーは、蟻や蜂のよう に無心ではない。毎月受け取るわずかな小遣いだが、その使い方によって、メンバー間に微妙な貧富の差が生じる。そうすると嫉妬や羨望も生じる。
蜂や蟻の社会では、次の世代もまた同じ社会を構成し、個体ごとに決められた任務を無言のうちに担う。 しかし、キブツでは、必ずしもその子弟がキブツに定着するとは限らない。たいてい子弟は都会や外国で暮らすのを選ぶ。キブツの子弟でキブツに定住する者は 10人中1人いるかいないかの有様だ。かくして、かつては全イスラエルの4%だったキブツ人口が今や2%前後に激減し、キブツという社会システムそのもの の存亡が危機に直面しはじめている。
人類は理性によって文明を築いてきた。その叡知は恐るべきものである。とはいえ、理想を追求すればす るほど、みずからの理性によって理想的システムを破壊させてしまう。
この点では、環境に適応した理想的的生活システムを造り上げ、それを子々孫々にわたって維持し継続す る動物の本能のほうが、ずっと合理的で賢明な叡知である。
本能のもたらす生活の知恵はワンパターンである。だからといって、複雑な理性的システムに本能のワン パターンが劣るわけではない。本能のワンパターン性は、完成された理想的行動システムの結果である。動物にとってそれが最も効率よい生存システムであるか らに他ならない。
さて、聖書を読むと、しばしば無味乾燥とも見えるワンパターンな記述の繰り返しに出会う。たとえば、 長い長い人名のリスト。ちんぷんかんぷんな地名のリスト。
ときには、今回の民数記7章のように、各部族の長が寄進した奉納物のリストに出会う。本号の冒頭には そのごく一部だけしか紹介していないが、まったく同一の奉納物のリストが12回も延々と繰り返されている。これは、読むどころか、見るだけでウンザリして しまう。
ところが、ラビたちがこれを取り上げると、単調な記述の反復と見えている箇所が、とたんに生気に満ち たドラマに一変する。
ユダ部族の長ナフションがささげた銀の皿は、海を象徴するものであった。海は神の大能のシンボルで あった。後にソロモン王が神殿をつくったとき、彼は青銅製の水盤を「海」と命名して神殿に奉納した(参照、列王紀上7:23)。これは、海が神の権威の象 徴だからであった。
なぜ海が神の権威のシンボルなのか。これに関しては、全世界を征服したアレキサンダー大王の故事で説 明できる。あるとき彼が高い山から天に上って世界を見ると、世界はまるい球に見えた。それ以来、世の帝王はまるい球を左手に持ち、世界を手中に収めている 象徴とするようになった。だがアレキサンダーといえども、海洋を支配することはできなかった。海洋をも支配できるのは神だけである。だから、ユダヤ人は、 神の権威のシンボルとして海に見立てた水盤を神殿にささげるのだ、とラビたちは言う。
銀の皿は、重さ130シケル(936g)であった。一方、ソロモンの海は周囲30キュビド(15m) であった。ということは、海を象徴する銀の皿の周囲も単位「30」を遵守していたはずで、おそらく皿の円周は30エツバ(約70cm)であったものと推定 される。これだと、直径20・ほどの中ぶりの皿になる。とても海とは言えない大きさである。だがヘブライ語の「ヤミム(海洋)」ということばの数値、 YaMYM=Y(10)+M(40)+Y(10)+M(40)=100 と、円周30を合わせると、合計130。つまり、130シケルという重さのかげにも神権の象徴「海」があった、とラビは説明する。
同じ銀の皿でも、イッサカル族の長エリアブが寄進した皿は、トーラーの象徴として奉納された、とラビ たちは考える。イッサカル族は聖典の研究に熱心であったからだ、とラビたちは説明する。この場合、皿の重さ130シケルは、旧約聖書24巻、ミシュナ80 巻(実際は63巻だが、ミシュナはヘブライ語のアルファベットMに始まり、Mで終わっているので、40+40=80)、それにアダムからモーセまで26代 で、合計130.。つまりトーラーの歴史を示す数字130のシンボルである
このほか、ゼブルン族の銀の皿はトーラーを学ぶ学徒を支援する富をもたらした海上交易のシンボル。ル ベン族の銀の皿は、社会生活の道徳の象徴。シメオン族の銀の皿は、礼拝所の象徴。ガド族が奉納した銀の皿は、エジプトから無事に脱出できた感謝のしるし。 エフライム族の銀の皿は、彼等を祝福した父祖ヤコブの象徴……など。各族長たちが寄進した奉納物は同じであっても、それぞれ の寄進の動機と祈りは違っていたのだと、ラビたちは指摘している。
外見的にはワンパターンに見える行為であっても、そのかげには各自ちがった動機や考えが秘められてい る。それに気付かず、外面だけを見て物事を一概に十把ひとからげに判断してはならない。このことを教えるために、聖書はあえて単調な事実の反復も記録して いるのである。
ハンセン氏病から考える (民数記5章)
手島 佑郎
エホバはモーセに言った。「イスラエルの子らに命じよ。すべてのらい病人、 すべての流出病の者、すべていのちの穢れた者を露営地の外に送り出せ。男から女まで汝らは露営地の外に出し、彼等を送り出せ。彼らに露営地を汚させてはな らない。わたしが汝らの中に臨在するからである」 (民数記5章1〜2節)
2001年の大きな出来事の一つは、ハンセン氏病患者訴訟で国が敗訴したことであった。
ハンセン氏病というのはライ病のことである。ライ病菌を発見したノルウェーのA.G.H.ハンセンに ちなんで、最近はハンセン氏病という名称で呼ばれるほうが多い。ライ病という病名には社会的な偏見と差別がこもっているからである。
この病気の伝染性は低い。ライ病は患者の膿や鼻汁などを媒介に、ライ菌が皮膚の小さな傷から侵入し、 皮膚の中の神経を通って人体内で徐々に増殖する。発病まで3〜10年かかる。ライ検査(レプロミン反応)をすると、ふつう、正常の成人は陽性反応がでる。 つまり、たいてい誰でもライ病菌に軽く感染しているが、免疫をもち、発病していないだけのことである。
これに感染すると皮膚のあちこちが白色に変質したり、腫瘍ができたり、顔の鼻や頬が変形したり、ひど い場合は手足の指が腐り、欠け落ちたりもする。完治しても朽ち落ちた手足や鼻が再生するわけではない。そのため、醜く肉体が崩れた元患者は、一生、社会の 外に隔離されたまま非人間扱いを甘受するしかなかった。このように悲惨きわまる病気は他にない。
