大阪で経営と現代を考える・道塾(みちじゅく)活動報告 

 塾長:手島佑郎]

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第149大阪道塾2009年1月13日

 2009年明けましておめでとうございます。

 以下は塾長・手島の講義要旨です。

 

 

「大原總一郎、経営とその人物」『大原總一郎』(中公文庫)第3回 

課題 pp. 224-259、& pp. 290-353。

上記の箇所をお読みなって、大原總一郎の経営とその人物について皆様は何を考えられたのでしょうか。

塾長講義

1.pp. 224-233、「クルシキレイヨン」

 新商品の販売、新規事業の展開は如何にあるべきでしょうか?

 ビニロンの事業を軌道に乗せるまでの苦しい時代を總一郎と一緒に活躍した技術者、友成九十九の行動も印象的である。

 p.228/4-6では、友成が石灰岩の塊を経済安定本部総務長官のデスクにどんと置いて熱弁をふるったという光景。まるで友成の熱弁が聞こえるかのようである。石灰岩がビニロンという繊維に化ける。いまでこそ化学繊維に関して人々は疑問を抱かない。だが、当時は、こうでもして実物を示さないと人は信じなかったのである。説得技術として大いに学ぶべき点がある。

 p.230/12の、初期のビニロン販路の開拓に関しての總一郎の信念にも学びたい。当時としては、「ビニロンに関する販売経験者というものがいるはずもなかった。だから、一般的な繊維販売経験の『常道』だけでは突破できない。前進以外に方法はなかった」と彼はいう。前進するから道がひらかれていくのである。

 

2.pp. 242-259、「ビニロン・プラントを中国へ」

 日本は中国に対して如何にあるべきでしょうか?

 当時、日中経済協力のさいの大きな障害は、中国に対する日本側の偏見であった。共産主義国へ協力するのかと、一般には敵視されていた。加えて、p.244/8に云うように、対中輸出の場合、彼我の為替レートの較差であった。単純に為替レートだけで計算すると、日本側は到底採算にあわない。たとえば、1979年当時でさえ、中国国家首席トウ小平の年俸が、日本円に換算すると15万円くらいであった。その支払い方法について紛糾するのも当然であった。これを解決するために、大原總一郎は米国への根回し(p.254-56)、英国への根回し(p.252)を行なうなど、多大な努力をして、その実現に漕ぎ着けた。

 手島は「LT貿易」という用語は知っていたが、それが日中貿易促進のために中心的な働きをした中国側の代表・寥承志と日本側代表・高埼達之助との名前の頭文字だとは知らなかった。せいぜい、Letter of Trade(貿易書簡)の略だとしか思っていなかった。その不明を恥じている次第だ。

 さて、この章から学ぶべきポイントは何かといえば、第1に、p.249/15-16の總一郎のことば、「私はいくばくかの利益のために私の思想を売る意思を持っていない」であろう。總一郎は会社の利益のためにビニロン・プラントを中国へ輸出しようとしたのではなかった。かれは、p.250に記しているように、日中戦争への「つぐない、贖罪」の心で中国を助けようとしたのであった。しかも、それは、p.254-55に伝記作者が記しているように、「彼の贖罪の思いは、大陸、台湾の区別なく、すべての中国の人たちに対してのものだったのである」

 それにしても、この章でも不愉快なことは、p.252/9-11にあるように、政府の役人も大臣も「誰もが自分たちでは判断できないから」と、逃げ腰だったということである。

 国民や国家にとって真に重要な案件について政治家や役人が逃げ腰になるという悪弊は、今日も治っていないばかりか、ますますひどくなっている。

 

2.pp. 304-314、「企業の社会的責任」

 この箇所からあなたが学んだこと、またはこの箇所であなたが考えたことは何でしょうか?

 まず、總一郎が「日本経済の在り方と経営者の人間像に関する研究会」(p.304/2)を立ち上げたこと。こうした倫理観をもった経営者が昨今は我が国の経済界から払底している。

 つぎに、「技術革新は企業に利潤を与え、かつ消費者にも利益を当るという経済行為でなければならない」との発言(p.305/1-3)。

 そして、土地転がしや地上げに関する批判(p.305/8-16)、「土地への投機的投資は……単なる占有による価格で、何ら経済的効果を上げない……原価高、生活費高という効果」にすぎないとの指摘。

 また、p.307/7-16における總一郎の公害批判、喫煙者への批判も至極正鵠を得ている。「成長率が高ければ一等国だというのは間違った考えだ」(p.307/11-16)と手厳しい。

 この考えは、レジャー産業への批判、自然破壊への批判、公害批判、道路・土地政策への批判へと展開していく(p.311-313)。

 

3.pp. 315-323、「松下模倣」

 あなたはどのようにして社員・部下を教育していますか?

