「ヘブライ大学留学者同窓会設立相談会のご報告」 < to the top page>
2001年6月28日(木)午後6時から第1回ヘブライ大学留学者同窓会設立相談会を東京・溜池の「よしむら」で開催した。
集まったのは、高橋正男、笈川博一、栗谷川福子、小脇光男、市川裕、高尾千津子、手島佑郎の7名。
まず今回の経緯について手島が説明した。
かねてより高橋氏と手島の間で、ヘブライ大学で学んだ者が一堂に会し、それぞれの専門や活動について情報を交換し、なおかつ親睦を深め、またヘブライ大学とも情報交換できる場を持てたらと望んできた。また、手島が2001年3月にエルサレムを訪れたさい、非公式ながらヘブライ大学海外広報局のヨナタン・デービス局長から、日本の同窓生が同窓会を作っては如何なものかと打診された。
4月26日のイスラエル大使館主催独立記念祝賀パーティーで出会った両名がその相談会の企画をし、とりあえず身近な人で、ヘブライ大学で1年以上学んだ人々と連絡をすることにした。
21人と連絡がつき、電話でも直接に話をし、相談会への参加を呼びかけた。この結果、上記7人の出席が実現した。
どのような会にするのか。何をするのか。どのように運営するか。そうした基本的方針について話し合い、冒頭の通り、運営基本事項を決めた。
とりあえず食事をしながら、各自の自己紹介をヘブライ大学での留学年次順にはじめた。
手島(1963-67): カバラーやハシディズムを勉強したいと思ってエルサレムへ行った。しかしショーレムの助言に従って、まず聖書学からスタートし、ハランに師事した。S.H.ベルグマンの自宅でのゼミやロテンシュトライヒの講義も忘れられない。 高橋(1964-65、90-91):村岡崇光氏と一緒に留学した。大学では石田友雄氏と一緒にB.マザール、 A.マラマットの授業を受講した。65年春にテルゲゼル、夏にテルゼロールの発掘に参加した。90-91年はS.タルモンに師事しクムラン文書の勉強に専念した。 笈川(1970-95): アッシリア語からエジプト語に進んだ。安い奨学金で生活が大変だった。最後の3年間はヘブライ大学の常勤講師でセム語を教えていた。もしも杏林大学が呼んでくれなかったら、今もエルサレムに住んでいたであろう。 栗谷川(1975-76、78-81):最初1年間留学した。78年にブライ語学科に学士入学しサマリヤ・ヘブライ語、ヘブライ語音声学も研究した。H.ラビンに奨められて博士課程に進むことになった。だが、母の病気でやむなく断念。いまも残念である。 小脇(1977-79): もともと広島大学でシュメール語を研究していた。最初テルアビブ大学のクッチャー教授のもとで勉強し、つぎにヘブライ大学に移り、シェーファ教授の薫陶を受けた。博士課程を始めようとしたとき日本に呼び戻された。 市川(1982-85): はじめからミシュナの研究を志していたので、ヘブライ大学ではタルムード学科に在籍し、シュムエル・サフライに学んだ。2年もすると授業も分かるようになり、せっかくだからもう1年学ぼうと、合計3年間学んできた。 高尾(1985-88): ソビエト・ユダヤ人研究のためにイスラエルへいった。米国からのユダヤ人留学生の授業では、教授はLet's my people go!とユダヤ人の人権擁護の一色であった。イスラエル人学生の授業では事実を冷静に分析批判する。教授の態度がまるで違っていて驚いた。2年目からイディシュ語も勉強した。
|
自己紹介は各自の体験をまじえて、多岐多彩にわたり、お互いに啓発される内容であった。ん食事をしながらの歓談であったので、細部まで報告できません。ご寛恕願います。紹介のあいまに、さまざまの質問、コメント、逸話、回想が飛び交い、じつに有意義でした。
ヘブライ大学同窓会(2007/4/1現在)名簿 (50音順)
赤尾 光春 1999、2001−2002 現代ユダヤ社会・文化人類学
秋吉 輝雄 1966-67 聖書学
阿部 望 1977-84 ヘブライ語+聖書学/B.A. 86-90 ヘブライ語/M.A.
飯郷 友康 1999-2005 ヘブライ文学/ (現在M.A.コース在学中)
池田 裕 1969-77 古代イスラエル史/Ph.D.
