ユダヤ思想研究からの発想:ギルボア研究所
 

ユダヤ人の生活あれこれ     手島佑郎 gilboa@ma.0038.net

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アウム(オム)と阿吽、そして アレフ    手島 佑郎 

 1月18日、オウム真理教が教団名を「アレフ」と変更したことで、オウムとアレフと関係があるかと、 いくつかのマスコミから問い合わせがあった。テレビ朝日が東京から拙宅まで車を飛ばして来て、小生の意見をたずね、インタビューの模様をカメラに収めて、 直ぐにあわただしく東京へ帰っていった。

その夜、10時のニュースステーションの冒頭でオウムの改名が取り上げられ、小生のスナップがいきなり 番組の冒頭に出ていた。番組の中では、小生の発言のごく一部分だけしか電波に乗せられていなかった。

以下、小生がインタビューで語ったことを明らかにしておく。

 

 オウムとアレフと関係があるか。結論から言えば、この二つの語に直接の関係はない。

 もし関係があるとすれば、それぞれが象徴している内容である。そもそもオウムというのは、サンスク リット語でa.u.m という3つの聖なる音の集合体で、オム、オームとも発音する。

 ヒンズー教では、「ア・ウ・ム」の3音で宇宙を構成している3つの要素(破壊、創造、維持)を三位一 体で表現するものとして尊んでいる。そして、これが宇宙の根本原理(ブラフマン)を意味する神秘語オムとなった。

 アウムが転じた仏教用語が、「阿吽(あうん)」である。仏教では、この2文字が万物のはじまりと究極 とを象徴すると考える。ちなみに、仁王像や狛犬像の一方が口をひらいているのは。阿のシンボルで、口をとじているのは吽を表わしている。阿吽のなかでとり わけ重要なのは、「阿」である。阿は万有の太初、理念の本体と考えられている。始まりがあるから、究極もくるのである。

 オウム真理教の信者は、自分たちが世界の根本原理であり、自分たちが世界の理念であり、自分たちが世 界でもっとも優れた存在、阿吽の「阿」、つまりエースであると考えている。

 そこで、サンスクリットの「ア」字に代る別の文字体系の第1文字として、アルファベットの元祖である ヘブライ語のA、「アレフ 焉vを、いわば裏紋として、いままでも各種の下部組織の名称として使用してきた。

 今回の教団名称改変で、裏紋「アレフ」を表紋「オウム」にすげ替えたというのが、改名の真相なのであ ろう。

 但し、ヘブライ語の「アレフ」がたんなる「A」だけなのかといえば、そうではない。

 通常、ヘブライ語辞書には、「アレフ: アルファベット第1文字/ 1 / 千(エレフ) 」と記さ れている。ヘブライ語では母音を表記せず、子音だけで綴るから、読み方を変えれば「1」が「1000」にもなる。だが、アルフォ・シェル・オーラムといえ ば、宇宙の第一人者、つまり神の代名詞となる。アレフは、第一のもの、無上のものをも意味する。ときには主人をも意味する。ユダヤ神秘主義では、天地の根 元を表わす文字だと考えられている。

 数学では、ふつうabc,....を使う。記号が足りなくなるとαβγとギリシャ文字を使う。それで も不足するとロシア文字を使う。(だから、コンピュータの辞書にはギリシャ文字もロシア文字も内蔵している)それでも不足するとヘブライ語の文字を使う。 数学でアレフ数といえば、無限な数列集合をさす。

 ヘブライ語のアレフは、1、第一のもの、無上のもの、無限、根元など、じつに多義な意味をもつ言葉な のである。

 オウム真理教が、そこまで理解してアレフを採用するようになったとは、筆者には思えない。古いオウム のイメージを払拭するためにアレフと改名しただけである。それは日本をジャポネと呼び変えるのと同じ行為にすぎない。

 


  ユ ダ ヤ 教 の 自 殺 観         手島 佑郎                                        

 人は絶望に瀕すると、しばしば自殺を企てる。動物と人間との大きな差のひとつは、人間は自殺をし得る という点である。

 動物の世界では、スタンピード現象といって集団自殺行為に走ることがある。例えば、バッファローが群 れをなして断崖から谷底に駆け下りたり、イルカが集団で入江の浅瀬に乗り上げるという行為である。もっかのところ、これは群れのリーダーの判断ミスとか、 群れ固有のもつ生態制御機能狂いであって、絶望が動機ではないと推察される。

 その点で思い出されるのは、ヘレニズム期に、エジプトのアレキサンドリアで活躍したユダヤ人の哲学者 フィロンのことば、「絶望するものは人に非ず」である。

 このことばでフィロンが取り上げたかったのは、人間の尊厳である。ユダヤ教によれば、他の動物の生 は、神の天地創造の行為の一環として、おのずと付与されたものである。だが、人間の生は神が特別に直接与えたのであって、そこに、人間が他の動物とちがっ て独自の尊厳を持っている所以がある。

 したがって、神から与えられた生を否定するような行為は、例えば自殺は、神への反逆である。それゆ え、ユダヤ人は極力自殺を回避する。

 19世紀北欧の統計では、プロテスタントの自殺率100 に対して、ユダヤ人は社会的差別を受けていたにも拘らず、自殺率は28〜33である。絶望せず、自殺をしない、これはユダヤ人の行動原理のひとつである。

 さはありながら、ユダヤ人が全面的に肯定する自殺が一つだけある。それは殉教(キドゥシュ・ハシェ ム)である。

 キドゥシュ・ハシェムは神への信仰の表明であると同時に、ユダヤ民族の歴史の証人となる行為である。 そこには個人の死が犬死に終わらず、民族の建設と宗教の高揚に貢献できるとの確信が土台となっている。それは、個人の死を通して、生命を与えた神の存在 と、生命を超える尊厳のあることを宣言する行為なのである。その点において、キドゥシュ・ハシェムは、死の価値を逆転させるのである。  



ユダヤ人と食後の祈り          手島 佑郎


  汝は食らいて 飽腹し、 汝の神エホバに 感謝すべし。 

  よき地をなんじに賜いしことのゆえに。         (申命記8章10節)


 キリスト教徒は食前に感謝の祈りをささげる。カトリックではどのように祈るのか私は知らないが、プロ テスタントでは各自が短いことばで感謝をのべ、祈りとする。

 仏教の禅宗では、食前に「展鉢の偈」をとなえ、お釈迦様が使われたような食器で食事できることを感謝 する。さらに、食事をするにふさわしい修行をしているか反省の「五観の偈」をとなえる。食後には「施餓鬼の偈」をとなえ、餓鬼・畜生を供養すると同時に、 仏弟子として衆生済度をちかい感謝する。

 

 ユダヤ教では、食前にも食後にも感謝の祈りをささげる。ユダヤ人が食後に祈りをささげる習慣は、冒頭 に引用した聖書の掟(申命記8章10節)にさかのぼる。 

 食後の祈りはかなり長い。全文となえると、2〜3分はかかる。さいしょは食事についの感謝ではじま る。

「バールッフ アター アドナーイ、 エロヘイヌー メレッフ・ハオラーム、  

 ほむべきかな なんじ主よ、我らの神 世界の王よ、豊かさと麗しさと愛と憐みとをもちて全 世界を養いたまう御方よ。汝はすべてのひとにパンを与う。その愛は永遠なり。汝の大いなる豊かさによりて、つねに我らは欠くることなし。とことわに汝の大 いなる御名のゆえに、我らに食物を欠くることなからしめたまえ。汝は凡てを養い支えたまう神なり。すべてを恵み、その創造せし森羅万象すべてに食物を備え たまう御方なり。ほむべきかな なんじ主よ、すべてを養いたまう御方よ」

 みんなで晩餐をした後などは、食卓につらなる全員がこの祈りを祈る。というよりも、いっせいに合唱す る。それは感謝のみならず、勇気と希望をわかすメロディーである。

 ユダヤ教の食後の祈りは、食事への感謝だけでは終わらない。ユダヤ人は機会あるごとに民族の歴史を回 想し、神のドラマを追懐する。食事の席でも、神が民族の歴史を救済してくれることを祈るのである。

 「我らの神よ、汝の民イスラエルを、汝の都エルサレムを、汝の栄光の住処シオンを、汝のメ シア・ダビデ家の王統を、汝の御名を呼びし聖なる宮を憐みたまえ」

 歴史の救済と同等に重要なことは、自分たち自身の存続である。天はみずから助ける者を助くというが、 個人の自助努力では何ともしがたい社会環境というものもある。これについては、神の見えざる助けを祈らざるを得ない。 