医学や薬学が進歩した現代とちがって、特効薬がなかった時代には、患者を隔離する以外に、この病気の 予防方法はなかった。ハンセン氏病患者訴訟で国が敗訴したのは、患者を隔離したことではなく、治療方法が確立し、完全に治癒した後も彼らを隔離し続けた点 であった。
ライ病といえば、わたしは父・郁郎のことを思い出す。父は昭和24年頃に、それまで打ち込んでいた事 業も政治も断念し、キリスト教の伝道をはじめた。といっても、宗教家としては全くの無名。どこにも伝道に行く宛がない。その時、父のことを聞いて、ぜひ話 をしてほしいと出講の要請がきた。それが熊本癩療養所、恵楓園であった。
父は喜んで恵楓園へ出かけ、毎月、ライ病の人々と集会をしていた。たまに他の牧師や僧侶が恵楓園に慰 問に来ても、数メートル患者と離れて対面して説教していた。だが父は、膿の出てている患者といっしょに食事をし、彼らと車座になって集会をしていた。時に は外出を許可された患者が、はるばる熊本市内の父のもとまで訪ね、父の主宰するキリスト教礼拝に出席することもあった。そういうとき、父はライ病の人々と 抱きあって再会をよろこんでいた。また、父の初期の弟子たちの中には毎週交代で恵楓園を訪問する献身的な人もいた。
父が亡くなったとき、その死を最も悼んだのは、恵楓園に隔離されたままの人々であった。
古代イスラエル世界においてもライ病はひどく忌避されていた。彼等を露営地の外に放り出せという命令 に、ライ病への忌避が端的に表わされている。その理由として、露営地、つまり人々の住む場所の中央に神が臨在しているからだ、と聖書は語る。いっけん乱暴 な命令のように見えるが、近代的な「衛生」「不衛生」という概念がなかった時代の発想である。当時においては、「清浄」と「穢れ」という対立概念が社会の 保健衛生を維持する基本あった。その清浄の中心概念が「神聖」であり、その根源は神であった。
そればかりか、清浄という概念は、同時に、社会全体の秩序とシステムを維持するための安全弁であっ た。社会にケガレを持ち込む行為は、保健衛生であれ、倫理道徳であれ、もちろん宗教的背信であれ、それらは全て神への不敬、冒涜と看做されていた。つま り、ケガレを神にそむく
行為と捉えることによって、一切のケガレを社会から排除しようとしていたのである。
聖書には、ライ病を神からの懲罰だとする記事もあるが、いちがいにライ病を天刑としているわけではな い。民数記5章は、ライ病人、流出病の者、いのちの穢れた者を並記している。
流出病というのは、淋病、婦人病や下痢、下血を病む者などである。流出病は本人や家族が黙っておれば 他人に分からないから、伝染病としては危険である。とりわけ淋病について、ラビたちは、ライ病よりも悪質だとコメントしている。ライ病人は外見でそれと判 別できる。接触しなければ感染の危険はない。だが淋病の感染者は外見では分からない。かれらが座った椅子や場所に、他人がそれと知らずにうっかり座るだけ で、そこに漏れ出ていた粘液が衣服に付着し感染してしまう。淋病にはよくよく気をつけろ、とラビたちは警告している。
いのちの穢れた者とは死人に触れた者のことである。死人に触れるだけで、健康な人のいのち全体が穢れ ると古代人は恐れていた。それはたぶん死人に触れると、死亡原因となった病気に感染するかもしれないと考えたからであろう。死者を不浄とする考え方も、案 外こういう不安から生じたのかもしれない。死人にさわって乗り移った不浄は、流出病よりもさらに見えない。もし目撃証人がいなければ、この穢れは完全に秘 密のまま蔓延してしまいかねない。
このように整理すると、ライ病よりも悪質なのは流出病であり、それもよりも悪質なのは証拠が残らない 可能性のある死体接触だという順序になる。
ユダヤ教の発想というのは、ワンパターンの見方、画一的なステレオタイプの見方をしない。
できるだけ物事を対比・対照しながら考える。詩篇や箴言などをひもとくと、対句表現にしばしば出会う。 例えば、
「エホバは食物を獣に与え、鳴く小鴉に与える。エホバは馬の力を喜ばず、人の足をよみしない」(詩 篇147:9-10)
「正しい者の口は命の泉である、悪しき者の口は暴虐を隠す。憎しみは争いを起し、愛はすべての咎を おおう」(箴言10:11-12)
物事をどのように理解するか。それには相対的な吟味と、かつ包括的な考察が大切である。それをユダヤ 教は教えている。
観点を変えれば、上記の並列により、流出病にかかるにせよ、死体に触れるにせよ、これは清潔を守らな かったり、不注意の結果そうなったのである。とすれば、ライ病もまた本人の過失で招いた公算が強くなる。ライ病はかならずしも神からの罰の結果ではないこ とに気付く。
だからこそユダヤ教は、レビ記13章などに記されているように、ケガレた者たちを隔離し、かれらに身 を清めることを命じたのである。そして完治した者には、社会復帰させていた。
ライ病人にも社会復帰させていた点で、古代ユダヤ教は、20世紀の日本政府よりも、ずっと人道的で あった。伝染病者を隔離はしても差別はしない。そいう配慮は現代にも問われている。
頭をきたえる聖書 (民数記3章) 手島
佑郎
イスラエルの人々の長男は、レビ人の数を273人超過しているから、そのあがないの
ために、かれらの人数にしたがって1人あたり銀5シケル徴収せよ。(民数記3章46-47節)
聖書を読みはじめて40年あまりになる。当初は、聖書を信仰のガイドブック、精神的慰めの書として読 んでいた。それはそれとして、最近ようやく聖書を読むのが知的楽しみともなった。
ひとくちで聖書というが、これは元々一冊の本ではない。
旧約聖書の場合だと、紀元前20世紀頃から前2世紀までの長短36冊の異なる書物の合本である。それ ぞれ時代も異なれば、問題意識も文化様式もちがう。
たとえば、前20〜17世紀頃の作品である「創世記」と前2世紀の「ダニエル記」とでは、人生観がち がう。前者はのびのびしており、後者はひとりよがりの面が感じられる。
前10世紀前後に成立していたと見られる律法書「出エジプト記」と「民数記」とでは、歴史認識がちが う。前者は政府公報的であり、後者は民間の雑誌社のスクープといった印象である。 王国時代の同時期の同じ事件を扱っている歴史書の「列王紀」と「歴代 誌」とでさえ、微妙に視点がちがう。前者はどちらかといえば歴史批判の立場であり、後者は歴史擁護の立場である。
対照的に新約聖書は、紀元1世紀後半から2世紀前半ごろに綴られた大小27点の記録を収録している。 こちらはイエス・キリストという人物の言行録と、彼に帰依する信徒たちの信仰書簡や記録などを収めている。旧約聖書と比べると短い期間の比較的狭い世界で の記録である。