石田 友雄 1963-74 古代イスラエル史/Ph.D.
市川 裕 1982-85 ユダヤ思想
上田 和夫 1971-72 84-85 イディシュ語
上村 静 1994-98 イスラエル史/Ph.D
臼杵 陽 1990-92 トルーマン平和研究所
笈川 博一 1970-95 セム語+エジプト学
奥山 眞知 1980-81 社会学
小田島 太郎 1965-66 イスラエル史
勝又 直也 1994-03 中世ヘブライ文学/Ph.D.
木村 光二 1979-80 ユダヤ思想
栗谷川 福子 1975-76. 78-81 ヘブライ語/B.A.
小脇 光男 1977-79 セム語+アッシリア学
佐々木 嗣也 1988-93 ヘブライ語/Ph.D.
四宮 光彦 1979-84 社会学+社会人類学/B.A.
榛葉 賀津也 1991-92 大学院国際政治学科
隅田 洋二 1994-96 政治学
関根 順正 1969-73 イスラエル史(中世、近代)、政治学
関谷 定夫 1967-68 イスラエル史
高尾 千津子 1985-88 現代ソビエト史
高田 勝信 1991-94 国際法/M.L.
高橋 正男 1964-65 90-91 古代イスラエル史 考古学
田辺 望 1991-96 考古学+エジプト学
手島 勲矢 1978-83 聖書学+ユダヤ思想/B.A.
手島 佑郎 1963-67 聖書学+哲学/B.A.
永井 正勝 1998-2000 古代エジプト語言語学
中村 青生 1965-72 考古学+イスラエル史/B.A.
西 満 1977-78 聖書学
野村 真里 1996-97 ユダヤ近代史、イディッシュ語
羽田 恵子 1978-80 イスラエル史
原 倫太郎 1989-95 ロシア学+中国学/B.A.
日高 嘉彦 1983-85 One Year Program
福原 信義 1972-73 セム語
村岡 崇光 1964-69 セム語 Ph.D.
村椿 真理 1982-83 One Year Program
母袋 夏生 1970-74 ヘブライ語/MA Translation Diploma Course
森村 信子 1979-80 聖書学
安田 眞 1975-80 聖書学
山崎 保興 1975-76 考古学
山田 重郎 1985-98 アッシリア学 /Ph.D.
山田 恵子 1986-94 イスラエル史/M.A.
GIL HASKEL 1990-92 心理学+政治学/B.A.
上記リストに記載以外に、もしヘブライ大学に1年以上在籍された人をご存じであれば、その氏名・住所・FAX・メールアドレス等を当番幹事までご一報ください。(FAX0466-28-8161/gilboa@mp.0038.net)
「第2回ヘブライ大学同窓会」記録
日時: 2002年10月8日(火曜日)午後6時00分〜8時30分
場所: イタリアレストラン「GRANATA」(03-3582-3241)
東京都港区赤坂5丁目3ー3、TBS会館地下
(地下鉄・千代田線「赤坂」下車、徒歩1分、銀座線・丸の内線「赤坂見附」下車、徒歩5分)
会費: 10,000円
2002年10月8日「第2回ヘブライ大学同窓会」参加者の自己紹介スピーチより(発言順)
中村青生: 私は、都立大で建築学を教えていた建築家の父の下に生まれ、父は私も建築家にさせたかったようです。それを振り切るようにして、家出同然でイスラエルに行き、1965年にヘブライ大学に入り、ヤディン教授のもとで考古学をびっちり学びました。ハツォールやゲゼル、マサダなど炎天にもめげず掘り続けました。日本オリエント学会のテルゼロール発掘の3回目にも参加しました。大学ではイスラエル史も専攻し、72年に卒業して帰国しました。ですが、私のイスラエルでの経験や知識を生かせる職場がなく、自分でイスラエルとの貿易をはじめました。現在は、奥羽大学で非常勤講師としてユダヤ史も教えています。それから、この会の在り方ですが、ヘブライ大学だけでなく、イスラエルの他の大学で学んだ人たちも参加できる会にするとなお宜しいのではないでしょうか。(1965-72 考古学+イスラエル史/B.A. 現在、国際交易開発、社長)