「我らの神よ、我らの父よ、我らを牧し、養い、支え、あがない、我らを解き放ちたまえ。我ら の神よ、我らをもろもろの患難よりすみやかに解き放ちたまえ」と。

 ユダヤ教は貧しい人々への喜捨・慈善の大切さを教える。だが、個人としては他人の助けにすがらず、ど こまでも独立自尊であるべきだ。そこでユダヤ人は、

 「願わくば、我らを物乞せしめることなかれ。ひとからの贈り物にも、貸付けにもすがること なからしめたまえ。汝の満ちみつる手を乞わしめよ」

と祈る。

 神の満ちあふれる手から恵みを乞うといっても、じっさいに神が物を提供するわけではない。どこまでも 自分で自分の道を開かなければならない。

 そのための第一歩は、他人に物乞いしたり、借金を申し込まないぞと自分で決心することだ。他人の慈悲 にすがって生きようなどとする甘えを排除することだ。

 借金はひとを奴隷におとしいれ、物乞いはひとを怠惰にする。食事のたびに、おのれの経済的物的独立を 再確認、再決心する。万一、困窮することがあっても、どこかに道は見い出せる。

 その確信が、ユダヤ人をして2000年余の流浪を乗り切らしめた。ひとが自滅するのは、この確信、ど こかに道は見出せるという確信を失うときである。

 どこかに道が見出せるということは、どこかに仕事の活路が開かれるという確信である。もっと単純に言 えば、明日のパンは何とかなる。そのうちに生計のめども立つという確信である。

                                         

 食後の祈祷はつづく。

 「聖徒らよ、神をかしこめ。神を畏む者らには欠くることなし。若き獅子は乏しく飢えると も、神を求める者は全て良き物に欠くることなし。……幸いなるかな、神によりたのみ、神をそのよりどころとする者よ。義人が捨てられ、その子孫が食糧を物 乞いし歩くを見しことなし。

 アドナイ、オーズ レアモー イテン。アドナイ、イェバレッフ エット アモー バシャ ローム。神よ、力をその民に与うべし。神よ、平安のうちにその民を祝福すべし」

 この最後の一句でユダヤ教の食後の祈りは終わる。

 

 人が生存できるのは腕力によってではない。神の恵みによってである。

 弱肉強食の世界とはいえ、強者がつねに生き残るわけではない。あの栄華を誇ったバビロニアも、エジプ トも、ローマも滅んで今はない。ひとりユダヤ民族だけ流浪を越えて生き残った。それはなぜか、神を杖とし、神を資産としたからではないか。

 逆説的だが、人間的保証がなかったことが、彼らユダヤ人の存続を可能にした。

 

 ユダヤ人の生き方は、行く先を知らずに出発した父祖アブラハムに象徴されている。行く先が分からずと も、まず出発し、出発しながら考える。さて、次をどうするか。

 歩きながら考え、考えながら歩き、しだいに自分がやりたいことを実現していく。

 米国ユダヤ人の心理学者アブラハム・マズローの「欲求の5段階」説によれば、ひとの欲求は・生存の欲 求、・安全の欲求、・社会的帰属の欲求、・自我の欲求、・自己実現の欲求と段階を追って上昇していく。だが、これは、はじめに第5段階の欲求があるのでは ない。まず第1段階から充足していくものなのである。

 いまの飽食の国ニッポンの若者は、就職にあたって、はじめから自分の理想や主張が実現できる企業を探 そうとする。リストラの対象になった中高年者は、これまでと同等かそれに近い条件の職をさがそうとるす。いずれも本末転倒がすぎる。まずはどん底の仕事か ら始めて、それでパンを稼いでみることだ。生存のためのパンを自力で獲得できる者が、自己の欲求なり理想なりへ向かって前進できるのである。

 どん底から這い上がってパンを手にした者は、パンの有難さを感謝することを忘れない。その感謝が明日 への勇気と仕事への情熱を湧かせる。食後の感謝をもっと大切にしたいものである。

 

 


   ユダヤ教の祝祷            手島 佑郎


 バルッフ(称うべきかな) アター(汝) アドナイ(わが主 よ)、

 エロヘイヌー(われらの神) メレッフ  ハオーラム(全宇宙の王よ)、

 ハモツィ レヘム(パンを取り出す者 よ) ミン ハアーレツ(大地から)。

              [パンをく ちにする前のユダヤ教の祝祷]   


 

 ユダヤ思想を学んできて、わたくしに最も大きな収穫となったのは数 々の祝祷である。生活のおりおりに、わたくしはユダヤ教の祝祷をとなえる。

 ユダヤ教では、祈祷と賛美、祝祷を区別する。

 祈祷(テフィラー)というのは、身をよじるほどに苦悶し、心をふり しぼっての嘆願である。西暦2世紀のこと、すでに国が滅んでしまって百数十年、パレスチナに住むユダヤ人の生活は年々困窮の度を増していた。その頃、国民 の信望を一身に担ってユダヤ人の地位回復のために奔走していたのが、ラビ・アキバである。かれは礼拝堂にはいると、長時間にわたって祈りつづけ、身をよじ らせて人々のために執りなし祈っていた。堂内の端から端まで、のたうちまわていた。

 賛美(ハレル)は、神のわざや能力全般についての称賛である。旧約 聖書の詩篇146編以下の賛美集などその好例である。儀式の最後に、しめくくりとして神の全能ぶりを並べたて、いわば総括的に称賛する。ただし、賛美は神 にむかって発言するものではなく、むしろ人々にむかって神の偉業を物語る行為である。

 祝祷を、ヘブライ語ではブラッハー(碾・)という。祝祷というか ら、祝祭にさいしての祈祷、祝いの行事のなかでの人間から神への願い事だ、と思いがちである。ブラッハーは願いではなく、むしろ人間から神への感謝であ る。英語では blessing と訳す。さまざまの出来事に遭遇したさいに、それぞれの出来事の背後で祝福を用意していてくださる神への感謝である。

 パンをたべる時は、神がパンを作り出してくださったことに感謝す る。

「バルッフ、アター、アドナイ、エロヘイヌー、メレッフ ハオーラ ム、ハモーツィ レヘム、ミン ハアーレツ。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の王よ、パンを地より取り出したもう御方よ」。

 ワインをのむ時は、神がワインを作ってくださったことに感謝する。 「バルッフ、アター、アドナイ、エロヘイヌー、メレッフ ハオーラム、ボーレー プリー ハガーフェン。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の 王よ、葡萄の実を創造なさる御方よ」と。

 ユダヤ教の祝祷がもつ内面的世界へとわたくしの目を開いてくださっ たのは、恩師、ラビ・アブラハム・ヘシェル先生であった。ある時、先生はわたくしを自宅に招じ入れ、一杯のワインを進めてくださった。わたくしが「レハ イーム! 乾杯!」といってワインを飲もうとすると、先生はにわかに厳しく咎められた。

 「ブラッハーを唱えなさい。ブラッハーに込められたユダヤ人の心情 とユダヤ教の信仰とを感じとらないで、どれだけ書物でユダヤ教を理解しても、それは表面的理解だ。イエスやペテロ、パウロといったキリスト教の創始者たち もブラッハーを唱えていたはずだ。かれらの心をくみとるためにも、ブラッハーを軽んじてはいけない。ブラッハーを唱えることに慣れなさい」

 先生がわたくしを厳しくたしなめられたのは、後にも先にもこれだけ であった。

 わたくしは姿勢を正し、「バルッフ、アター、アドナイ、エロヘイ ヌー、メレッフ ハオーラム、ボーレー プリー ハガーフェン」とワインのブラッハーを唱えた。すると先生はにこやかに「アーメン」と唱和し、ついで「レ ハイーム! 君のために乾杯!」とねぎらってくださった。

(ラビ・アブラハム・ジョシュア・ヘシェル教授)

 ユダヤ教の祝祷は、日常の出来事への個別的感謝である。その背後に 見えざる神の手が働いていることへの感謝の表明である。 

 かれらは山、川、野など自然の驚異にせっしては、「バルッフ、ア ター、アドナイ、エロヘイヌー、メレッフ ハオーラム、 オーセ マアセー ベレシート。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の王よ、天地創造 のわざをなさる御方よ」と神を称える。

 美しい樹木や美人を見たときも、「バルッフ、アター、アドナイ、エ ロヘイヌー、メレッフ ハオーラム、シェカコー ロー ベオーラモー。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の王よ、かくも美しいものを彼のため に世界に備えし御方よ」という。そこには美の根源は神にあり、人や物にあるのではないとの認識がしめされている。 

 祝祷は吉報を耳にしたときにも唱える。「バルッフ、アター、アドナ イ、エロヘイヌー、メレッフ ハオーラム、 ハトーブ、ヴェハメィティーブ。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の王よ、善をおこない 最善に なさる御方よ」