それでも記者によって世界観や信仰観に相違がある。たとえば、「マルコ福音書」はイエスに関する事実 と事件を収録しようとしている。「マタイ福音書」はユダヤ人メシアとしてのイエス像を主張しようとしている。「ヨハネ福音書」はイエスの内面的情緒を描こ うとする。
聖書は時代的にも、文化的にも多様な価値観の集合体である。それに加えて、聖書の記者たちの価値観と 現代の我々の価値観との間にも格差がある。それゆえ、文面だけを読んで我々の常識で判断すると、見当ちがいの一人合点をしてしまうことも少なくない。
たとえば、アロンの息子たちは「みな油を注がれ、祭司の職に任じられた」(民数記3:3)という記述 だ。「油を注がれ」という日本語の表現だと、我々は、油を頭にザーッと注いだとか、ポトポト滴したと思う。原文では「マサッハ、塗り込む、軟膏をすりこ む」である。メシアということばは、このマサッハから転じて、「油をすりこまれた者」の意味である。
キリストというギリシャ語は、メシアの訳語である。ギリシャ語の「クリオー」も「軟膏をすりこむ、塗 り込む」の意味である。「漆喰を塗る」という意味でもつかわれる。
油は光と神聖性の象徴である。尊い油を注がれても、もしその油が彼から流れ去ってしまうのであれば、 油注ぎは無意味になる。古代イスラエルでは、祭司と王の就任式のさい、新しく祭司になる者、王になる者の頭に油を注ぎ、かつ擦り込んでいたのである。擦り 込むという儀式によって王や祭司に神聖性を封じこめようとしたものと推測される。
さて聖書中の記事によっては簡潔すぎて読者に分かりづらい結果になっている例もある。
たとえば民数記3章4節である。日本聖書協会の口語訳は、「ナダブとアビウとはシナイの荒野におい て、異火を主の前にささげたので、主の前で死んだ」と訳している。原文では「瓊蹂 エッシュ・ザル(異なる火)」である。
最近の新共同訳は「ナダブとアビフはシナイの荒野にいたとき、規定に反して炭火を主の御前にささげて 死をまねいた」と少し分かりやすくなっている。但し、炭火と訳すのは行き過ぎだ。
規定に反してというのは、レビ記10章1節の記述、「主の命令に反して」を踏まえての意訳であろう。 これは適切な意訳といっていい。
しかし、彼等は一体どんな命令違反をしたのか。ラビたちはこの疑問を次のように推理する。
ナダブとアビフは朝夕2回、犠牲を供えるさいに薪をくべる所定の時間以外に、自分たちの判断で勝手に 祭壇に近づき薪を加えたのだ。それは、「異火を主の前にささげた BeHaQRaBaM ベハクラバム」という一句に示唆されている。子音だけで綴るヘブ ライ語の原文BHQRBMは「異なる火をもってエホバの前に彼等が近づいた ベヒカルバム BeHiQaRBaM」とも読めるからである。
聖書を読む楽しさは、難解な箇所をどのような根拠で、どのように推理し、どのように読み解いていくか にある。そのさい、原文を原語で読めるに越したことはない。
ヘブライ語やギリシャ語の知識とは関係なく推理をしなければならない場合もある。
たとえば、本号の冒頭にかかげた一節である。「イスラエルの人々の長男の数が273人超過しているか ら、その分の賠償金を払え」云々である。
民数記の記述だけを読むと、「レビ人の男子は22000人であった」(39節)、「イスラエルの長男 は22273人であった」(44節)と書いてあるから、上記要求は正当なものと見える。
だが、聖書を読むときは細心の注意が必要である。特に数字は検算する必要がある。第3章で報告されて いるレビ部族の男子総数は、じつはゲルション家7500人、コハテ家8600人、メラリ家6200人、計22300人。では、なぜ22300人と報告せず に、22000人と言っているのか。
これをラビたちは次のように説明する。 ・もともと長男は、それも母親の初産で生まれた長男は、イス ラエルのどの部族の子であれ、神に帰属すべきであり、神に奉仕しなればならない。・だが、レビ族をのぞくイスラエルの他の部族の長男たちは、シナイ山で金 の子牛像を作って礼拝するという事件に加担したため、神に仕える資格を汚した。・彼らの代行役としてレビ族の男子全員が起用されることになった。その分の 賠償金を彼らは払わねばならない。・ところで、レビ族22300人中にはレビ族の長男も含まれている。
〜ここからが推理であるが〜 ・律法によれば、レビ族の長男も生まれながらに神に奉仕しなければなら ない義務がある。・よって、レビ族の長男は他部族の長男の代役をしてはならない。・そこで、(22300人)−(レビ族長男)=(22000 人)。つまり300人がレビ族の長男数である。・よって、(神への奉仕可能なレビ族の男子22000人)−(その他のイスラエル部族長男数 22273人)=−273人。 ・ゆえに、不足の273人分の代役を金銭で償え、が結論である。
語学、数学、そして文献・証拠を駆使して聖書の真意を探る。はなはだ僭越かもしれないが、そこに聖書 を読む新たな楽しみがある。どんなミステリー小説にもまして聖書は奥が深い。
人生は空か (伝道の書12章) 手島
佑郎
記憶すべし、汝の創造主を 汝が若き日々のうちに 不幸の日々が来らざる迄に
さもなくば、「我には日々に喜びなし」と汝の言う歳月ぞ到来せん。
(伝道の書12章1節 原文より私訳)
2000年夏から2001年春にかけて9ヵ月にわたって、「伝道の書(コヘレット)」をトーラー研究 会で読んだ。
「空の空。伝道者は言う、空の空、いっさいは空である」という有名な書き出しで始まるこの書は、多く の方々にとって取りつきにくかったようである。
とりあえず日本語の訳文で読む第一印象では、人生へのニヒリズムを淡々とした表情で述べているように 見える。だが、ラビたちの誘導でこの書の世界に入ると、そこにはニヒリズムとはまるで無関係な人生の葛藤劇を発見する。
「空(くう)」と日本語に訳されていることばの原文は、ヘベル(吐息)である。確かに人生は吐息のよ うに短い。人生80年と言おうと、120年と言おうと、宇宙の永遠に比べれば一瞬に過ぎない。その点では、人生の栄燿栄華といえども、また悲哀悲運といえ ども、感覚の記憶にさえ残らない儚(はかな)さである。
人生をはかないと捉えるか、捉えないかは、各自の相対的な価値観である。ラビたちは「いっさいは空で ある」という一句に関して、これは全世界、つまり神が造った全被造物が吐息にすぎないのだと注釈している。太陽も月も星も大地も海も、吐息と同じ存在だと 言うのである。もしそうであるとすれば、何を嘆く必要があろうか。いっけん悠久と見える山岳でも崩れるし、太洋といえども干上がるではないか。