秋吉輝雄: 私は1966〜67年に交換留学生で行きました。ヘブライ大学では聖書と歴史を聴講しました。私が帰国する直前に六日戦争が勃発し、大学のキャンパス(当時はギバット・ラマー)に大砲の弾が飛んでくる。それを避けながら1週間を過ごすと云う経験もしました。帰国後、立教大学で教えていましたが、病を得て、現在はゆっくり武蔵野をみながら、立教女学院短大で教えています。 (1966-67 聖書学 立教女学院短大教授)
四宮光彦: いつぞやヘブライ大学の同窓会本部というところから同窓生優待無料カードというものが送られてきました。ですが、残念ながら日本ではどこも使えないものでした。 目下、外務省に勤めています。 外務省にアラビア語の出来る者が150人いるのに、イスラエル留学経験者はわずかに8〜9人。それだけに、今日、こうしてヘブライ大学留学経験の人がこれだけ大勢集まっている場に来ると、心強いというか、ホッとします。(1979-84 社会学+社会人類学/B.A. 外務省勤務)
田辺望: 父に勧められ一人でイスラエルに行きました。当初はハイファのテクニオンのメヒナで学び、1991年にエルサレムのヘブライ大学へ転学しました。エルサレムでは、今日ここに出席している榛葉さん、上村さん、原さんたちと知り合い、生涯の友人を得ました。事情があって96年帰国し、家業を継ぎ、現在に至っています。(1991-96 考古学+エジプト学 タナベグラフィックス 代表取締役)田辺望:
阿部望: 日本語ヘブライ語辞典を編集した阿部です。帰国後、銀座教文館でヘブライ語講座を始めました。NHKなどからニュースの翻訳などもずいぶん頼まれました。最近では、日本実業出版社から発刊された「分かるユダヤ学」という本の中で、ヘブライ語につちての解説を執筆しました。自分では、聖書ヘブライ語のシンタックスについて原稿を書いてきました。170ペ−ジまで書いて、この本の出版を引き受ける出版社があるか疑問になり、作業を中止しています。今は、できればラション・ハザル(ミシュナ・タルムード期のラビたちのヘブライ語)の文法書をまとめたいと思っています。 (1977-84 ヘブライ語+聖書学/B.A. 86-90 ヘブライ語/M.A. 翻訳家)
上村静: 私の専攻は、第2神殿期のイスラエル史研究です。来年あたりの完成を目処に、もっか博士論文を書いています。テーマは、「エレツ」という言葉の用法に着目して、その時期のユダヤ人の世界観を調べています。というのは、地、国という意味だけでなく、オーラムと相通じる「世界」という意味で使われる例もあるからです。いま生活は幾つかの大学の非常勤講師を掛け持ちしてしのいでいます。どなたか、常勤ポストご紹介くださいませんか。 (1994-98 イスラエル史 ヘブライ大学博士候補)
ギル・ハスケル: 今日はイスラエル大使館を代表してではなく、私個人として参加しました。私もヘブライ大学の同窓生だからです。まったくの外国であるこのトウキョウの真ん中でヘブライ大学の同窓生に出会うとは、大感激です。私は軍隊を終わって、1990年に大学に入学し、心理学と政治学を専攻してBAを取得し、すぐイスラエル外務省に入りました。昨年この同窓会は7名の人が集まって発足したそうで、今年は17名集まることになりました。来年はぜひ70名以上の人々が集まれる会になることを期待しています。そのときは、私の妻もヘブライ大学卒業ですので、参加させたいと望んでいます。 (1990-92 心理学+政治学/B.A. イスラエル大使館広報担当参事官)
手島佑郎: 私がエルサレムに行ったのは1963年です。すでに1962年の冬から石田友雄さん夫妻が来ておられました。私は私費留学でしたが、その年の政府交換留学生として来ていた立教大学教授の赤司道雄さんと、ヘブライ大学のウルパンで一緒になりました。ウルパンの指導は、教科書「エレフ・ミリーム」の著者、ローゼン先生でした。あれから40年、大勢の方々がヘブライ大学で学ばれ、このような同窓会が出来てとても嬉しく思います。(1963-67 聖書学+哲学/B.A. ギルボア研究所代表)