 人間の努力が幸運をまねくとしても、幸運を仕上げるのは人間ではな い。その背後に、幸運を用意してくださった神に感謝する。それがユダヤ人としての務めではないか。 

 そればかりか、凶報がとどいた時でさえもブラッハーを唱える。「バ ルッフ、アター、アドナイ、エロヘイヌー、メレッフ ハオーラム、 ダッヤン ハエメット。 称うべきかな、汝 わが主 われらの神 世界の王よ、真実を さばく裁判官よ」

 何が真実であり、何が悪であるか。それは最終的に神の審判にゆだね るしかない。当面は不幸な出来事に見舞われるとしても、神が真実をさばく裁判官であるかぎり、いずれその損得勘定の帳尻を神が合わせてくださるであろう。 悪い報告を聞いたからといって、中途半端に嘆いたり悲しんだりするよりも、神にその結末をゆだね、我々は日々の仕事に励もう。  

 こういって、ユダヤ人は人生の喜び、悲しみ、驚きのたびに、その背 後に神の働きがあることを感じてきた。そして日々の生活の端々にまでも神の見えざる手が働いていることを認め、まず神に感謝してきた。愚痴るまえに、神へ の感謝。嘆くまえに、神への感謝を唱えてきた。それによって彼等は心を取り直し、元気を奮い起こしてきた。民族離散と不幸の連続の歴史をユダヤ人が乗り越 えて来られたもうひとつの秘密は、日々のブラッハーだったのである。

 


「ユダヤ人とヒゲ」

 現在ではヒゲをはやしていないユダヤ人のほうが一般的である。ヒゲをはやしているのは、ユダヤ教の伝 統を重んじる一部の人々になってきている。

 ちなみに、髭というのはクチヒゲであり、髯はホオヒゲ、鬚はアゴヒゲと漢字ではヒゲの区別をしてい る。ユダヤ人でヒゲをはやしているひとは、その全部をふくむヒゲである。

 ヒゲを生やしているのはユダヤ人にかぎらない。アラブ・イスラム世界からインドにかけて、さまざまの 民族がヒゲをはやしている。

 今日ではアラブ人の多くがヒゲをはやしている。だが、ひとくちでアラブ人といっても、古代の中東では エジプト人とメソポタミア人とでは別人種であった。

 3000〜4000年前のオリエントの彫刻や絵画をみるとわかるように、古代エジプト人はヒゲのない つるんとした顔で、人種的にはハム民族で属していた。こんにちその容貌をうかがい知ろうとおもうならば、民族的同系のエチオピア人の風貌を思いうかべると いい。

 他方、メソポタミアのアッシリア人やバビロニア人は濃厚なヒゲ面のセム人種であった。古来、セム系の 男たちはみんなヒゲをのばしている。

 ユダヤ人はその祖先がもともとメソポタミア出身のセム人種である。そういうセム人種の男のたしなみと して、ユダヤ人の間でもヒゲをたくわえる習慣が形成された。

エジプト王
セティ2世
アッシリア王
チグラトピレセル3世
ユダヤ教会堂で
礼拝中のユダヤ人

 

 じつは、ユダヤ人たちが戒律の原典とあおぐ聖書には、どこにも「ヒゲをのばせ」という命令はない。

 ヒゲにかんする唯一の命令は「もみあげの毛を切るな」(旧約聖書レビ記19章27節、21章5節)で ある。

 なぜモミアゲを切ってはいけないと命じているのか。おそらく周囲の他民族と自分たちとを区別するため であったと推測される。

 古代のユダヤ社会では、ヒゲを他人からそられることは最大の屈辱と侮辱であった。他方、親しいものの 不幸に接して同情と哀悼の意をあらわすために、自分から頭をまるめ、ヒゲをそっていた。

 中世になって、ユダヤ神秘主義(カバラー)がさかんになると、ヒゲには神から流出する神秘的なパワー がやどっていると考えられるようになり、それとともにヒゲをトリミングすることさえ控える風潮がでてきた。

 カバラーでは、神の無限の力はまず英知(ホフマー)として頭に流入する。その頭からはえている毛髪と ヒゲは神秘力がそのまま放射する器官であると信じられていたからである。

 そのカバラーの神秘的な教えと実践を大衆化したユダヤ教運動のひとつがハシディズムとよばれる一派で ある。よく写真などでみかけるあのヒゲをはやして、黒い服に身をつつんでいる人々である。かれらのヒゲはまさに神秘主義信仰によるものなのである。

 ハシディズムはポーランド、ウクライナを中心に東欧にひろがっていた。

 第2次大戦でナチス・ドイツによって死の強制収容所に連行されたユダヤ人にはハシディズムの人々が多 かった。だから、収容所でヒゲをそられ、頭もまるめられてしまうことは、屈辱とあわせて神への多大な冒涜行為だと、かれらは受け止めた。

 オーストリアのハプスブルグ家皇后マリア・テレサのように、ユダヤ人を一般のキリスト教徒市民と区別 するために、ユダヤ人はヒゲをはやすべしと布告した例もある。  

 フランス革命以後、ヨーロッパ各国でユダヤ人にも市民権が認められ、一般のキリスト教徒市民のあいだ にまじって商工業に従事できるようになると、ユダヤ人はまずヒゲをそりおとし、近代化の第一歩とした。現代のユダヤ人の国イスラエルでも、いまやヒゲをは やしているのは少数派となっている。

 

Jacob Y. Teshima, all the copy right reserved,  1998.


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「ユダヤ人がみんな黒い服を着るわけではないが…」

 ユダヤ人と聞いて、黒い帽子に黒い服を着て、髭を生やしている姿を思い浮かべる人が多い。すべてのユ ダヤ人があの服装をしているわけではない。

 あの服装は、ユダヤ教の正統派のなかのハシディズム派に属する人々の男性の服装である。ふだんの平服 でも一見してユダヤ人だとわかる独特の格好をしているのは、現代では、いまやハシディズム派の人々だけである。

 同じ正統派でも正装した場合の服装は、ドイツ系ユダヤ人、英国系ユダヤ人、イラク系ユダヤ人、イエー メン系ユダヤ人等々出身地によってちがう。基本的には、それぞれの出身地の民族衣装である。日常の平服の場合は、ことさらにユダヤ人と非ユダヤ人との区別 を識別できる服装はない。

 ユダヤ人に共通の服装があるとすれば、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)内での礼拝時の姿だけである。その 延長線上で、ユダヤ教の戒律遵守に熱心な男たちが頭にかぶっている丸く小さい頭蓋(キッパー)である。

 シナゴーグおよび神聖な場所では、男は帽子をかぶるか、キッパーをかぶるかして神への恭順の意を表わ す。イスラム圏のユダヤ人はトルコ帽やターバンをかぶっている場合もある。ユダヤ教の施設に立ち入るさいは、外国人にも着帽が求められる。

 礼拝に臨むとき、ユダヤ教徒の男はタリートとよぶ祈祷用ショールを服の上から肩にまとう。タリートの 四隅には糸で編んだツィツィートという房が結んである。ツィツィートの着用はモーゼ以来のユダヤ教の掟である。戒律に熱心なハシディズム派の人はふだんで もシャツの下に貫頭衣スタイルでタリートを着用している。祈祷用のタリートは全身を包めるほど大きい布である。

 シナゴーグに入ると、まずタリートを羽織り、つぎにテフィリンという経札がはいった小箱を腕と額に皮 ひもで縛りつける。箱のなかには、神の戒めを行住坐臥いずれのときも日夜忘れるなという文面の聖書のことば(出エジプト記13章1〜10節、13章11〜 16節、申命記6章4〜9節、11章13〜21節)が書き記されている。最初に腕につけ、つぎに額につける。そしてタリートで改めて全身をつつみこむ。

 シナゴーグを出るときは、またふだんの服装にもどる。厳格な正統派の家庭の女性は、結婚すると断髪し てしまう例が多い。長い髪をして他の男に言い寄られないためである。そのためか正統派のユダヤ人が住む町には女性用かつら屋が必ずある。未婚の女性は夏は 二の腕をだしてもいいが、既婚婦人はかならず袖のあるブラウスを着用している。

 ハシディズム派の人々ハ黒いコート、黒い帽子、なかにはラッコの毛皮でつくった帽子(シュトライメ ル)をまとっている。あれは18世紀後半から19世紀前半にかけてハシディズムが東欧ではじまった当時の、東欧社会全般の流行のスタイルであった。それを ハシディズムの指導者たちが競って取り入れ、ハシディズム運動の進取性の象徴としていた。だが、いつしかハシディズムが宗教運動として権威主義化し保守化 するに及んで、今では時代遅れの過去の服装の代表となってしまった。