そうであるとすれば、むしろ問われるのは時間的短さという制約を負いつつ、いかにそこを充実させるか である。山も海も、人も生き物も、いかにしてその存在を意義あらしめるか。ぼ〜っと何事もせず無為に過ごすということは、存在意義さえも無にしてしまう。
では、どうすれば有意義な人生を送ることができるか。それについて、伝道の書は「記憶すべし、汝の創 造主を 汝が若き日々のうちに 不幸の日々が来らざる迄に」と命じる。
不幸の日々とは、老齢になって自分で思うように行動できなくなったときの意味である。もしくは逆境に 流されて、人生の悲哀に力を落としてしまったときの意味でもよい。そういう境遇になると、人生の損益貸借対称表を黒字に転換できないかもしれない。
そうならないためには、元気で力があるうちに自分の処し方をわきまえておいたほうがいい。それが、汝 の創造主のことを心に銘じよということなのだ。
では、自分の創造主のことを心に銘じるとは、どういうことなのか。
これについてラビ・アカビエが解説している。それは、自分が何処から来たか。自分は何処へ行こうとし ているか。自分は誰の前に人生の最終報告書 (ディン・ヴヘシュボン)を提出しなければならないか。この3点を胆に銘じることだと。
自分が何処から来たか。父親の白液と母親の赤液からではないか。それは神の計らいによるものであっ て、自分の既得権や自分の実力によるものではない。
いかに高貴な家柄といえ、いかに賤しい下層民といえ、人は皆その出発において平等である。人の尊厳は 出自如何ではない。神の人モーセも英雄ダビデもさいしょは無名の出発であった。自分の人生をどのように切り開くかは、一人々々の努力如何であって、生まれ の差ではないのだ。
自分は何処へ行こうとしているか。人はみな墓場へと行こうとしている。だれも死を回避できない。すな わち神によって創造されたものは、何人といえども永遠を獲得することはない。誕生から死に至るまでの間に、時間的長短があるにせよ、そのことで人の幸不幸 が左右されるわけではない。誕生から死までの時間の活用の仕方は、各自の自由裁量に委ねられているのだ。
そうであるからこそ、人は、神の前におのれの人生の最終報告書を提出しなければならないと自覚してお く必要がある。
最終報告書を意味するヘブライ語の「ディン・ヴヘシュボン」は複合語である。ディンとは判決、最終報 告、審議さるべき事件の意味である。ヘシュボンは決算、請求額である。この熟語を初めて知ったとき、私にはとても怪訝に思えた。なぜユダヤ人は報告書に決 算をつけるのか。
今になってやっとその意図が酌めるようになった。報告とは、私はああしました、こうしましたという陳 述だけではいけない。それだけでは主観に陥る。だが、行動のプラス面とマイナス面との評価明細を添付することによって初めて、客観性を確保できるのであ る。
どこまでも客観的に自分の行動を自己管理し、自己責任を持て。そう伝道の書は訴えている。
だから、伝道の書はその最後をつぎのように雄弁に締めくくっている。
「ことの終り(を申すと)、いっさいは聞かれている。神を畏れよ、その命令を守れ。なぜならばこれが (ために)全ての人間(はある)。すべての作業を神は審判にひきだす、全ての隠れた点についても善につけ悪につけ(審判に引き出す)」(伝道の書12章 13〜14節、私訳)
とかく人は悪行を隠したがる。当然それは明るみに出し、審判しなければならない。では善行ならば審判 しなくてもいいのか。伝道の書もラビたちも、いいえそうではないと反対する。
ラビ・ヤンナイはいう。「公衆の面前で貧しい者へ施しをするのは、たとえ喜捨が善行であってもよろし くない。なぜならば、それは公衆の面前で相手を辱めかねないからである」と。
ラビ・シラはいう。「貧しい者への援助は奨励さるべきである。だが貧しい女へひそかに金品を与えるの は慎まなければならない。双方ともあらぬ誤解を招くおそれがあるからだ」と。
ラッバはいう。「安息日直前の金曜日の午後になって自分の妻に肉を送りつけるのもよろしくない。肉は 安息日のディナーのために最良の贈り物である。だが、その支度で忙しい真っ最中に肉が届くと、彼女はそれをユダヤ教のおきてに従って処置をするのに困るで あろう」と。
神を畏れるということは、つまるところ、人間として隣人の立場を考え、かつ社会の公序良俗を考えて、 おのれの行動に責任を持てという意味なのである。むかしは、日本でも「何でもお天道さまが見ておられる。お天道さまに恥ずかしくないようにしないさい」と 教えていた。
たしかに人生はみじかく儚い。しかし、お天道さまは見ており、神は聞いている。この自覚を持つか持た ないかが、人生を意義あらしめる行動への第一歩となるのである。
ヨルダンに出かけるたびに、こうした実存的リセットを体験する。これは都会化したイスラエルにはない 体験だ。ヨルダンから帰ってくると、思考の柔軟さを取り戻した自分を発見する。
分解型思考の特性 (民数記4章) 手島 佑郎
以下は、会見の幕屋での彼等のすべての奉仕に関して、彼等の運搬警備の任務である。幕屋の板、その横木、その柱、その台座、中庭の周 囲の柱、その台 座、その栓、すべての器具に関わるその綱、さらにそのすべての作業に関するもの。汝らは名指しで彼等の運搬警備の器具を命令せよ。(民数記4章31〜32節)
聖書を読んでも、どうも我々日本人にしっくりこない。そういう感想をもらす人が多い。通常の日本人の 感覚で読んで、まあまあ理解できるのは創世記とサムエル記、詩篇などであろう。それでも、細部に関しては理解しづらい箇所も少なくない。
たとえば、ノアの箱船の物語では清い生き物と清くない生き物という区別がある。なぜ生き物に清いと清 くないとの区別をするのか。なぜ神はアブラハムと契約を結ぶのか。なぜ神がわざわざ人間と契約を結ぶのか。神ならば、人間に「従え!」と一言命令すれば足 りるのではないか。 こんな疑問がわきはじめると、聖書を楽しく読もうとする気持ちが止まってしまう。その原因はいろいろ考えられる。まず、文化が違う。 習慣や価値観がちがうために理解できない。
立場を変えて、外から日本人の生活を見ると、同じような疑問をいだくのかもしれない。たとえば、
なぜ日本人は大安だ仏滅だと日を区別するのか?
なぜ冠婚葬祭を暦に合わすのか?
なぜ日本の料亭は入り口に塩を盛るのか?
なぜ日本人は契約を嫌うのか?
