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ゆうろう詩集
[手島佑郎]
[フロントページへ戻る] gilboa@ma.0038.net
A Poem: What shall we do
by Jacob Yuroh Teshima
The new year 5762 has come,
The year since the creation of the earth and the heaven.*
Yet the world is so sad in the deep sorrow.
All the creatures mourn for the victims of wars.
My teacher, Rabbi Abraham Joshua Heschel, sighed,
"Mah la'asot, what shall we do?"
At the break of the Munich Massacre in 1972.
So we ask ourselves, "What shall we do now?"
At the terror of New York and Washington.
Let us pray for the peace of the world,
Let us return to the way of humanity,
And let us restore the trust and hope.
We all human beings are created by God.
We all human beings cannot live anywhere but here on earth.
Why should we hate each other?
Why cannot we trust each other?
Let us start to greet each other,
Let us converse to love each other,
Oh my brethren, Jews, Muslims, Christians and other religions!
With the words for the peace:
"Shalom, Salaam, Peace" to everybody.
*Note: On September 18, 2001, many of my friends who are Jewish celebrated the arrival of their new year 5762.
連詩「トーラーの巻」
(トーラー研究会の諸賢、昨年仲秋の夜、藤沢の宿、くげ沼の居酒屋「ながら」にて読みし連詩)
ヴァイオリンとにんにくに酔う夜 ゆう
秋の日の 怒りのぶどう気にかかる 正
小惑星 地球の危機近し タニ
彼方よりながめれば美し湘南のうみ KYO
かなたより凝視むれば君俯きぬ 雄
逃げ出して来てみればやっぱり憩 石川
トーラーのせまき門 庭広く 義
新緑の気持はすでにちり落葉 昌邦
青丹よし寧楽も顔まけタイガース 正
鎌倉は都 江ノ島から入る ゆう
うらみのたき 静かの涙淵となる 雄
ばらの花束 無数の瞼を伏せて 節子
カメレオン 舌をのばし蝿をパク タニ
ガリレオ・ガリレー 君の胸にこそふさわし KYO
香りくるあなたの造るスパゲティ 昌邦
めをとじてみればそこはバンコック 弘子
思い出のチェンマイは夢の中 正
ウドンタニ 工事が終りカメルーン 和夫
剣山 契約の箱が呼ぶ祖谷のそば 正
エルサレム 最後は集う人の和 治夫
1945年初冬の思い出より ゆうろう
引揚者を積んだ貨車が停止した、
高梁畑の夕辺 駅舎は無い。
収容所から歩く人の群れ、
雪の夜 坂道を皆無言で下る。
米軍輸送船の船底 外は見えない、
機関音だけが伝わる 裸電球が眩しい。
また雪だ
白と黒とのコントラスト
ニッポンに帰ってきたのだ、今日。
(てしま・ゆうろう)
夏のおわり ゆうろう
ひぐらし蝉が 朝夕に
カナカナカナと きょうも泣く
夏の終りの短い日
別れが辛いと むせび泣く
山の林をふるわせて
木立をあげて カナカナと
姿もみせず ひとり泣く
ひぐらし蝉が泣くたびに
いまも思うは ふるさとの
遠い山の杉林
都へ行くなと あのときも
ひぐらし蝉が カナカナと