 ちなみに、ユダヤ教のリベラル化を標榜するユダヤ教改革派は、一般に礼拝のときでさえ帽子をかぶら ず、タリートやテフィリンを着用しない。かれらの生活習慣は多分にキリスト教を模倣しており、外見だけではユダヤ人だと判断できない面が多い。

 背広やネクタイの着用をあまりしないイスラエルでは、祝祭日に男は白いシャツを着用し、祝意を表現し ている。

 女性の服装について、伝統を固持するユダヤ教正統派の既婚女性は肩を露出しない。髪もばっさり切っ て、ほとんど丸坊主である。だから外出するときはスカーフで頭をつつむか、もしくはカツラを着用する。そのためか、世界でもっともカツラの生産技術の水準 が高いのもユダヤ人のカツラ屋である。

 未婚女性は半袖でもかまわないし、髪をのばしている。


『ユダヤ人と離婚』

 西洋では6月は結婚式のシーズンである。さいきん日本でも6月に挙式するカップルが増えている。だ が、すべての結婚が最後まで幸福にまっとうできるとはかぎらない。そこで、今日はユダヤにおける離婚手続きの一端をご紹介しよう。

 離婚は、人生にとって悲劇である。タルムードは離婚について「若き日以来の伴侶を離別する者のために 神の祭壇さえも涙をながす」と述べている。ユダヤ教は結婚を神聖な行為として推奨し、人が独身で一生を過ごすことを評価しない。

 ではユダヤ教はカトリック教のように離婚を認めないのかというと、そうではない。

夫婦二人に一体となろうとする愛が冷めれば、結婚の絆が切れてしまうのも止むを得ない現実であると、ユ ダヤ教は離婚を肯定する。旧約聖書の律法篇の申命記には「人が妻をめとり、その夫となり、恥ずべき行状を彼女に見い出し、彼女を気に入らなくなった時は、 離縁状を書いて彼女の手にわたし、家を去らせよ」(24章1節)と、明確に離婚を規定している。

 ただし、以上の見解だと、夫の一方的な好き嫌いによって妻が離縁されてしまいかねない。そこでドイツ のラビ・ゲルショム・ベン・ユーダ(1028没、マインツ)の判例により「妻の同意なしに彼女を離縁してはならない」ことと現在はなっている。

 今日ユダヤ人の離婚は、ユダヤ法がユダヤ人の国法であるイスラエルを除けば、彼等が居住する国の法律 による離婚とユダヤ法による離婚の二重の手続を必要とする。離婚を国法にしたがって手続きしなければ、離婚した者たちの戸籍や納税、社会福祉等にかかわる 処置として必要である。他方、ユダヤ法による離婚手続をしておかないと、宗教法上で再婚も独立も認められないからである。

ユダヤの離婚は「ゲット(離縁状)」の作成と受領によって完了する。ユダヤ法では、ゲットを夫からも らっておかないと妻は再婚できない規定になっている。たとえ民法上の離婚手続きは終わっていても、ゲットがないと、妻の再婚は姦通とみなされ、新しい男と の間に生まれてくる子供は私生児となる。

 夫婦の間で離婚の意思がかたまると、ユダヤ人はユダヤ教法廷、ベイト・ディンへ離婚を申し出る。ここ では、ラビが裁判官役をする。

 まず夫はラビの前に立ち、妻を離婚したいと申し出る。

すると、ラビは、離婚が本人の自由意思にもとづくものかどうか、他人に教唆されて離婚しようとしていな いかどうか、以前に離婚を表明したことや、過去にも離縁状を書いたことがなかったかどうかを夫に尋ねる。今回の離婚意思が自分の純正な行為であることを夫 が誓う。必要とあれば、同様に妻にも離婚の意思の確認をする。

 つぎに、ラビのそばに待ち受けている書記にゲットを作成してくれるように頼む。ゲットの文言は12行 にわたって記す。

 ゲットができ上がると、夫は2人の証人に署名してもらう。それを持って、夫と書記と証人はラビに提出 する。ラビは、書記にそれが依頼人の目の前で作成された本物のゲットであるかどうかを確かめる。証人にも署名に間違いがないかどうかを確かめる。さらに再 度、夫にむかって離縁状が彼の自由意思で作成されたものかどうか、他に別な離縁状が存在しないかどうかを確認する。

 以上の確認が済んだあとで、ようやく今度は妻がラビの前に呼ばれ、彼女の自由意思でゲットを受け取る のかどうかが確認される。さらに立会人のなかに離婚に反対する者がいないかどうか確認する。

 妻は両手からいっさいの指輪や装飾品をはずし、両手のひらを上にむける。彼女の両手のうえに夫がゲッ トを落とし、「これぞ汝のゲットなり。これによりて汝は今よりのち離縁されたり。いずれの男の妻となるべし」と宣言する。

 妻はゲットを取り、これを上にかざして数歩あるき、確かに離縁状を自分が受領したことをデモンスト レートする。

 そして妻はゲットをラビに差し出し、ラビはその四隅を切り落とし、ゲットを他人が改竄できなくしてし まう。それをベイト・ディンのファイルに収める。最後にラビは離婚が成立した夫婦にペトゥール(離婚証明書)を発行する。これて離婚手続きが一切終了す る。

 


「ユダヤ人はなぜ割礼をするのか」

 民族の長い離散と流浪の歴史にもかかわらず、ユダヤ人は周囲の異民族と同化せず、自分たちのアイデン ティティを失わなかった。その最大の理由は、彼等が割礼を守ってきたことにある。

 割礼は、ペニスの先端の包皮の切除である。医学的にはたんなる包茎手術と何ら変わりない。割礼の風習 はユダヤ人に限ったことではない。イスラム教徒も割礼をする。そもそも割礼は先史時代から人類のいろいろな部族に伝わっている。それも、呪術宗教上の理由 というよりも、もともとは衛生上の理由から始まったと考えられる。

 とくに注目すべきことは、古代エジプト人も割礼をしていた点である。アテネのギリシャ国立博物館に、 ギリシャ人とエジプト人との戦闘の図が描かれている壷が所蔵されている。それには、エジプト人の割礼したペニスをことさらに誇張して、ギリシャ人の慎まし やかな包茎のそれと対比している。ユダヤ人の祖先は割礼の習慣をエジプト人から学んだのではないかと推測される。

 ユダヤ人にとって割礼が意味することは、第1に「神との契約のしるし」である。その起源は、ユダヤ人 の父祖アブラハムにまで遡る。神がアブラハムとその子々孫々を祝福するという約束と、それに対してユダヤ人が神への信仰を守る誓いのしるしとして、割礼を するようになった(創世記17章1〜14節)。

 第2に、割礼によってユダヤ人はユダヤ教社会のメンバーであるとの承認を受ける。しかも、ユダヤ人が 割礼をするのは、聖書の掟で「男児の誕生8日目」と定められている。

 ユダヤ人の暦では、1日は前日の夕方から始まる。したがって、男児の誕生が月曜日の昼間であるなら ば、翌週の月曜日に割礼式(ブリート・ミラー)を執行する。もし月曜日の夜に生まれると、これは事実上火曜日の一部であるから、割礼は翌週の火曜日とな る。

 割礼の儀式は、赤児が健康であるかぎり、かならず生後8日目に執行する。仕事をしないシャバット(安 息日)であっても、丸一日断食をするヨム・キプール(大贖罪日)であっても、割礼式は実行されなければならない。

 割礼の前夜は、父親らは徹夜して聖典の勉強をする。家の中にランプを灯し、悪魔が赤児をおそわないよ うにする。たいてい割礼式は昼前に行われる。式場には預言者エリヤの椅子が用意され、赤児はいったんその椅子に置かれ、エリヤの徳にあずかることを願う。 つぎに名付け親が赤児を抱き、モヘル(割礼師)が祝祷をとなえて、赤児の包皮を切り取る。

 かくして、ユダヤ人の男の赤ん坊は、生まれて1週間後には早くもユダヤ人社会の成員となり、将来ユダ ヤ社会の責任を負うことを期待され、またそのように運命付けられるわけである。

 同じアブラハムを父祖と仰ぐイスラム教徒も割礼する。だが、彼等の割礼の時期は4〜5歳から12歳前 後までなど地域によって一定していない。他方、キリスト教徒は割礼をしない。しかし、ユダヤ人は早々に割礼してしまう点で、周囲の他民族と幼児のころから 自分たちを区別してきた。これによって、よきにつけあしきにつけ、自分たちのアイデンティティを維持できてきたのである。