日本は民主主義だといいながら、なぜ日本人は表だって議論せずに、舞台裏で物事を取り決めてしま おうとするのか? ……。
自分たちでは当り前で、何の不思議もないことだが、外部から見ると不思議なのである。
文化が違うだけではない。知ろうとする世界に対して憧れているか、それとも興味本位だけで接しようと しているかによっても、違和感がちがってくる。
憧れている世界に対する違和感は、そのまま驚きとなり、憧憬の対象となり、美化され、肯定される。興 味本位でのぞいた世界への違和感は、しばしば困惑となり、却下拒絶へいたる。
フランスやイタリアの文化に接して多くの日本人がいだく違和感は前者である。本来は摂取し難いほど異 質であるにもかかわらず、かれらは憧れのゆえに、それを殆ど無条件に受容する。ゴシック建築やキリスト教芸術にしても、その根底に流れている思想は日本人 の考え方とは無縁のはずだが、西欧への崇拝ゆえに賞賛の的となる。
ユダヤ教、イスラム教の世界となると、事の背景を理解もせず、「目には目を、歯には歯をとは、何とも 野蛮だ。砂漠の宗教や文化はどうも頂けない」としりぞける。本来は、目には目に相当する代償を払え。歯には歯に相当する代償を払えの意味である。野蛮どこ ろか、近代的合理的かつ契約的なのである。
契約というのは、相手も自分も対等であるということを前提としている。神が人間と契約を結ぶというの は、人間を対等なパートナーとして遇しようとするからなのである。聖書の神はその絶大な権力でもって人間を恫喝し服従させようとするのではない。砂漠の神 はみずから至高の天より地上まで下ってきて、親しく人間と語り合うのである。
対照的に、キリスト教の神は天使の軍勢をしたがえて、世界を見下し、人類全体を審判する。仲介者キリ ストなしには世界は彼と対話できない。新約聖書中の「ヨハネ黙示録」をみよ。そこには万物を超越する絶対者、専制者の姿が描かれている。絶対者の慈悲にす がるしか世界の存続のすべはない。キリスト教のもつ他宗教への優越性の主張は、ある意味で非近代的なのである。
その排他性が、日本人にはキリスト教を馴染めない存在にしているのではないだろうか。
日本人に理解しづらいもう一つが「幕屋(まくや)」である。聖書ではしばしば、幕屋という用語にであ う。会見の幕屋、証しの幕屋、臨在の幕屋、ただ幕屋とだけ呼んでいる箇所もある。
漢訳聖書からそのまま借用した用語なのであろう。しかし、そもそも日本語として馴染みがない。文字を 見ると、幕で覆われている小屋か、幕を収納する納屋のようなイメージが浮かぶ。
具体的には、天幕で出来た移動式神殿のことである。
「会見の幕屋」「臨在の幕屋」という訳語の原文は、オーヘル・モエード(対面の天幕)である。証しの 幕屋はオーヘル・エイドゥート(証拠の天幕)で、じつはオーヘル・モエードと同じ天幕である。この天幕の中に十戒を納めた箱が安置されている。このことを 強調するときは、証拠の天幕と呼んだのである。他方、その箱を神の臨在の象徴としてとらえ、その箱の正面に立って礼拝するときは、対面の天幕という名称を 使っているのである。
単純に「幕屋」という場合の原文は、ミシュカン(住居、邸宅)である。テント張りの家を指してはいな い。これは御所、御在所と訳すほうが適切である。これは神域全体をさす。ミシュカン・オーヘル・モエード(会見の天幕のある御所)という表現もある。
ちょうど京都御所の中央に紫辰殿がある構図に似ている。ミシュカンの中央にオーヘルがあったと想像す るといい。ミシュカンは、東西約50m、南北25m、高さ7.5mの幕で囲まれ、東の正門には幅も高さも10mの目隠しの幔幕が張ってあった。内庭の奥に 幅5m、奥行き15m、高さ5mのオーヘルが鎮座していた。
周囲に高層建築などない荒野では、これでもすごく威圧感のある建築物であったに相違ない。
聖書の記述をそのまま再現すると、オーヘルは壁板55枚とそれを組み合わせる付属部品少なくとも約 330点、およびカバーの巨大カーペット30枚以上を必要としていた。ミシュカンは柱59本とその付属部品少なくとも360点、ならびに特大幔幕60枚以 上を要していたと推定される。
大は柱や壁板から、小は紐やランプ、水鉢にいたるまで、部品の大小を無視しても、ミシュカンの運営維 持に必要な部品点数は、1000点以上になったものと推定される。
それを管理し運搬するのが、レビ部族の任務であった。柱や壁板などは1人では運べないほど大きく重 かったであろう。となると、民数記4章に登録されているレビ族の徴用男子総数8580人は、案外、適正規模の人員であったと考えられる。
聖書の物語を読むと、誇張された数字にも出会うが、この箇所のように現実の作業に必要な数の場合もあ るのだ。
具体的に事実を拾っていくと、聖書にかぎらず、小説にせよ、歴史記録にせよ、いや空想小説の場合で も、意外と現実的数字や現実味のある状況設定というものが浮かび上がってくる。
ミシュカンが分解可能である以上に、我々自身の観察や思考がどう分解されるかによって、発見される世 界が違ってくる。そこから真の総合的な組み立て思考が始まるのである。
すべてに時機(ズマン)があり、天の下のすべての人事に時期(エィト)がある。
(伝道の書3章1節 私訳)
「暦のうえでは秋ですが、今年はまだまだ暑く、今日などこの夏の最高気温だそうですね」とテレビの ニュースキャスターたちが会話しあっているのを耳にする。そのたびに、わたしは、かれらがデータとしての暦を調べるだけで、じっさいに自然を観察していな いのだな、と思う。
今年はここ湘南で、8月7日の立秋に秋の気配を感じるのは、さすがに難しかった。だが、昨年2000 年8月15日ごろには、もう空の青さが秋の透明度に変わっていた。8月23日は処暑であった。処暑というのは、暑さが収まるという意味だ。この頃からコオ ロギなど秋の虫が鳴きはじめていた。
空の透明度といえば、昨年の三宅島の噴火以来、晴天でも空がかすんで、曇っているように見える日が増 えている。午後北東の風が吹くとすこし空が晴れる。夕方になると、西の空はいつも雲の帯が南の相模湾から内陸の多摩地方へと続いている。たぶん伊豆半島か ら箱根・足柄・秦野の山脈にそって東側を走る気流に、噴煙が乗るせいであろう。対照的に、東の鎌倉の空は雲が少ない。
ちょっと丁寧に周囲を観察すると、自然の変化に気付くことが多い。
動物と人間との違いの一つは、時という観念を持っているかどうかである。
たしかに虫でさえ秋の気配を感じて鳴きはじめる。渡り鳥は季節の変化を察知して移動する。庭の山椒の 木などは早くも秋を察知して枯れはじめている。しかし彼等はおそらく時間として季節を認識しているのではない。彼等の行動は、寒暖の周期的変化に対する本 能の対応である。
人類もまた当初は季節変化に対して本能的に対応していた。やがて暑さ寒さを意識的に記憶し知識として 季節への対応方法を蓄積するようになった。さらに、昼夜の変化とその長短を記憶した結果、1日という時間概念を持つようになった。さらに1日を細分割して 時刻という概念を考案した。さらに天体の運行観測により暦というものを発明するようになった。
この結果、人間は、とりわけ現代人は、ほとんどの場合、暦という観念で季節の変化を「考える」ように なり、季節の変化を自然に察知して行動しなくなった。それどころか、現代人は、人類が進化の過程で身につけてきた季節変化への本能的対応の能力をさえ退化 させてしまった。