 總一郎は、模倣について、「まねようと思う対象は、簡単にまねのできないものである。まねることは決して容易でない」と語っている。たしかに、松下の経営をとか、高度の技術をまねても、そのまま同じ効果を期待できるものではない。

 しかしながら、昨今の一般的傾向として、他人の作品の模倣や剽窃が臆面も無く横行している。そうした無恥が横行する現代の世相は、実に嘆かわしいことだ。

 

4.pp. 324-336、「思索とヴィジョン」

 この箇所からあなたは何を学びますか? 

 あなたのお考えでは、どのような人物が望ましく、どのようにすれば、そのような人材が育つでしょうか?

 まず、p.325/2-5に掲げてある倉敷レイヨンの社訓3ヵ条を読んでみてください。ここに掲げている用語の中で、現代の今日の日本企業で使われていない語は何でしょうか。

  1、われらは事業共同体の精華を高揚し、産業の新階梯を創成して国家社会に奉仕することを期す。

  1、われらは謙虚を旨とし、進取闊達の気象と不屈の闘魂をもって亊にあたる。

  1、われらは合理と秩序の精神を貫き、同心協力しておのおのその職責を完遂する。

 おそらく殆どすべての用語、熟語が現代社会では死語になっているのではないでしょうか。会社を「事業共同体」として捉え、「同心協力」するような気風があれば、日本企業の体質はもっと足腰が強いものになっていたのではないでしょうか。「事業共同体の精華を高揚し、産業の新階梯を創成して国家社会に奉仕する」という明確な目的意識がないまま、バブル崩壊以後のこの20年間、やみくもにイノベーションが必要だとしか叫んでこなかったのではないでしょうか。日本の経済力は世界一だとか、日本の技術は凄いのだとか、自惚れこそしても、「謙虚を旨と」せず、模倣や他社の技術買上げをしても、「進取闊達の気象」をとかく忘れ、いたずらに頑張るだけで「不屈の闘魂」を蒸発させていたのではないでしょうか。

 また、p.333/6-9で投げかけている資産評価方法についての見直しも、いまこそ真剣に検討すべき課題でしょう。總一郎は見せ掛けの利益額増大化のための資産評価方法に批判的でした。しかし、この大不況の現在では、収縮する利益額と真正面から対決し、減少する利潤を正面から正視し、その打開策を真摯に検討する勇気が必要なはずです。

 それにしても、オレオレ詐欺や年金改竄など、最近日毎に新しく発覚する不正は、まさし總一郎が憂えた「もっとも悪質な犯罪は、人の善意を当てにして図られた悪のたくらみ」(p.326/2)そのものであります。

 たしかに、「だれが釈迦やキリスト、ガンジー、シュバイツアーを成功者とか不成功者という呼び方で評価するでしょうか?」という、彼の問いかけにこそ、2009年の日本全体が立ち返らなければなりません。

 總一郎は長女・麗子に、自分が書いた文章の添削をさせていたという(p.328/1-2)。これは子女や部下を育てる上で、役立つ1つの方法です。年長者の文章を添削しながら、年少者は年長者の思想に触れ、なおかつ自分自身のことばでの表現力を問うことにつながるからです。

 いずれにしても、如何にすれば「自主的価値観」に目覚めさせる(p.334/14-16)ことができるか。これは経営者、指導者、教育者がつねに直面すべき大きな課題です。

 

5.pp. 234--241、「ヘルマン博士とともに」

 この箇所であなたが考えたことは何でしょうか?

 ヘルマン博士のことば、「夢を持たぬ者は科学者ではない。現代は哲学を持たぬ科学者の時代である」(p.236/14)の、「科学者」という語は、経営者、政治家など、様々の職業に当てはめてもいいのではないでしょうか。そこで云う「哲学」というのは、広く「自分の考え、思想、理念、責任感」という意味です。

 それにしても、敗戦後15年目の昭和34年にビニロンの技術を欧米に輸出した(p.238/15-16)とき、總一郎はどんなにか嬉しかったことでしょう。

 それは、ひとえに「我々は今後といえども模倣や他人の知識買収によって自己の水準を更新するという方法を過大評価」しない。「真にたのむべきものは自らのうちにある力のみであることを忘れるな」(p.293/5-7)という大原哲学の成果の一つだったのである。

 

6.pp. 337-241、「夏の最後のバラ」

 あなたはご自分の最後を如何にあるべきだとお考えでしょうか?