 アラブ社会では女性に対しても割礼を行い、陰核の一部を切り取る風習がいまもある。ユダヤ人の間では 女子は割礼しない。それは、聖書の創世記17章10節に「汝らの子孫のすべての男は割礼をすべし」と明記してあり、女子を対象とするとは記していないから である。

 余談になるが、ユダヤ人社会でも最近は男女平等を主張する風潮が高まっており、男子の割礼式に相当す る儀式が女子にも必要ではないかという意見が一部のユダヤ人のあいだに出はじめている。しかし、この意見がユダヤ人社会で広く受け入れられるかどうかは疑 問である。

 


「ユダヤ人の子女教育」

 ユダヤ人の子女教育は3000年の伝統がある。それを端的に示しているのが、聖書の「汝らの子らに繰 り返し教えよ」(申命記6章7節)との命令である。

 一般にユダヤ教を「律法」の宗教というが、それは神の教えを学ぼうとする宗教の意味であって、戒律に 縛られることを目的とする宗教ではない。学問することこそユダヤ教の醍醐味だといっても過言でない。

 ちなみに、学問を意味する「ミシュナ」ということばの原義は、「反復」である。しつこく繰り返すうち には、いつしか了解し合点する。タルムードの賢哲ヒレルのことばではないが、「 100回反復しても101回反復することには及ばない」のである。

 タルムードは「父親は息子に律法を教え、仕事を教え、それに水泳も教えよ」と命じている。この場合、 律法とは、モーゼの十戒とそれに付随する聖書、ならびに判例や解釈の仕方についての学問全般をさしている。しかし、学問だけができて、社会生活への適応力 を欠くようであってはいけない。だから実務を身に付けさせることも父親の義務だとしている。水泳で象徴していることは危機管理である。万一の場合、適切な 対応や処置がとれるように訓練しておくこと、これも父親の義務だとユダヤ人は考える。

 といっても、学問と実務と危機管理の三つを同時に教えることができる親はそう滅多にいない。そこでユ ダヤ社会で古くから発達してきたのが、学校や家庭教師である。父親は子供を学校に通わせ、できれば、さらに家庭教師をつけてタルムードを学ばせてきた。

 この伝統は今日でも生きている。例えば、アインシュタインの父はロシアからドイツに留学していた医学 生タルマイを毎週食事に招いて、ひきかえに自然科学の面白さを息子に教えてくれるように頼んでいた。私の知人の大学教授は、自分の専門がタルムード学であ るにもかかわらず、自分で息子にタルムードを教えることはしない。わざわざ学生を家庭教師として雇って、かれに息子を教えさせていた。考えてみると、父親 から直接教わるよりも、第3者から教わるほうが抵抗なく受け入れることができる。そういう配慮もあるのだ。

 ユダヤ人は子供が3〜4歳になると、アルファベットを覚えさせ、5歳でヘデルという寺子屋に通わして いた。今日ではそれが保育園、幼稚園、小学校に置き換わっている。ユダヤ教の戒律や伝統にそれほど熱心でない家庭でも、米国のユダヤ人家庭では、たいてい 子供が小学4年位になると、午後のユダヤ教補習学校に通わせてヘブライ語を覚えさせる。バル・ミツヴァの準備ためにも、ある程度のヘブライ語の知識は不可 欠だからである。

 宗教的伝統を厳格に守る家庭では、男の子が15歳になるとイシーバーとよばれるタルムード学校に通わ す。だがこちらは、あくまでも学問に才能がある子のためであって、全員必須ではない。普通の家庭では、高校以後は、各自の才能と興味が赴くままに能力を伸 ばすことに重点がおかれる。

 別の観点からみると、ユダヤ人は学校と家庭とシナゴーグという3つの場所でユダヤ人としての教育を身 につけるともいえる。学校では歴史や意義について学び、家ではユダヤ人の伝統の行事や作法をおぼえ、礼拝では共同体の団結と歴史の重みを感じ取る。

 教育の責任はもちろん父親だけが担うものではない。ユダヤの家庭では母親の存在も大きい。毎週の安息 日をはじめ、すべての家庭行事の準備は母親が担当するからである。母親の後ろ姿をみて、ユダヤの子供たちは伝統を覚えていく。

 ユダヤ人の1年は、毎週々々、聖書の学ぶ箇所がちがっても、毎年々々それを繰り返し、行事と学習する ことも繰り替えされる。しかも毎日々々、早朝の祈り、パンの祈り、ワインの祈り、食後の祈り、午後の祈り、深夜の祈り…と、様々の祈祷文が繰り返し朗読さ れる。伝統が身につくわけである。

 もっとも、ユダヤ人の国イスラエルでは、伝統をまもって子供たちにユダヤ教的な伝統教育をほどこす家 庭は、全体の3割程度しかない。その点では、海外のユダヤ人家庭のほうが、イスラエルのユダヤ人家庭よりもユダヤの伝統を教えることに熱心だといえる。


 「過ぎ越しのまつり(ペサッハ)」

 ユダヤ人の最大の祝節は「ペサッハ(過ぎ越し節)」の祭りである。ユダヤ暦ニサン月15日から1週間 おこなわれる。ユダヤ暦は前日の夜から当日の夕方までを1日と数えるので、じっさいはニサン月14日の夜から22日の夕方までとなる。今年1998年のペ サッハは太陽暦4月10日夜から17日迄である。

 ペサッハには、2つの祭りの面がある。ひとつは、「ハッグ・ハアビヴ(春のまつり)」ともいわれるよ うに、麦の収穫や冬の間にうまれた子羊など家畜の繁殖を感謝する農業のまつりであった。

 他方「ハッグ・ハマツォット(イーストなしのパンのまつり)」ともいわれ、この祭りの前日から祭りが 終わるまでの8日間「マツァ」とよばれる小麦だけの大きいクラッカーを、パンのかわりに毎食くちにする。これにはイースト(麹)も塩もはいっていない。前 1280年頃エジプトの奴隷だったユダヤ人の祖先60万が、カナンをめざして脱出したさいに、イーストを入れてパンを発酵させて焼くだけの余裕がなかった という故事にちなんでいる。

 そこで、ペサッハの意義は、もっぱらユダヤ人の自由解放とユダヤ民族誕生記念のまつりという面が強調 される。

 ペサッハの準備は、前日に家中を探索して、イーストが入った食品が残っていないかどうか調べることか ら始める。イーストが入っている食品はすべて燃やしてしまう。一片でもイースト入りの食物が家の中にあってはといけない。イーストに触れたことのある食器 や台所用品は完璧に清めないかぎり使用できない。そこで、簡略な方法として、ストーブや冷蔵庫、流し台などはすべてアルミフォイルで覆ってしまう。そし て、すべての食品がペサッハ適合食品でないといけない。ワインも「Good for Passover 」と認定されたものでないと飲めない。

 まつりの最初の晩餐はセイデル(順序)とよばれ、エジプト脱出にまつわる伝説や教訓を一冊にまとめた 「ハガダー」という聖典にしるされた儀式の順序にしたがって、ハガダーを家族全員で朗読しながら晩餐をすすめる。

 ハガダーには次のような記述がある。

「我らはエジプトにてファラオの奴隷なりき。されど、我らの神アドナイは強き手を差し伸べ我らを救え り。…いつの代にも、人はエジプトから脱出してたばかりの者のごとく己を見るべし。我らを奴隷から自由へ解き放ち、悲哀から歓喜へ、暗黒から大いなる光へ と導き出せし神に感謝すべし」

 晩餐では、祖先のくるしみを忘れないために、マツァのほかに、まず苦い野菜、塩水、西洋わさび、日干 し煉瓦をねった泥に模したナッツの練物(ハロセット)などを食べる。その後で、ローストチキンやビーフなどのご馳走がでる。

 晩餐の順序を簡単に紹介しよう。・ワインを杯についで神に感謝する。・手を洗う。・野菜を塩水に浸し て食べる。・主人の前に覆ってある3枚のマツァの真ん中の一枚を割り、半分を隠す。隠した半分をアフィコメンという。・エジプト脱出の物語を話す。2杯目 のワインを飲む。・食前の手を洗い、手洗いの祈祷をとなえる。・マツァの覆いを外し、・感謝祈祷をささげてこれを食べる。・西洋わさびを食べる。ハロセッ トに混ぜて辛味を和らげてもいい。・3枚目のマツァを取って、これにわさびを挟んで食べる。賢人ヒレルが考案したのでヒレル・サンドイッチともいう。・食 事に移る。・子供にアフィコメンを探させ、ご褒美をあげる。残りのアフィコメンを皆でデザート代わりに食べる。・食後の感謝祈祷を全員でとなえ、3杯目の ワインを飲む。・賛美の歌ハレルをうたい、4杯目のワインを飲む。特別に用意しておいた預言者エリヤのための杯にワインをそそぎ、家の扉をあけ、エリヤを 招きいれる仕草をする。・「来年はエルサレムで」と誓いあう。以上ですべてのセイデルの儀式が終了する。