時間…。これが無ければ、現代人の生活は麻痺し機能しなくなる。わが家を例にとれば、 わたしが知るかぎりで少なくとも30個時計がある。古くなった腕時計はトイレや洗面所にぶら下がっている。その他、電子機器に組み込まれた時計が12個あ る。せいぜい腕時計1個あれば足りるはずなのに、いつのまにかわが家は時計の洪水となった。まるで時間の包囲網のなかで生活しているようなものだ。
なぜ現代人は過剰なまでに時間を意識するようになったのか。これは多分に生産結果の分配を年単位から 日単位に、さらに時間単位へと細分割して計算するようになったことと関係がある。 古代メソポタミア社会では役人や宗教家は年俸をもらい、職人は仕事が完 了した時点で、出来高払いで報酬を受け取っていた。一般労働者は日雇の日給であったが、出来高、つまり労働生産性をそれほど問われるわけではなかった。農 民は月々に農作業の準備をし、四季の収穫物で決済していた。だから、社会全体としては1日きざみで労働と生産を考える必要はなかった。
産業革命以後、英国で労働者の週給制度が定着し、これは米国に受け継がれる。その米国で20世紀に なって、フォードの大量生産方式やフレデリック・テーラーの労働の標準化などの普及により、労働生産性要求の高まりが人間と時間のかかわりを分きざみにま で神経質にしてしまったのである。そして今やIT革命が、これを秒きざみにまで追い込みはじめている。
時間…。これは人間が発明した最大の概念である。これは神の概念とならんで、じつはその存在の証明が 最も難しい。一般に我々は、経験の流れを時間としてとらえている。
平凡社百科事典の中で、物理学者の村上陽一郎氏は、「世界におけるすべての変化および無変化において 保持されている何ものかを時間と呼ぶ。時間は人間と外の世界との接点に現われるものである」と記述しているが、時間とは何かという定義は下していない。量 子力学では、エネルギーと不可分な観測対象となる量としての時間を考える。
だがいずれにしても、時間とは何かということについて決定的な結論はまだ出ていない。時間というもの の存在を当然の事実として、便宜上、承認しているにすぎない。
聖書は天地創造によって時間がはじまったと考えている。時間も神によって創造されたものの一つにすぎ ない。それは昼と夜の交互の来訪によってもたらされる一種のリズムであり、世界の出来事の発生順の物差しである。
だが、聖書の後期の作品「伝道の書」は、経過する時間とは別に、発生する時間があることに気付いた。 しかも、そこに2種類の異なる時間があるのに気付いた。いわく「すべてに時機( ズマン)があり、天の下のすべての人事(ヘフェツ)に時期(エィト)がある」
ズマンという時間概念は、指定された「時」である。人間が理解できようと出来まいと、世界のすべての 出来事は、とりわけ自然界の出来事は、起きるべくして起きる。雨も雪も、洪水も嵐も、春の開花も、秋の実りも、すべて世界の必然が予定していた時に起き る。あるいは神の意思が計画し指定していた時期に起きる。これは人間の介在を許さない時間現象である。
対照的に、人間の営みは、ちょうど今という時(エィト)に行われるのがよろしいと伝道の書はいう。私 が「人事」と訳したヘィフェツということばは、元来、欲望・願望・願望の対象・好ましい物事の意味である。人はおのれの欲することが己の欲する時に起きて 欲しいと願う。だが人の欲するままに物事がなされたのでは、世の中は混乱する。人間界の物事は、物理的必然で起きても困るし、人的恣意でなされても迷惑 だ。それらは時宜にかなった汐時、時機というものを選んで適切に行われなければならない。これは熟慮して選択する「時」なのである。
人間だけが所有する「時」の概念。それでいて、人は時間を創造することも、自分の一生の時間を拡げる ことも、縮めることも出来ない。では人は時間に対して無力なのか。そうではない。
伝道の書は教える。「人は苦労によって余得を望むべきか」そうではない。時にかなった適正な行動をす ればいい。人生のプラス・マイナスは神が審査することであって、人の所轄事項でない。人が心を配るべきことがあるとすれば、それは世界のために配慮するこ とだ。「人の心には世界を思う心が与えられている」(3:11)のは、そのためだと。
世界万物への配慮をしつつ、世界と共に生きる。「人がその生きている間、喜びかつ善を行なうにまさる 良きことはない」(3:12) それが人生なのだ、と伝道の書の著者は宣言する。
まず自然への関心と気配りをもう一度よび起こす。そこから人間の幸せが回復されるのだ。
ユダヤ教と魔術 手島 佑郎
行って他の神々に仕え、それを拝み、わたしが命じていない日や 月や その他の天の星々を拝むことがあり、その事を知らせる者があって、あなたがそれを聞くならば、あなたは、それをよくよく調べるべし。その事が真実であり、 そのような憎むべきことが確かにイスラエルのうちに行われていたならば、 あなたはその悪事をおこなった男または女を石で撃ち殺すべし。
(旧約聖書、申命記17章2〜5節)
ユダヤ教にはじまり、キリスト教、イスラム教に共通している聖書の 伝統をつぐ宗教の潔癖主義は、どうも我々日本人にはなじみ難い。他人が偶像崇拝しようと、異なる宗教に走ろうと、他の神々を拝もうと、それは各自の勝手で はないか。そういう狭量な排他主義があるから、キリスト教は日本で広がらないのだ。こういう指摘をしばしば耳にする。
たしかに、その指摘はもっともである。日本のように古来のアニミズ ム(精霊崇拝)、トーテミズム(守護霊崇拝)など自然崇拝を根底とする地縁的多神教社会の観点からみると、聖書の宗教の排他性はどうも合点がいかない。
どこから、この排他性が生じたのか。
それは、聖書の宗教の出発点が「契約」にあることによる。
3300年ほど前に、モーセがユダヤ人の祖先60万人を引き連れエ ジプトを脱出したとき、イスラエルの民のなかにはまだ異教の神々をおがんでいた者もいた。メソポタミアでの考古学発掘によって得られた粘土板の古文書に は、他の神々の名前にまじって「エホバ」の名前も出ている。そういう経緯を顧みると、4000年前のオリエント世界では聖書の神エホバは、あまたの神々の なかの一つに過ぎなかったことが窺える。
しかしながら、エジプト脱出の「奇跡」は他の神々の信仰集団の指導 力では実現しなかった。モーセを筆頭とするエホバ信仰グループの主導権によって実現した。この結果、60万の人々は民族統合と団結の盟主として、神エホバ をかれらの神とすることを誓い、契約した。それも子々孫々この契約に参加するという条件の契約であった。
契約である以上、この神以外の神を拝むことは違反になる。法律用語 でいう独占的排他的契約である。ユダヤ教以後、キリスト教もイスラム教もこの契約思想を継承した。キリスト教徒はキリストの救いに選ばれた契約のしるしと して、聖餐式のパンとワインを拝領する。イスラム教徒は来世の至福にあずかる約束と引換えに、アッラーへの服従を誓う。いずれも他の神々を礼拝しないとい う排他的契約の行為である。
ところで、冒頭に引用した申命記の一節だが、ここには太陽、月、星 を神々としてあがめ、これらを礼拝してはならないと命じている。だが、こういう禁止命令が布告されていたという事実は、当時、ひそかに天体礼拝をしていた 人々が一部にいたことを示唆している。
どんなに権力で取り締まっても、末端の民衆のなかには旧来の土俗的 信仰が残る。
たとえば、異教礼拝を厳格に禁じているイスラム教のアラウィ派がそ の好例である。かれらは天体礼拝をしていたフェニキア人の末裔である。そこで、太陽や月はイスラム教の天使の象徴であるという教義をつくり、イスラム教の 傘の下で今日でフェニキアの宗教を継続させている。