 近年、ターミナル・ケア(末期看護)ということが言われていますが、あなたはどのようにお考えですか?

 p.297/5--p.303の私生活像とあわせて、大原總一郎をどのように理解されましたか?

 總一郎の死は、突然ではなかった。だから、みずから人々の別れの手順を生前に指示できていた。

無宗教の告別式(但し、レクイエムと庭の千草のコーラス、会葬者の序列、弔辞もなく、献花のみ)というのは、本田宗一郎の「お別れ会」のみという方式の手本であったのかもしれない。

 それにしても、恐らく未亡人の意向で、亡くなった直後にカトリック教会で追悼ミサが行なわれ、さらに会社幹部の意向で、大阪の北御堂で仏式の葬儀が執行されたことは、どちらも總一郎本人が望んではいなかったことなのかもしれない。

 人は、自分の誕生は親や他人のなすままに委ねるしかない。だが、誕生の瞬間から、人も他の生物も、自力であがき、みずから生きようとする。人は自分で結婚式等を選び、祝う。そして、死の弔いを指示することだけはできる。それは人として生きた者の最後の特権なのである。

 元気な今のうち、重要書類の在り処、パソコンやカード類のパスワードなども文書に残し、万一の自分の死後の始末も指示しておくべきであろう。

 


第136回大阪道塾 (2007年12月10日)報告

 

塾長講義 「顧客満足の原点 」セオドア・レビット著『マーケティングの革新』第2回

 

1.  「 なぜ顧客はいつも不満を残すのか 」 p.3 〜p.13、

● われわれの生活はすべて商取引がなければ成立しない。また商取引の中心部分はセリングである。それにもかかわらず、セールスマンと顧客、販売と購買とはなぜ対立するのでしょうか。

 

 この著書のキーポイントを明確に知るために、手島塾長はp.3の最初の5行に対して一同のコメントを求められた。その5行とは「どんな企業でも、その任務の第一は、いつまでも企業活動を続けることである。そのためには、顧客を獲得し維持しなければならない。このことは、企業の保持するものー製品であろうと、サービスであろうとーを売らなければならないということだ、と普通に解釈されている。この本のテーマの一つは、この解釈がまちがいだと指摘することである。事実は、それよりももっと単純であると同時に、もっと複雑である。」

 レビットが述べているように企業活動は継続が基本だが、そのためには売ることだという単純な発想は間違いと指摘している。顧客を獲得して維持することが基本であって、売ることが直接の目的ではないと。そのためにはどうするかの問題提起だ。売るから買うのではない。我々個人でもその発言を相手に受け入れてもらう(=買ってもらう)ことを期待している。口を開いていることは「売り込んでいる」ことだ。

 商売の世界ではないが、その意味でキリストは世界最高のセールスマンだと云えよう。自分の教え、つまり提案を相手が継続して受け入れてくれるかどうかが問われる。レビットはセールスに対して疑問を投げながら、マーケティング論を展開させてゆく。セリングは自己主張の押し付けであってはならないのだ。それは自己満足にすぎない。それでは「セリングとバイイングとの対立は何処から来るのか?」一同からいろいろなコメントが出た。

 

 p.6/13-14にレビットが述べているように買い手は売り手の言辞に「疑いの網を張り、真っ先に起こる気持は、恐れである」と。この買い手の心理を読んで、疑念を晴らして買い手が自分で調べて納得するように導くことがセールス活動に求められる。p.7/15「人は、買うことを楽しみながら、売り手には不快感を持つ」p.8/17「セールスマンでさえ、他のセールスマンを嫌う傾向がある」のだ。ときには自分の売っているものが嫌いで、自分では使わないケースも多い。実に矛盾した心理に陥っている。

 ひるがえって、p.9/6-8「売り手にしてみれば、買い手が本当に必要としているものを全部知ることなど、できるものではない」のだ。両者間の最大の対立要素は買い手が売り手のオファーするものを理解して納得していないこともある。買い手が売り手に対して不安を持つことは止むを得ない。

