世界の宗教紛争の歴史と現在  

    

           手島 佑郎     

 

 つい一昨年までは、21世紀になると戦争の20世紀が終わり、

新しいジュビリー、新千年紀を迎え、平和な世界が出現するものと

人々は期待していた。

 ところが21世紀に入るや、世界各地にいっそう紛争や戦争が増

えてきている。マケドニア紛争、パレスチナ紛争、そして今回の米

国対タリバンのアフガニスタン戦争。

 しかも、これらの紛争や戦争は、異民族間の「宗教」をまきこん

でいる。

 宗教は慈悲や愛、救いや平和を教える。それなのに、宗教紛争や

宗教戦争がなぜ起こるのか。その実態はどのようなものか。いま改

めて考察してみよう。

 

[宗教の絶対性と排他性]

 

 仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など、い

ずれの宗教も平和や救いを教えている。

 一方いずれの宗教も、人智をはるかに超える超越者への絶対的信

頼、または普遍的真理への絶対的確信をその信仰の基礎としている。

この宗教に帰依すれば、自分は本当に救われると確信するから、人

はある特定の宗教を持つのである。

 宗教のもつこの絶対性は、個人の心のなかに信仰として収まって

いるかぎり、宗教は外界と争いを起こさない。それどころか、その

帰依する超越者への感謝報恩のしるしに、しばしば宗教はその信徒

を他人への慈悲や慈善という行為へ個人を駆り立て、宗教は社会的

徳として人々から称賛をうける。

 ところが、他の宗教や類似の思想活動と対抗する局面に遭遇する

と、宗教はおのれの絶対性を信じるがゆえに、一転して自己の優位

性を主張し、排他的となり、ときには闘争をも辞さなくなる。

 これは、教義や思想の対決論争だけで終わる場合もあれば、長期

間にわたって互いに自己の正当を主張し、相手を不当とする非難応

酬に発展する場合もある。

 たとえば、宗教改革におけるルターとローマ教皇庁の対立がこの

例である。

 とかく、こうした宗教対立は、一神教のユダヤ、キリスト、イス

ラムの世界での出来事であって、日本のように八百万神の存在を認

める多神教の風土にはないという人がいる。だが、そうではない。

法華経信仰を提唱した日蓮は真っ向から仏教の他宗派の教義を否定

し、彼の教えのみの正統性と優位性を説いた。

 

[宗教の武力紛争]

 

 宗教宗派間の紛争は、さらに発展して武力行使に発展する場合も

ある。既存宗教勢力が支配下の信徒が新興勢力に侵食され、既存宗

教の勢力が損なわれると、既存宗教は新興勢力を排除し始める。そ

れが政治的・経済的権益の配分にまでひびくと、ついには武力衝突

になる。

 延暦寺と園城寺(三井寺)は同じ天台宗でありながら、座主の地

位をめぐる紛争を発端に、11世紀から約200年間僧兵をくりだ

しての対立を続けた。一向一揆は、戦国大名に対する一向宗門徒の

経済的自治の防衛闘争であった。

 一般に「宗教戦争」と呼ばれているのは、フランスのユグノー戦

争(1562〜1598)、オランダ独立戦争(1568〜1609)、

ドイツ三十年戦争(1618〜1648)である。

 これらの戦争は、信教の自由をめぐってプロテスタント対カトリ

ックの間で争われたといわれている。だが、実態は、それぞれの支

持グループ間の政治的対立であった。 

 オランダ戦争は、カトリックのスペイン支配から独立しようとした

オランダ・プロテスタントの戦いであった。

 ドイツ30年戦争は、ドイツのプロテスタント諸侯連合とカトリ

ック諸侯連盟との対立に、領土野心をもつフランス、スペイン、イ

ギリス、デンマーク、スウェーデン、オスマントルコ等が介入し、

ドイツ全土を疲弊させた。

 

[ユグノー戦争のあらまし]

 

 参考までに、ユグノー戦争の概略を紹介しておこう。

 ユグノー戦争は、ユグノー(同盟者、契約者)と呼ばれていたフ

ランスのプロテスタント・カルバン派に対するカトリック勢力から

の弾圧に始まった。

 フランスの宗教改革者ジェン・カルバン(1509〜64)は、

ルターの影響を受け、教会は神と人との契約によって成り立つもの

であると考えた。したがって、教会は教皇などの特定の代理人によ

って支配されるべきではなく、人々の多様性を認めながら、会議に

よって一致すべきであると唱えた。

 彼の思想は知識人、貴族、ブルジョア、手工業者、農民など幅広

い層に支持され始め、彼等は1559年に改革派会議を結成した。

 この状況を見て危機感を抱いたカトリック勢力は、当時フランス

を支配していたバロア家の幼い国王フランソア2世をまきこみ、プ

ロテスタント弾圧をはじめる。そうすると、プロテスタント側は暴

君打倒を叫ぶ。カトリック側は異端撲滅といって反撃にで、対立は

さらに激化した。89年にはプロテスタント側のブルボン家の国王

アンリ4世が即位する。彼は93年にカトリックに改宗し、98年

「ナントの勅令」で信教の自由を保証し、いったん対立を鎮めた。

 しかし1685年には勅令が廃止され、大部分のユグノーが国外

に亡命し、ようやく紛争は終結した。

 