古代ローマ人やゲルマン人が冬至に太陽の新生をいわった祭りが、キ リスト教化とともに、西洋ではクリスマスという救世主誕生のまつりに変わったのも、同様な例である。
現代のユダヤ教の中には、そうした古代的異教礼拝は残っていない。 だが、少なくとも西暦3世紀頃までは、ユダヤ教社会の中にも、異教礼拝の残滓が魔術という形で残っていた。
私の手元には、アメリカ・ユダヤ神学校図書館が所蔵する3世紀の魔 術書「セーフェル・ハラズィーム」の写本がある。この本の書き出しはまことに興味深い。
「これは神秘に関する書物のなかの書物なり。アダムの直系の子孫ノア が、天使ラズィエルのくちを通して、方舟に入る前に授かりき……これはいと高き天の高嶺をさぐり、七層の天における一切の事 を統べ、すべての星晨を窺い、太陽の運行を鑑照し、月の奥義を明らかにし、大熊座とオリオン座、スバルの軌道を知り、すべての天空毎の警邏の名とその支配 を告げしらせるためなり。それによりてもろもろのことに成功せんがためなり」
この書き出しからも分かることだが、ユダヤ教社会のなかで魔術をお こなうためには、魔術もまたユダヤ教の体系のもとにいったん同化する必要があった。
そのために、・ユダヤ人の直接の祖先であるアブラハムよりもさらに古 い先祖ノアを担ぎだしている。・ユダヤ教で最高位の天使とされているガブリエル、ラファエルにも比肩する天使としてラズィエル(謎の天使)という名の天使 を配置し、この本の内容の権威付けをしている。・しかも天体を礼拝するのではなく、あくまでも天界の秘密を解き明かすことが目的だと断っている。
とはいえ、最後に「それによりてもろもろのことに成功するため」と 実利を掲げている。細部においては、夜、月を仰いで犠牲の動物をささげ、某々の天に登り、某々の天使の名前を呼んで礼拝すれば望みが叶えられるといったこ とが記されている。そこには明白に天体礼拝以来の魔術の系譜が生きている。新約聖書の使徒行伝8章にしるされてる魔術師シモンの魔術も、こういう祈祷呪術 だったのであろう。
5世紀以後のユダヤ教では、月や星に犠牲をささげる魔術は姿を消し た。しかし、呪術的な祈祷や護符(カメオ)は地域によっては今世紀はじめまで残っていた。18世紀後半に東欧でユダヤ教復興運動ハシディズムをはじめたラ ビ・イスラエル、バアル・シェム・トブの職業は護符師(バアル・シェム)であった。トブ(Good!)と賞賛されるほど彼の護符は霊験があった。
だが、かれは護符では人が救われないことに気付いた。各自が神に直 接密着し、神の生命の火花と共に生きることを教え、それがハシディズムへと発展していった。
呪術や魔術では一時的安心を与えても、人の霊魂の救いはできない。 生活の救済さえもできない。人を真に救うわけでないのであれば、はじめから接触しないほうが賢明である。そういう理由もあって、ユダヤ教は当初から偶像礼 拝を禁じてきたのである。
ちなみに西欧のキリスト教社会では、ユダヤ的呪術をカバラと呼んで いる。日本でもユダヤ・カバラ秘術などという本が出回っている。だが、ほんとうのカバラーは神智学であって、呪術や易占とは無関係である。まやかし物の横 行に、我々もよくよく気をつけねばならない。
共存のEQ 〜ダビデとその幕僚ヨアブに学ぶ〜
(サムエル記下20章他) 手島 佑郎
人はひとりでは何もできない。ひとりでは生きることさえできない。
私もあなたも、それぞれ今日こうして生きておれるのは、自分以外のだれかの支えがあったればこそ、ま た、あればこそなのである。生まれてから巣立つまでの親の保護、社会に出てからは朋友同僚先輩の理解と後輩の協力、顧客やパートナーからの信頼、家庭にお いては伴侶や家族からの支援。そうした諸々の助けに支えられて、たとえば、私は今日ここに生を得ている。
私はイスラエル留学も米国留学も私費留学であった。働きながら勉学に勤しまねばならなかった。通常、 これを自活しながら勉学したという。しかし、この表現は正しくない。仕事を頼んでくる人があったから自活できたのではなかったか。自分の能力を買ってくれ る人がいたから報酬がもらえたのであった。私に仕事を与えてくれた人々に感謝は尽きない。
もっともイスラエルでは、留学2年目から、特例で、私はイスラエル国政府奨学生に選ばれ勉学に専念で きた。これは、同国外務省極東局のウナ・シュロミート女史と、当時ヘブライ大学学長であり、かつ哲学科主任教授を兼務されていたロッテンシュトライヒ教授 とが私をイスラエル政府に推挽して下さったおかげであった。お二人のご恩は一生忘れられない。
また勉学そのものでも、これは独力で遂げられるものではない。良き師、良き学友に恵まれてはじめて学 の成果も上がるものである。私の場合、哲学の分野ではフーゴ・ベルグマン、旧約学でゼーリグマンとH・L・ギンズベルグ、ユダヤ思想ではアブラハム・ヘ シェル、セイモア・シーゲル、ウォルフ・ケルマン等から薫陶を受けることができて幸せであった。
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自分の経験から申せば、私には、釈迦のように単純に天上天下独尊と、最初からひとりで悟りが開けると はとても思えない。釈迦にだってきっと良い師があったから、優れた悟りに到達できたのではないだろうか。問題意識や着眼は本人固有のものだとしても、結論 に到達するまでのプロセスでは良いアドバイザーや良い同僚に恵まれることが必要である。
いずれにせよ、人はひとりでは事業を仕上げることも、生活もできない。人の助けを受ける代わりに、自 分も他人の役にたつ仕事をせねばならない。このことを自覚しているか否かが、人間として最大の知恵なのではないか。
さてトーラー研究会では、古代イスラエルの英雄ダビデ王の右腕として活躍した武将ヨアブの生涯を取り 上げた。ヨアブに関する資料を集めると、 サムエル記からだけでも、B4サイズ2ページで収まりきれないほど沢山の資料があった。
ヨアブはダビデのいとこであった。おそらく彼のほうがダビデよりも年長であったと推察される。彼はダ ビデの亡命の最初から行動をともにし、早くからダビデ軍の枢要な地位を占めていたと思われる。なぜならば、彼の兄弟アビシャイに言及した記事で「ヨアブの 兄弟アビシャイ」と断わってあるからだ。歴史資料を読むさいは、こういう人脈への言及は当時の状況を再現する上で有力な鍵となるのである。
ヨアブが正式にダビデ軍の長に任命されたのはエルサレム攻略で一番乗りをしてからだという(歴代志上 11章参照)。彼は北イスラエル軍との戦闘でも、隣国アンモンとの戦争でも、反乱者アブサロムの追討においても、全軍の先頭に立って戦い、よく兵の士気を 鼓舞し、つねに軍を勝利へ導いた。
武人としての優秀さの点では、ダビデもヨアブも互角かもしれないが、主君への忠義という点では、ダビ デよりもヨアブのほうが遥かに不動であった。ダビデは主君サウルのもとから逃亡した。ヨアブは主君ダビデのためであれば、たとえダビデの不興を買うと分 かっていても、逃げないで敢えてそれを実行した。彼はダビデの意にさからってでも、政敵アブネルを暗殺し、謀反人アブサロム、同アサヘルを刺殺した。それ がダビデ家の安泰への道を開いた。ダビデの意向であれば、敵陣で部下ウリヤを死にむかわせたり、難儀な人口調査も請け負った。
だが、その彼も、ダビデの晩年に及んで、王がもうろくしたものと思い、王の意向を聞かずに勝手に王子 アドニヤを擁立する。これはダビデのためを思う行為ではなく、ヨアブ自身の驕りであった。そのため、王の死後ヨアブは非業の死を遂げる結果となった。