 このような双方にある情報格差を解消するにはどうしたらいいか。砂漠でも十分に深く掘れば水も出るように、p.10/10-11「売り手と買い手の関係も、売り手が充分深く掘って、買い手の本当のニーズや欲望を発見できるなら、はっきりとした満足感という肯定的な要素を高めて、不満足の残滓を減らすことができる。この努力を続けると、売り手はさらに多くを売ることができ、さらに多くの顧客を維持することができ、何よりもさらに多くの顧客をつくることができる」「このような深耕の仕事やアイデア、深耕に続く活動、これをマーケティングと呼ぶ。」と。続けて、p.11/4-5 企業「経営とは基本的にはマーケティングを行うことであって、マーケティングを企業の一機能と考えず、企業活動全体を包括的に見ることだと締めくくっている。

 

● この第1章で、あなたに印象深く残ったことは何ですか。それは何故ですか。

 自分ないし自社の持つ製品の売り込みや品質の高度化・コスト削減による競合相手を出し抜くことを焦点にして経営しているのがセラー志向の企業だ。それはセリングのためのツールに過ぎない。真のマーケティングを進めるにはその基本に顧客に対する企業としての「ミッション」とそのために自社の製品やサービスと流通をどのように改善するかの問題意識が必要である。

 外国で勤務する日本人は、各地の市場での観察事実を持ち寄り、互いに協議して、顧客や市場の動向を具体的に分析して、進むべき方向を決めている。これはアメリカにはない優れた点と述べている。

 自動車や家電業界は商社を通さずに直接現地市場にマーケティングし成功した。その他の業界と中小企業は現地の商社の世話になって輸出市場を開拓することが一般的であった。しかし最近の商社は資源開発やM&Aや金融取引に重点をおき、商品の輸出には一定規模やそれに付随するメリットがなければ取り上げない。そこで中小企業の優れた製品の輸出マーケティングには問題が出てきている。

物作りとそのマーケティングを海外パートナーと連携して進めること、これには一般会社経費(O/H)の少ないミニ商社機能を担うシステムが必要となろう。(永松)

 

● 変化が烈しい時代に、経営者が心すべき注意点は何か。あなたのことばで考えを整理してください。

社会の進んでいる方向と顧客のニーズの進化を捉えて、一歩先に対策を実施すること。製品とマーケティング戦略の両方を差別化することに重点をおくべきだ。

 

マーケティングとは製造や財務など多くの企業の経営機能の中のひとつではない。それらを超えたトップの経営戦略そのものの発想であることを痛感した。

* * * * * *

閉会後、一同全員隣のアヴァンザの和風居酒屋にあつまって「望年会」を開催した。

(記 永松)

 

 


『社長のすすめ』   ニノミヤ社長  二宮祥晃(にのみや・よしあき)

日経新聞99/3/10「交遊抄」より

 4年前前から関西の異業種の経営者らとともに、経営コンサルタントで「ギルボア研究所」を主宰する手嶋佑郎氏を「塾長」に招き、「道塾」を開いている。毎月第二月曜日の夕方に集まり、古典などから経営者の在り方について学ぶのが会の趣旨だ。多忙な折にも、何かと時間を割いて行くほど楽しみにしている。

 先生に初めてお会いしたのは五年前だったと思う。あるシンクタンクの紹介で講義を聞き、バブル崩壊後の混乱の中で時代を見通す目が新鮮で、目からうろこが落ちる思いがした。その時の出席者が中心になって、定期的な会合を持つようになった。

 私が社長に就任したのは昨年四月だが、厳しい経済環境の中、責任感の重さを考えると正直言って不安もあった。しかし、先生から「だからこそやりがいがある面白い時ですよ。今の日本ではチャンスは常に前に開けているのではないですか」などと励まされ、経営者としての心構えを持つ参考にさせていただいた。

 この間取り上げたのは福沢諭吉の「学問のすゝめ」。今、企業も個人も自分自身も周囲を客観視できる力量を養わせること、つまり自己の確立がいかに必要かということを教えていただいた。

 先生はイスラエルの大学院でユダヤの文化についても研究され、世界経済を動かしてきたユダヤ人の思考パターンについての話も参考になる。私とそれほど年齢は変わらないはずだが、青年のような純粋さを感じさせる面もあり、今後とも多くを学ばせてもらいたいと考えている。 

 


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