 簡略化しないで全部のハガダーを読むと、終了が夜半になることが多い。

 イスラエル以外の国ではセイデルを2晩続けて行うことになっている。それは、暦の管理がが発達してい なかった古代には、暦の管理がうまくいかないために外国にいるとセイデルを祝い損ねる可能性があったからである。だから日本や米国のユダヤ人は、今年は4 月10日の夜と11日の夜の2晩つづけてセイデルの食事をする。


 

  ユダヤ人の食事「カシェル/コシェル」

 ユダヤ人は食事に関するユダヤ教の掟「カシュルート(食餌規定)」に即した食物でないとくちにしない 場合が多い。戒律にうるさくないユダヤ人については、我々日本人同様に遇しても差し支えない。それでも、エビ、カニ、ブタ等を食べない者が少なくない。

 カシュルートに適合した食品は従来、日本では「コーシャ(適正食品)」とよばれてきたが、正しくは 「カシェル/コシェル」である。
「コーシャ」はKosherの米国式読み方が日本人の耳で捉えた表記法である。英語の発音は「kosher」であって、「r」をきちんと発音している。日 本語式の「koshah」ではない。よって、日本ユダヤ学会のヘブライ語カナ表記委員会の指導に従って、「カシェル/コシェル」の表記が正しい。

食べてよい食物は次のとおりである。

●野菜類、果物類はすべて食べてよい。

●肉類は、牛、山羊、羊、鹿は食べてよい。豚、馬、らくだ、兎、犬、猫、猿、狼、熊、ライオン、豹など もろもろの獣の肉は食べてはいけない。

●鳥肉では、にわとり、雀、はと、あひる、が ちょう、七面鳥などは食べてよい。それ 以外の野鳥は食べてはいけない。 

(訂正:水かきのある水鳥はペリカンのように神への生贄に適していない「穢れた」生き物であり、食用と して認められない非カシェル食品である。だが、「アヒル、ガチョウ」は家禽として飼育され、食 用にも認められている。)

 

●爬虫類、両生類、昆虫も食べてはいけない。ただし、イナゴはいい。

●魚類では、ウロコとヒレがある魚は食べてよい。イワシ、アジ、サバ、カツオ、コイ、フナ、マス、ア ユ、マグロ、カツオ、タラ、タイ、ヒラメ、カレイ、ハマチ、ブリ、ボラなど問題ない。

 しかしウナギ、ナマズ、アナゴ、タチウオなど、ウロコがはっきりしない魚は食べてはいけない。クジ ラ、サメも食べてはいけない。

●貝類、エビ、カニ、タコ、イカ、カタツムリはいっさい食べてはいけない。

 以上の食肉規定は、聖書の「レビ記」11章に詳しく記されている。食べてよい家畜、鳥、魚は「清い生 き物」とされ、食べてはいけない生き物は「汚れた生き物」とされている。西暦70年にエルサレムの神殿がローマ軍によって滅ぼされる迄は、清い生き物を神 への生贄として神殿で捧げていた。汚れた生き物は生贄に捧げてはならなかった。

 なぜ、こういう厳格な掟が生じたのかといえば、周囲の異教徒からユダヤ人が自分たちを区別するためで あった。レビ記20章26節の神託には「お前たちをわたしの民にするために諸国民から区別するため」に、生贄の動物に清浄と汚れの区別を設けたと言ってい る。

 つまり、食べてはいけない食物は、ユダヤ教誕生時の古代オリエント社会において、周囲のエジプト人、 カナン人、ペリシテ人らの好物とする食物であったと推定される。異教徒と食物を共にしないことによって、周囲の異民族の祭礼でも食卓を共にせず、ユダヤ人 はユダヤ教徒としてのアイデンティティを保ったのである。

 食事に関するカシュルートの規定は、これだけに終わらない。肉類に関しては鳥肉もふくめて調理法にも 細かい宗教上の規定がある。

 肉は、まずショヘット(屠殺人)がユダヤ教の戒律にのっとり家畜を一撃で安楽死させ、なおかつ完全に 血抜きをしたものでなければ食べてはいけない。血には生命が宿っており、血がついたまま食べることは、その生き物を創造した神への冒涜だと聖書で教えてい るからである(創世記9章3〜4節など)。

 ということは、牛肉や羊肉であればどれでもいいということではない。ユダヤ人にとっては、コーシャの 肉屋から購入してきた肉でなければ、調理さえ許されない。

 肉を買ってくると、1時間半ほど真水につけ、そのあと塩で血をさらに抜く。もしくはオーブンで焼上げ て血を完全に取り除く。とくに肝臓は塩で血抜きをした後、さらに焼上げ、血液分を完全に滴らせてから調理する。

 だから、ユダヤ料理で肉はシチュー状で提供されることが多い。焼肉にもっぱら鳥肉が使われるのは、血 が少ないからである。

 これらの規定に加えて、乳製品と肉料理とは同時にテーブルに出さない。

 それは「子山羊をその母の乳で煮てはならない」という聖書の掟(出エジプト記23章19節など)によ る。ミルクは生命を与えるシンボルであり、肉は死体の一部であるから、生と死を一緒にしないという思想がその背後にある。

 したがって、肉料理のコースの後で、コーヒーが出てもミルクやアイスクリームは出ない。当然のことな がら、戒律にうるさいユダヤ人はチーズ・バーガーなど乳製品と肉とがパックになっている食物は絶対に口にしない。牛肉と豚肉をミックスした合い挽肉は、 もってのほかである。ユダヤ人街にも中華料理店はあるが、そこでは豚・エビ・カニなどを用いない料理が工夫されている。

 こういう厳格に乳製品と肉とを一緒に出さない習慣から、ユダヤ人の間ではイミテーション・クリーム、 イミテーション・アイスクリームなどの開発が進んできた。

 ふつう、朝食では野菜、ミルク、チーズ、卵が出る。昼は魚や肉料理が出る。肉を食べたら、少なくとも 3時間以上経過しないと乳製品をとらない。

 さらに毎年春先に到来する過ぎ越しの祭りのさいには、イーストが入っている食品をいっさい食べない。 そこで、厳格なユダヤ教徒の家庭では、食事につかう食器や台所さえも、乳製品用、肉用、過ぎ越し祭り用と3セット用意している。

 米国やイスラエルからの輸入ワインや保存食品でラベルの隅に丸印の中にKやUの文字が印刷されている 食品は、コシェルである。過ぎ越しの祭り用の食品には「Good for Passover 」と明記されている。 

                            


ユダヤ人とシャバット

 ユダヤ人の国イスラエルを訪れた日本人が最初にめんくらうのは 「安息日、シャバット」である。シャバットは毎週土曜日、いや正確には、金曜日の日没から翌土曜日の日没明けまでの1夜1昼つづく休息の時間である。

 安息日には労働しない。すべての店が閉まり、人々は生活の労苦をわすれて、神聖な気持ちでこの時間を 過ごす。ニッポンのお正月の3が日もそうだ。労働をわすれて、いっさいの労苦から解放される。それが伝統的なニッポンのお正月であった。(もっとも、最近 は日本でも正月営業がだんだん当り前になってきている)。お正月がすぎると、すべてが新しいスタートをはじめる。ユダヤ人は、シャバットが終わると、また ドッと労働と生産への新スタートを再開する。いわばユダヤ人は毎週お正月を迎えるような生活をずっと続けてきたのである。 

 ユダヤ人にしてみれば、この安息日の習慣は3000年以上の伝統である。それは、彼等がモーゼの指揮 下にエジプトを集団脱出し、ユダヤ民族として誕生した紀元前1280年頃からの伝統である。モーゼの十戒には安息日には仕事をするなと厳命している。これ は、我々が現在採用している日曜休日制度より1500年以上も歴史が古い。 ユダヤ人のシャバットは、徹底した休日である。金曜日の夕方から翌土曜日の夜 まで、一切の労働が禁止される。

 そのもう一つの理由は、天地創造の神話にまでさかのぼる。聖書の創世記1章の物語によれば、天地創造 の七日目に神が労働をやめて休息した記念として、神の民であるユダヤ人もいっさいの労働を休むようにと厳重に命じられている。

 安息日には交通機関は動かない。商店はすべて閉まっている。家で庭の手入れをしたり、造作修理するの もいけない。火を点火してもいけない。だから煙草を吸ってもいけないし、料理も作ってもいけない。家族の食事は、金曜日の夕方の日没以前までにすべて調理 しておく。ガスやオーブンは種火を残しておき、それを大きくして料理を温めなおすのは差し支えない。点火していはいけないことの延長で、電灯のスイッチの 切り替えもいけない。電灯の明暗を調節することは差し支えない。