ダビデは「私は王であるが、今日なお弱い。姉ゼルヤの子であるヨアブたちは私の手におえない」と告白 している(サムエル下3章)。一見すると、この発言はダビデの愚痴に聞こえるが、じつは、ここに彼の成功の秘密があった。つまり、彼はヨアブたちのおかげ で自分の王位が維持されていることを自覚していたし、自分の力で王位を維持していると思っていなかった。
だから、ダビデは自分に貢献してくれる人は、敵味方のへだてなく、だれでも登用した。そこにダビデが 永く人々の記憶にのこり、愛されるようになった理由がある。
自分の生を他者と共有し、他者の生の論理の上に自分を生かすことができるかどうか。これは通常の教育 や学問では得られない異質な、もうひとつの人生の智恵である。
シェマの祈り(申命記6章) 手島
佑郎
シェマアー イスラエル、アド ナーイ エロヘーヌー アドナーイ エハッド。
聞け イスラエルよ、 わが主は、われらの神、わが主は 壱なり。
汝の心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、汝の神わが主を愛すべし。
(申命記6章4〜5節直訳)
21歳のときイスラエルへ留学して以来、この35年あまりユダヤ人と交わり、ユダヤ思想の世界を逍遙 してきた。何がいちばん大きな収穫であったかというと、おおらかな歴史への感性や悠久な歴史への尺度にふれてきたことである。千年一日の如しとは言わない までも、100年、200年の歴史の差に動じなくなった。千年、二千年前の歴史上の人物を現代の同世代の人物を見るごとくに、親近感をもって接することが できるようになった。
ユダヤ人の歴史をつづった聖書やタルムード、その他無数のかれらの古典をかみしめて読むにつれ、歴史 の変遷がいかに重ねられようとも、いつの時代にも人間は人間としての同時代性、人間としての内面の変わらざる現代性を共有してきていることに気付いた。
なるほど技術は二千年前と比較して大幅に進歩し、さまざまの便利さを我々の生活にもたらしている。だ が、技術の進歩以外の精神的感情的いとなみの面では、人間の生活は二千年前も三千年前も現代のわれわれと変わらない。政治や制度が変わっても、人々の心の なかは同じ悩み、同じ苦しみ、同じ喜びがくりひろげられている。
地上に生まれ、育ち、自立し、家庭をもち、財産を築き、やがて老いて死んでいく過程で、人は何をあら たに加えることができるだろうか。人は人としてせいいっぱい生きていく。花は花として精一杯さいていく。それが生あるものの営みの感動の原点である。
わたしの机の上には二千年前のローマ時代のガラス製の小瓶、三千年前のイスラエルの素焼きの壺数個、 四千年前のエジプト人が魔除けとして肌につけていた2・ほどの猫や鷹の小像などがある。そのいずれにも、それを所有していた人々の生活の情感が感じられ る。二十万年前のネアンデルタール人の石斧も一個所蔵しているが、それにもどこか人類の温かみが残っている。
生きるということは、苦労や悲哀が多い。喜びは常につかのまである。だが、その起伏がドラマなのであ る。ドラマに感動するかどうかは観客が決めることであって、役者が決めることではない。役者は苦しくても我慢して役を演じつづけなければならない。人生も そうだ。
わたしたちはみな苦しいまま、人生というドラマの幕が終わるまで舞台に立ちつづけねばならない。幕の 合間に、ふと立ち止まって、他の人々のドラマを見ると、そこでようやく役者はドラマが感激であることを知る。わたしたちも生活のどこかで、ちょっと佇ん で、自分の生活なり他人の生き様なりを振り返るとき、ようやく自分の人生にも感動があることを知るのではないか。
そういえば、衣装棚の上には、ビザンチン時代のキューピッド像が紙にまるめて放ってある。10数年 前、エルサレムの骨董屋で買ったものだ。高さ約20・、日干しの粘土製のレリーフの上に赤茶色の上薬をかけて焼いたもので、表面はちょっと赤い植木鉢に似 ている。壁に懸けて飾っていたらしく、裏面には鈎穴が空いている。粘土の質から察するに、ギリシャかイタリアからの輸入品であったようだ。ローマ名: キューピッド、ギリシャ名:エロス。この像の元の持ち主はいったいどのような願いをエロスに託したのであろうか。
珍しい収集品といえば、エルサレムの黄金のモスク(イスラム教寺院)の内部の黄金の天井から剥落した 漆喰の小片がある。小指の爪ほどの大きさで、純金の箔が燦然と輝いている。
その輝きは、真紅のペルシャ絨毯をしきつめた、あの堂内の深い静寂と瞑想を、わたしの胸のなかに想い 起こさせる。静寂のなかから、遠く微かに神殿の南のエルアクサ寺院で告げるイスラムの祈り「アッラーッ、アックバール!」が聞こえてくる。
それにしても不思議なことである。地中海の東の荒涼たる禿げ山の頂きの町にすぎないエルサレムがユダ ヤ教、キリスト教、イスラム教という世界3大宗教の聖地となっている事実は…。
エルサレムが聖地になったのは、この町が特別の場所だったからではない。この場所に足をとめ、または ここで生活した人々のなかに、少数だが、ひたむきに、しかも赤裸々に人生を生きた人物がいたからである。
アブラハム:かれはわが子を神へ捧げよとの命令に煩悶葛藤した。ダビデ:かれは人妻バテセバを寝取 り、神と民衆のまえに懺悔せねばならなかった。イザヤ、エレミヤ:かれらは国王と民衆の意向にさからってでも、亡国の運命を預言した。ナザレのイエス:か れは真実がこの都にないことを憂えた。メッカの商人ムハンメッド:かれはこの都の権威を超えるものとしてメッカの優位性を訴え、しかも彼自身はこの都を希 求し、伝説によれば、ここから昇天したという。
いずれも清浄無垢そのものの生涯を送ったのではない。人間の自我と欲望とが渦巻くなかで良心と理想に 圧迫されながら苦悩し、歩むべき道、有るべき理想を求めた。その苦しみが、いま神聖さとなってあの町を掩っているのだ。あの町で生まれた人類全体への贈り 物のひとつ、旧約聖書の『詩篇』にしても、じつは人生の矛盾に悩む個人の叫びである。
そして、あの町で誕生し、ユダヤ民族全体の精神的支柱となったのが、「シェマー イスラエル! 聞け イスラエルよ」ではじまる『シェマの祈り』である。これは、ユダヤ人が精神的に堕落し社会的政治的にも行き詰まっていた紀元前8世紀頃に、これではいけな い!との危機的反省の中から起草された祈祷文である。民族の絶望の淵から、なんとか希望へつなごうとの必死の叫びであった。
ユダヤ人はその後、バビロン捕囚、ギリシャの圧政、ローマへの屈従、そして二千年近い離散など数々の 悲運を味わうが、滅亡せずよく団結を保ってきた。それはシェマの祈りを共有してきたからである。かれらは朝と夜半の2度この祈りを朗詠し、信仰の証しとし てきた。
そればかりか、このシェマの祈りの調べからグレゴリアン聖歌が発展し。グレゴリアン聖歌から現代の西 洋音楽が発展していったのである。
このシェマの祈りをおそらくは預言者エレミヤが、学者エズラ、預言者ゼカリヤ、マラキが、そして疑い もなく祭司マカビーが、イエスやパウロが、それぞれ大声で朗詠した。原語のヘブライ語が理解できないひとでも、その朗々たる調べを聞くと、魂に感動を覚え る。
祈りは叫びである。叫びは時間を超え、空間を超え、民族を超えて、人々の心をうつ。わたしも叫びのあ る人生を歩まねばと、いまあらためて自分自身の覚醒のたいせつさに気付く次第だ。
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