切なさこめて ふるえ泣き
いとしさ込めた あの声よ
カナカナカナの声 聞けば
心はしたう ふるさとを
野をこえ山こえ 帰りなむ
友に会わむと 帰りなむ
ひぐらし 泣くな カナカナと
明日にも 都をたつゆえに
カナカナカナと 泣くなかれ
幸福という川 ゆうろう
ひとは不幸をへて また幸せへ帰ってくる。
ひとにとって 不幸は
幸福という川の流れの所々を伏流にしてしまう石だらけの
中州か川床である。
だから わたくしが不幸という川床にいる時でも
心のそこに隠れている幸福の
記憶や感情が おりおりに湧き出で
わたくしの心を慰める。
不幸は 賽の河原の小石のように 無数である
だが どんなに無数でも それは無限ではない。
そればかりか
不幸の石も 伏流水「幸福」の
水分によって潤されている。
もし水分がぜんぶ蒸発して からからに乾燥したら
シナイ半島やゴビ砂漠の砂のように
岩石は たちまち瓦壊風化してしまう。
地下で 伏流となってでも
流れようとするこの川があるかぎり
わたくしは次の舞台への
希望をうしなうことはない。
ゆうろう
娘等はオリーヴ畑に出でゆきて
ボケル・トォヴ(おはようさん)と朝風によぶ
真午時(まひるじ)のキブツ静みて光もゆ
ギルボア山の岩の灼ければ
夕風のほの熱きかなた
むらさきにエズレル(平原)かすみ 一日の暮る
[1966年8月9日に詠む]
「もし・・・ 」
原詩:ルディアード・キプリング (訳・手島佑郎)
もし汝に属する全ての人その所有を失い、
それにつきて汝を責むるとき、なんじ泰然自若たり得れば………
もし全ての人びと汝を疑うとき、汝がみずからを信じ、
かつその疑謗をも呑み入れ得れば………
もし汝は待つことができ、しかも待つにたゆまざれば、
もしくは嘘にたぶらかさるれども、嘘で対処せず、
はたまた憎まるるとも、憎悪に怯まず、
されど八方美人に振る舞わず、賢明に過ぎた話もせざれば………
もし汝ゆめ見ることができ、夢を汝の主とせざれば………
もし汝に考ゆる能力あり、考えを汝の目的とはき違えざれば………
もしなんじ勝利の女神と災いの女神とに出会い、
これら二人のペテン師どもを同等に取り扱い得れば………
もし汝の語りし真実をふらちな者ども歪曲し、
笑いぐさの罠に仕掛くるとも、汝これに堪えて聞くことあたわば、
もしくは汝そのためにいのちを捧げしものの潰えるを正視でき、
しかして身を屈め、磨耗せし道具にてこれを築きなおすことあたわば………
もし汝その賞金のすべてを一山にし、
のるかそるか一回の勝負に賭くることあたわば、
そして負け、さらに再び始めより出発しなおし、
決して一言たりとも汝の損失を洩さざれば………
もし汝の心臓と神経、腱、すでに疲労困憊せりといえども、
なお汝それらを汝の用に駆り立つることあたわば、
しかも、「耐えよ!」と励ます意志以外に 汝の内皆無なるに、
なおかつ耐え抜きおわし得れば
もしなんじ群衆と話すに、汝の徳を保ち得れば、
はたまた王侯と共に歩むとも、庶民感覚を失わざれば、
もし敵も愛する友も汝を害することなく、
もし全てのひと汝を当てにし、されど誰も過分に期待せざれば……
もし許すことあたわざる一分を、
あたい六十秒の距離にて汝みたすことのできうれば、
汝のものなり、この世とこの世の一切は。
いな…それにもまさりて…汝は一人前の男子(おのこ)なり、わが子よ!
ルディアード・キプリング(1865〜1936)は、1907年にノーベル文学賞を受賞した英国の文豪である。その代表作は、インド滞在の経験を反映させた詩集「兵営の歌」である。だが日本の読者には 、冒険小説『ジャングル・ブック』の著者と紹介したほうが分かりやすいかもしれない。 彼の詩「イフ…」は、文豪の作品というよりも、実業家や冒険家への戒めである。これは、オキシデンタル石油を世界のメジャーに仕立て上げたユダヤ人の実業家アーマンド・ハマーの愛詩であった。日本では、この詩はまだ紹介されていなかったので原詩「If・・・・」から手島佑郎が訳した。 |
「光のために」 作詩: てしま ゆうろう
いつも思うの 人はなぜ
なぜなぜ 生まれて くるのでしょう
青くまあるい この星に
星の光りにつつまれて
みんな楽しく 助けあい
平和な世界 つくるため
生まれてくるので ないでしょうか
ず〜っとむかし 幼い日
光りが わたしを つつみこみ
「こちらに おいで いとし子よ、
人は光りに つつまれて
みんな光りに つつまれて