 ホテルのエレベータは、たいてい2フロアーごとに自動的に止まるようにスイッチを切り替える。食事は 予約客だけにに用意し、代金の授受はしない。

 金曜の夕闇が立ちこめる前に、主婦はいっさいの食事の準備を終えておく。主人や息子たちは近くのシナ ゴーグでシャバットを迎える礼拝を済ませる。主婦は晩餐の準備が整うと、ロウソクを2本ともし、安息日の到来を家で宣言する。ユダヤの暦は夜にはじまり翌 日の日没でおわる。

 金曜日の夜、つまりシャバットの夜は家族でゆっくり食事をたのしみ、ときには親しい知人や友人を晩餐 に招待する。シャバットは休日とはいえ、神への尊敬と感謝をこめて、洗濯したてのさっぱりした衣服を着ることが礼儀である。

 土曜日の朝はゆっくり朝寝して、9時半か10時近くになって近くのシナゴーグへ礼拝に行く。祈祷用 ショール以外に荷物はいっさい持たない。雨がふっても傘をさしてはいけない。

 礼拝から帰ると、食事をして、軽く昼寝をした後で聖典の勉強をする。かのロスチャイルド財閥の創始 者、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、安息日の午後、フランクフルトのラビと一緒にタルムードや聖典の研究をすることを最大の楽しみとしていた。

 土曜日の夕方、日没2時間ほど前にシナゴーグでは午後の祈祷「ミヌハー」が捧げられはじめる。日没が 近くなると礼拝はそのまま夕辺の祈祷「マアリーブ」につづく。太陽が没し、あたりがすっかり暗くなると、1本の台に2本の芯をおりこんだ特別のロウソクに 点火し、聖なる安息日と別れ、労働の1週間を迎えるけじめの儀式「ハブダラー(分離)」を行う。シナゴーグでも家庭でも、一切の灯りを消して、ハブダラー のロウソクだけが煌々と創造の光が闇のなかに浮かびあがる。そして新しい週の到来を祝うワインをのみ、飲み干すと同時に、ロウソクを消して、家中の灯りを つける。光の再来のなかに新しい生産と建設の週がはじまる。そしてメシア待望の祈りをこめて、メシアの到来に先駆けて世界に戻ってくると信じられている 「エリヤの歌」を歌う。 

 この後、人々は待ちかねていたかのように、どっと町に繰り出す。そのエネルギーが、翌朝の日曜日から はじまる労働と生産の原動力へと再度つながっていく。

 ただし、ユダヤ人の国イスラエルでも、アラブ人町として発展したハイファ、リベラルなシオニストの町 として発展したテルアビブなどは、シャバットの掟を否定して宗教的規制を拒否している部分もある。

 ちなみに現在、世界の多くの地域で採用されている日曜日休日制度は、西暦321年にキリスト教のロー マで採用されて以来のことである。ユダヤ教とキリスト教の伝統から枝わかれしたイスラム教の世界では、土曜日、日曜日ではなく、金曜日が休日である。した がって、3大宗教の聖地・エルサレムでは、金曜日にイスラム地区が商店を閉め、土曜日にユダヤ人地区の営業が停止し、日曜日にキリスト教の店が扉をとざし ている。 


 ユダヤの秋まつり

ユダヤ人は1997年10月2日にユダヤ暦5758年の新年を迎えた。

5758年というのは、アダムの誕生から数えての年月であるという。ユダヤ暦は独自の陰暦なので、今年 の新年は10月2日だが、去年は9月14日であった。

参考までにユダヤの秋のまつりをここに紹介しよう。

 

●「ローシュ・ハシャナー(新年)」、ユダヤ暦ティシュレイ月1日(今年は10月2日)で、ユダヤ暦の 新年が始まる。太陽暦の9月〜10月頃の新月の日である。角笛を吹いて、新年の到来を告げる。ユダヤの新年は喜ばしい雰囲気ではなく、むしろ重苦しい雰囲 気で始まる。10日後のヨム・キプールに、過去1年間に犯した罪の審判が神から下されることになっているからである。新年からヨム・キプールまでの10日 間をヤミム・ノライーム(恐怖の日々)ともいう。元日の午後や2日の午後は川や海辺に出てタシュリッフという罪を払う儀式をする。

●「ヨム・キプール(大贖罪日)」、ティシュレイ月10日(今年は10月11日)。その前日、生きた雌 鶏を頭の上にふりかざして罪を払う。古代のスケープ・ゴートの名残である。そして償いのために、ないがしかのお金をツェダカー(喜捨)に投じる。

 ツェダカーは貧しい人々の救済につかわれる。ユダヤ社会ではシャバットでもペサッハでも、結婚式、葬 式でも、行事のたびになにがしかのツェダカーをすることが常識である。家々にもツェダカ・ボックスがある。いろいろな集会にはツェダカーを求めて、寄付集 め人が入れ替わり立ち替わり現われる。

 ヨム・キプールには前日の夕方から完全に24時間以上断食し、神のまえに罪の許しを乞う。この日ばか りは、日頃不信心なユダヤ人でも、神妙にシナゴーグ礼拝に出頭する。

 ヨム・キプールの午後、男はミクヴェ(沐浴場)へ行き、身を清め、白いガウンに身をつつんで夕方の礼 拝に臨む。

 日没前に歌われる「コール・ニドレ」の懺悔の祈りをもって、沈痛な雰囲気の一日であったヨム・キプー ルが終わる。

 ヨム・キプールが終わると「ゲマル・ハティマー・トヴァー(神から良き署名を生命の書にもらえますよ うに)」と挨拶し合う。その後、大宴会をして無事にヨム・キプールが終了したことを祝う。

●「スーコット(仮庵節)」、ティシュレイ月15〜22日(今年は10月15日〜21日)。秋の収穫を 祝う一方で、シナイの砂漠を流浪した祖先をしのんで仮小屋ですごす。天井が透けて星空が見える小屋でなければいけない。小屋の中は果物や農産物でかざり、 そこで少なくとも3度の食事をとる。祭りの初日には、神の祝福のシンボルとして棕梠の新芽と、柳とミルトスの小枝を束にして振りかざし、それにシトロンの 実をかかえて礼拝に臨む。スーコットの8日目に雨乞いの祈りをする。

●「スィムハット・トーラー(トーラーの喜び)」、スーコットの翌日(今年は10月23日)。1年間か けて毎週読んできたトーラー(旧約聖書の冒頭のモーゼ五書)の読了記念の祝い。トーラーの巻き物を抱えて皆で踊る。次の安息日から、また聖書の冒頭の創世 記に戻って、毎週定められたトーラーの箇所を読み始める。

 


ユダヤ人の光のまつり「ハヌカ」

ユダヤ人の冬のまつり、ハヌカは光りのまつりである。このまつりは8日間もつづき、その間ずっと8枝の ランプをともす。つまり8本の枝がある燭台である。枝ごとにランプ油をいれた壷の燭台もあれば、ろうそくを8本ともす燭台もある。ただし、種火用の枝がも う1本あるから、じっさいは合計9本である。

 この8本のランプをともす役は、もっぱら幼い子供らの役目である。点火役とはいえ、この時ばかりは、 幼児が公然と火遊びができるわけである。正式には最初8本のろうそくに火をつけて、毎晩1本づつ減らしていくのだそうだが、たいていの家庭では8本全部つ けている。

 このまつりの起源は、西暦前165年に、ユダヤ人の英雄ユーダ・マカビーがギリシャ帝国の圧政をしり ぞけて、ユダヤ人の独立を獲得した戦勝記念にまでさかのぼる。

 当時ユダヤを直接支配していたのは、ギリシャ帝国の一部であったシリアのセレウコス王朝で、かれらは ユダヤ人に豚を食え、裸でスポーツ競技をしろ、割礼禁止など、ユダヤ教の戒律に反する行為を強要していた。エルサレムの神殿には、ギリシャの神々の偶像さ え祭られていた。その屈辱に耐えかねて、ユダヤ教の祭司の家系出身であったユーダ・マカビーが、ギリシャ軍への反乱をくわだて、みごとに 敵を駆逐してし まった。

 凱旋したマカビーはエルサレム神殿を清め、再度ユダヤの神に神殿を献げ直した。だから、この祭りを 「宮清めのまつり」ともいう。ハヌカというのは、ヘブライ語で「奉納」の意味である。