市川裕: 私は当初1年間の予定でイスラエルへ行ったのですが、授業が分かるようになったのは1年目の後半からでした。それで、さらに2年滞在し、ユダヤ思想を学びました。だが、エンゲブ遺跡の考古学発掘などにも参加しました。とくにコハビ教授の弟子のギル・コーボから親しく指導をうけました。帰国後、宝石店三貴の申し出で始まったタルムード邦訳プロジェクトを引き受けました。残念ながら、これは10巻出版したところで中断しています。去年は、アメリカでヒレル・レビンやエリ・ヴィゼル、ロバート・リフトンと出会い、ユダヤ人を理解するには米国のユダヤ社会も知らなければいけないなあと考えさせられています。(1982-85 ユダヤ思想 東京大学文学部助教授)
高橋正男: 私は64年、村岡崇光さん(現ライデン大学教授)と一緒に留学しまた。90年にも1年間エルサレムで勉強し、最近では95年にも行きました。64年当時、大学には石田友雄さん・道子さん夫妻、手島さんや林さんがいました。民間人では国連停戦監視団の職員の川出さんご夫妻、ウリ・エプシュタイン&菊枝夫妻などが住んでおられました。大学ではイスラエル史のマザール先生、考古学のヤディン先生から懇切な指導を受けました。また70年以降はタルモン先生からクムラン宗教集団研究についての直接貴重な指導もいただいています。最近はイスラエルの現代史に関心を持っています。来年初めのパレスチナ選挙のさいは、選挙監視団の一員としてパレスチナへ行く予定です(選挙が実施されれば)。 (1964-65 90-91 95 古代イスラエル史 考古学 獨協大学外国部教授)
高尾千津子: 私は大学院博士課程のときに、1年の予定でエルサレムへ行きました。当初のプログラムはvisiting research studentの資格で、One Year Programでした。結局、最終的に3年間留学することになりましたが、ヘブライ語の授業がどうにか分かるようになったのは、ようやく3年目になってからでした。専攻は、ソビエト史です。(1985-88 現代ソビエト史 早稲田大学非常勤講師)
原倫太郎: 私は1986年から2001年まで15年もイスラエルにいました。ヘブライ大学に在学したのは89年から95年迄で、ロシア学と中国学を専攻して卒業しました。対イスラエル、対ロシア関係のビジネスをしています。皆様のお役に立てることがあれば、遠慮なくお申しつけください。 (1989-95 ロシア学+中国学/B.A. 国際交易開発・専務取締役)
榛葉賀津也: 榛葉賀津也: 私は最初アメリカのオハイオ州のオタバイン大学へ留学していました。そのときテルアビブ大学からの留学生募集案内を大学で見つけました。条件は、アメリカ人でユダヤ人であることでした。だが、応募書類を出してみると、OKが出ました。日本人の私のために特別枠を用意してくれるなんて、イスラエルという国は凄い、ユダヤ人というのは凄く度量が広いとビックリしました。テルアビブで1年を過ごした後、オハイオへ戻って卒業し、卒業後、今度はヘブライ大学の大学院で国際政治学を2年間学びました。帰国後、郷里・静岡県菊川町の町議会議員に当選、4年後の1998年、町長選挙に立候補し、落選しました。その後、2001年の参議院選挙に出馬し当選しました。そのとき、選挙用のポスターやビラの印刷を一手に引き受けて助けてくれたのが、田辺さんです。微力ですが、中東和平のために尽力して参りたいと思っています。 (1991-92 大学院国際政治学科 参議院議員)
山崎保興: 私がヘブライ大学にいたのは1年間です。ヤディン先生のもとで考古学の指導を受けました。私の人生において、エルサレムの1年は千年にもまさる充実した日々でした。昨夜は、エルサレムで一緒にすごした栗谷川福子さんがホテルにまで訪ねてきてくださり、夜12時まで話こんでしまいました。今日は、そのときエルサレムに一緒に行った家内も同窓会に出席できてたいそう感謝しています。多士済々の皆様にお会いできて嬉しうございました。(1975-76 考古学 元・北星学園大学学長、名誉教授)
山崎マツ: 私は夫の留学にくっついてエルサレムへ行っただけです。エルサレム市中にある名門のウルパン・ベイトアムに通いました。半年でヘブライ語がペラペラに喋れるようになるからと保証つきで通ったのですが、半年では、そこまでは到達できませんでした。しかし、大体の日常会話は分かるようになりました。とても楽しい思いでの日々でした。(山崎氏令室)