生まれてくるのよ どの子も」と
やさしく教えて くれたのよ
人を いじめちゃ いけないの
ひ〜とを 殺しちゃ いけないの
それは 光りに そむくこと
みんな楽しく 助けあい
この世のつとめ 終わったら
天(て〜ん)の星になるのよと
わたしの おばあさんも 言っていた
夜空にひかる 星をみて
あなたも 天に帰るまで
地上の光り たいせつに
人を いじめちゃ いけないの
人を 殺しちゃ いけないの
平和な世界 つくるため
人は生まれて くるのです、人は生まれて くるのです
「まりちゃんと妖精」
詩: てしま ゆうろう
南の島の 水ぎわに
ちいさな妖精 おりました
くるくるお目めの こびとさん
ざぶ〜ん ざぶ〜んと 波のおと
いつもまりちゃんと あそんだの
しろい砂と あおい海
夕焼け雲が ひかるまで
時をわすれて あそんだの
いまもまぶたに うかびます
南の島の 妖精さん
お耳をすまして 目をとじて
ほ〜〜ら ざぶ〜んと 聞こえるよ
いつもまりちゃんと 遊んだの
しろい雲と あおい空
夕焼けこやけ あおぐたび
また会いたいな 妖精さん、また会いたいな 妖精さん
「わたしは歌う」
詩:てしま ゆうろう
ハレルヤ ハレルヤ 声高く
わたしは歌う いま救われた身の幸
主イエスの出会い サマリヤの井戸で
わき上がる喜びと 愛の感謝
ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ 力こめ
わたしは歌う いま救われた身の幸
主イエスの導き マグダラの里で
清められた心よ 神の愛に
ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ いのち満ち
わたしは歌う いま救われた身の幸
主イエスのゆるし エルサレムの朝
温かいまなざしと 愛の諭し
ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ 希望もえ
わたしは歌う いま救われた身の幸
主イエスをめざし 十字架のもとまで
信仰と福音と 聖霊(みたま)の愛
ハレルヤ ハレルヤ
「平和への歌 (シール レ・シャローム)」
昇れよ 太陽 朝を照らせ
われらは祈る 前進を
灯(ともしび)かかげ 平和のために
倒れし友は 呼べど帰らず
だれも戻るな 地獄の闇へ
ああ 二度と歌うまじ 戦(いくさ)の凱歌
しかし歌えよ 平和への
歌と祈りを 声高く
ああ 平和への、平和への歌のみを歌え
届け 太陽 花さく園へ
かえり見るなよ 去る者を
希望を仰ぎ、武器よさらば
いざ歌うべし 愛の、愛の歌を
待つにおよばず 夢にはあらず
ああ 平和への 溢れる叫び 明日をまねく
さらば歌え 平和への
歌と祈りを 声高く
ああ 平和への 平和への歌のみを歌え
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「江の島詣で」 詩:てしま ゆうろう
海鳴り、潮鳴り、浪咆える
ここは江の島 岩屋の岬
霊験(しるし)あらたか 弁天様に
願いかけましょう 開運祈願
出会った二人の、出会った二人の 赤い紐
ああ、結ぶ縁(えにし)は 永遠永久(とことわ)に。
海鳴り、潮鳴り、浪咆える
ここは江の島 岩場の怒涛
波路をてらす 灯台の火に
しるべ乞いましょう 安全祈願
愛する二人の 愛する二人の 浮世舟
ああ、漕ぎ出す宿命(さだめ) 幸せに。
海鳴り、潮鳴り、浪咆える
ここは江の島 岩戸の窮(きわ)み
多幸(しあわせ)いのる 神の社(やしろ)に
誓いたてましょう 夫婦(めおと)祈願
旅立つ二人の 旅立つ二人の 熱い愛
ああ、行く末永く 弥栄(いやさか)に
「雨の湘南」 詩:てしま ゆうろう
雨降る湘南 夜霧に煙る
あなた どうして いるかしら
昨夜(ゆうべ)二時まで 片瀬の汀(なぎさ)
今宵ひとり身 心もだえる
ああ、ああ、女ためいき 春の恋
雨打つ湘南 水面(みなも)は淡い
あいつ どうして いるだろう
昨夜二時まで 七里ケ浜辺
今朝のわびしさ 潮騒(しおざ)いかえす
ああ、ああ、男つぶやき 夏の夢
雨泣く湘南 夕空重く
あなた どうして いるかしら
昨夜二時まで 稲村ケ崎
今夜さいごね 二人は他人
ああ、ああ、男と女 秋の海
雨止む湘南 星空冴える
あいつ どうして いるだろう
昨夜二時まで 葉山の岬
明日も逢いたい 瞼に浮かぶ
ああ、ああ、愛の旅路は 冬の波