[十字軍とイスラム]

 

 世界規模での武力衝突で、なおかつ宗教をまきこんだ例といえば、

十字軍戦争がある。これはヨーロッパ・キリスト教連合軍が、聖地

エルサレムの奪還をめざした第1回十字軍(1096年)から、第

7回十字軍(1270年)が失敗するまでの一連の戦争である。

 7世紀はじめにアラビア半島で誕生したイスラムは、8世紀には

中央アジアから地中海東岸・南岸、イベリア半島までの広大な地域

を支配するようになっていた。この結果、ビザンチン帝国が最大の

痛手をこうむった。そこでビザンチン皇帝はローマ教皇に援助を求

めた。

 ローマ教皇ウルバヌス2世は、「武力で神の敵を倒し、イスラム

勢力を根絶するのは義務である。これは聖戦である。この戦いで戦

死する者には罪の赦しと永遠の救いが約束される」と、十字軍遠征

を諸侯に命じた。

 十字軍の目的はエルサレムの解放ということであったが、遠征に

参加する国王や諸侯、騎士にとっては領土の拡張、戦利品の獲得、

農民には新しい農地の獲得が目的であった。

 この背景には、ヨーロッパ封建制の発達、生産力の増大、人口の

膨張、農地の不足などにより、ヨーロッパ以外の土地に進出する必

要が高まっていた事情がある。遠征の旅を支援するイタリア商人に

とっては、イスラム商人に独占されていた東方貿易への進出が狙い

であった 

 第1回の十字軍ではエルサレムを奪還し、シリア沿岸に十字軍都

市や国家を設置した。第2回十字軍以後、十分に戦利品が得られな

くなると、十字軍内部は分裂し、コンスタンチノープルなどビザン

チン諸都市から略奪しはじめた。

 彼等はイスラム教徒を虐殺し、財宝を奪取した。そのため十字軍

に対する深い怨念をイスラム側に残した。十字軍以後16世紀まで

続いた東欧でのキリスト教諸国とオスマントルコとの衝突も、イス

ラム教徒は十字軍戦争の延長と認識するようになった。

 現在イスラム過激派のオサマ・ビンラデンらが形成している国際

的なテロ組織「ユダヤ人および十字軍にジハードを戦う世界イスラ

ム戦線」などは、まさにこうした伝統の延長の一つなのである。

 

[宗教の衝突]

 歴史をふりかえってみると、文明の興亡そのものが戦争によって

塗り変えられてきた。

 スペイン無敵艦隊と英国艦隊が戦った海上交通の覇権争い。ナポ

レオン戦争、第1次・第2次大戦のような領土拡張戦争。朝鮮戦争

やベトナム戦争のように同一民族同士の戦争。現代のカシミール問

題、パレスチナ問題などの領土紛争…。 紛争の内容はまちまちで

ある。だが、いずれの戦争も、究極的には、対立する勢力間の富の

分配の不公平が、その根本原因である。

 そして、これらの戦争が宗教的要因を背景にしはじめるとき、戦

争行為はいっそう残虐になる。なぜなら、宗教的絶対は異教ならび

に異端への寛容を認めないからである。

 特権階級である貴族や国教会聖職者などの王党派への不満にはじ

まったクロムウェルのピューリタン革命は、反対者を冷酷なまでに

処刑した。かれらが反革命の拠点とみなしたアイルランドで多数の

カトリック教徒を虐殺したことが、今日まで続くアイルランド問題

の発端とさえなった。

 今日のジャワ島でのイスラム教徒対キリスト教徒の対立のような

宗教戦争も、一方の経済的劣勢が、繁栄する他方への羨望嫉妬とな

り、暴力的抗争へと発展したのである。

 そして政治が無力であると、紛争は泥沼化する。こうなると、ど

ちらか一方が圧倒的勝利を収めるか、さもなければ両者を凌駕する

第三戦力が出現するまで、紛争の鎮静化はありえない。

 いま始まったキリスト教の米国対イスラム原理主義のテログルー

プとの壮絶な対決は、今後どのように発展するのであろうか。

 英国の歴史家トインビーは宗教と宗教の戦いを次のように指摘し

ている。

「自称『正しい』宗教が『間違った』宗教を迫害すると、その迫害

行為により、自称『正しい』宗教は誤りにおちいる…。寛容の無い

ところ、迫害の凶悪か、宗教それ自体に対する革命的反感か、いず

れかの天罰がのぞむ」

 彼の一言を思い出すのは、筆者だけであろうか。

 

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(本稿は月刊誌「大法輪」2002年1月号に発表しました)

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Jacob Y. Teshima,[手島佑郎]all the copy rights reserved, 2002.