 伝説によれば、そのさい神殿のランプに1日分だけの油をそそいだのに、8日間もランプが灯り続けると いう奇蹟が起きた。この故事にちなんで、ハヌカの期間中は、8つのランプを灯すようになった。暗闇に8本ものロウソクがゆらめく贅沢な光りのまつりであ る。

 この祭りの間、子供たちは4面のこまを回して、こまのどの面が出るか賭けて遊んだり、お祝いに、ポテ トをつぶして団子状にして油で揚げたお菓子、ラトケスをたべる。

 今年(1997年)のハヌカは12月23日夜から31日の夕方までである。ユダヤ暦では毎年キスレヴ 月25日からテヴェット月2日までとなっている。

 ところで、この「キスレヴ月25日」に注目してほしい。何かに似ていませんか? そうです、クリスマ スです。クリスマスは太陽暦の12月25日ですね。クリスマスの起源については、キリスト教が伝わる以前にローマで行われていた冬至を記念する祭りの名残 ではないかと言われたりしています。そうかもしれません。 しかし私は、ユダヤ人であったイエス・キリストが、ユダヤの祭りのキスレヴ月25日に生まれた と考えるほうが、より真実に近いような気がします。というのは、上に述べたように、この日はハヌカの初日です。

 イエスがユダヤの独立記念日に生まれたとすることよって、彼がユダヤ民族をローマの支配から救い、再 び民族独立の吉報をもたらすメシア(救国主)であることを象徴しようとしたのではなかったでしょうか。一般にはメシアは世界全体の救世主だと考えられてい ますが、もともとユダヤ人にとってはメシア(ヘブライ語ではマシアッハ)は、ユダヤ民族を歴史の悲運から救う救国主の意味です。しかし、彼はローマ軍の総 督ピラトからローマへの反逆者だとして十字架刑に処せられてしまい、彼がくわだてた民族独立回復の事業も挫折してしまうのです。そして、彼の死後、その政 治的革命運動は、宗教的福音運動に変化して、やがて世界的普遍性をもつキリスト教という宗教体になっていったのです。

 光りのまつりハヌカにこそクリスマスの原型がある。皆様はいかがお考えですか?


ユダヤ人の結婚式 

 最近では、恋愛結婚がユダヤ人のあいだでも普通であるが、伝統的なユダヤ教の家庭では、今日でも仲人 が親に良縁をもちこみ、双方の親が合意して縁談をまとめてしまう。筆者が幾度も参加したユダヤ人の伝統的な結婚式の模様をここに綴ってみよう。

[ 結婚式前の過ごし方 ]

 縁談がまとまると、花婿は結婚式の直前のシャバット(土曜日)のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)礼拝で、 その週の聖書の朗読箇所を朗読し、かつその箇所について説教をのべる。花婿がユダヤ教徒として立派な見識をもっていることを人々に示し、結婚をむかえるに ふさわしいことを承認してもうらうわけである。

 伝統的には、結婚式前の一週間は花婿と花嫁は別々にすごし、お互い顔を会わない。

 結婚式は火曜日に挙式されることが多い。というのは、天地創造のさい、第3日目(火曜日)の夕方、神 はその日の創造活動をふりかえって「これはうまくいった」と2度も発言したからである。火曜日は物事がダブルにうまくいった日であるという縁起をかつぐわ けである。

 祝いを妬んで悪霊がとりつくといけないので、結婚式の前日は花嫁も花婿もそれぞれ友人や家族にともな われて一日をすごす。一瞬でも一人では過ごさない。

[ 結婚式当日は断食から ]

 結婚式の当日、花婿も花嫁も朝から断食し、いままでにおかした過失、あるいは知らないでおかした罪を 神のまえに懺悔し、それまでの生活と決別する。両人とも式が終了するまでいっさい食物を口にしない。しかも結婚式が執行されるのは、たいてい夕方であり、 それも夜空に星が輝きはじめてからが望ましいとされている。断食を徹底させるためである。

 伝統に厳格な結婚式では、式場は男子の部屋と女子の部屋が別々である。入口さえも別々に区別し、最初 から最後まで異性の部屋に足をふみ入れない。

[ 結婚契約書 ]

 男子の部屋では、花婿側の仲人が結婚契約書を作成準備する。やがて花婿が到着し、結婚契約書の中身を 確認する。つぎに花嫁側の仲人とラビが到着し、結婚契約書に記載されている条件が満足できる内容かどうか点検する。満足できる条件だと確認されると、花 婿、ならびに双方の仲人とラビが証人として契約書にサインする。

 その上で、さらに花婿が契約書通りに花嫁にたいする義務を履行するかどうかの誓約を、皆の前でさせ る。花婿はラビがさしだしたハンカチの一方の端をにぎりながら、契約の履行を宣言する。これでようやく結婚契約が発効する。   

 その間、白いドレスの花嫁は、別室で母親や親戚友人の女にかこまれ、ずっと飾り椅子にすわって待って いる。

 契約が成立すると、花婿は介添人にともなわれて花嫁の部屋へと行進する。花嫁はあわててベールで顔を かくす。花婿は花嫁のまえまで進みでて彼女のベールをもちあげ、花嫁の顔をのぞきこむ。

 かつてユダヤ人の祖先ヤコブが婚礼のさいに花嫁の顔を確かめないまま結婚し、翌朝になって花嫁が意中 の人ラケルではなく、その姉レアであったという故事にちなんで、ユダヤ人は結婚式の直前に花嫁の顔を確認するようになった。確めた後、花婿はうしろすざり のまま花嫁の部屋から退出する。

[ 結婚式はフッパーの下で ]

 つぎはようやく結婚式である。結婚式は「フッパー(覆い)」とよばれる天蓋の下で執行される。約2 メートル四方の布の四隅を高さ2〜3メートルの柱でささえたものがフッパーである。

 元来フッパーは戸外に立てるものだ。フッパーの4本の支柱は花婿の友人たちに支えてもらうのが望まし い。天の星の数ほど子孫が生まれますようにという願いから、フッパーを戸外に仮設する。最近では屋内ホールにフッパーを設置する例もある。

 フッパーが立てられると、フッパーにむかって左側に男たちが、右側に女たちが集まる。まず花婿を先頭 に、その両側をまもるようにして、松明をかざした介添え人の列が入場してくる。第一の介添え人は父親または既婚の兄弟、もしくは伯父たちである。それに続 いて男の親戚や親友が列をなす。暗闇にうかぶ松明の光は儀式を神秘で神聖なものへと演出する。行列はフッパーへとむかう。

 花婿は白いキッテル(ガウン)をまとってくるか、フッパーに登段してからキッテルをまとう。純白のタ リート(祈祷用ショール)でもいい。

 続いて花嫁の列も松明をかざした母親や姉妹、女の親戚や友人のともなわれて行進してくる。花嫁の顔は 白いベールにおおわれたままでの入場である。

 花嫁はフッパーに到着すると、純白のベールで顔をおおったまま、首を前方にふりふり、身をかがめなが ら花婿のまわりを7周する。花婿の心の7層の奥にまで入っていくことの象徴である。

 二人が正面をむいて並んだところで、長老がフッパーの下に招かれ、結婚を祝福して

「祝福されよかし、汝、われらの神、主よ、宇宙の王よ。われらをその戒めよって聖別し、不倫を禁じ、婚 約を固め、フッパーのもとで婚姻と聖なる結婚を許したもう御方よ。アーメン。祝福されよかし、汝、主よ、フッパーと聖なる結婚によってその民イスラエルを 聖別される御方よ、アーメン」と唱える。

 参会者一同もアーメンと唱和する。長老はワインが入った盃をとり、祝祷をとなえてワインを一口のみ、 花婿と花嫁にも同じ盃からそのまま飲ませる。

 つぎに2人の証人を前に、花婿が花嫁の右手の人さし指に指輪をはめ「みよ、汝はモーセとイスラエルの 掟により、この指輪にて我がために聖別されたり」と宣言し、この一瞬で結婚が成立する。

 花嫁はようやくベールをひらき、その美しい顔をあらわす。

 花婿は花嫁にむかって結婚契約書をよみあげ、契約書を彼女にわたす。そこで参列者のなかから権威ある ラビや長老が7人よばれ、結婚を祝福する7つの祝祷を順番に唱える。

 その後、白布につつまれたガラスコップが花婿の足もとに置かれ、花嫁が見ている前で、花婿はそれを踏 みくだく。砕かれたガラスが二度と元通りにならない如く、二人が二度と独身に戻らないようにとの願いをこめるのである。    

 以上で式は終了し、二人は参会者から祝福の声をうけながら「イフッド」に向かう。イフッドというのは 「合一」を意味する。花婿と花嫁は証人二人に見守られて個室に入り、ここではじめてカップルになるのである。         

 イフッドの間、招待客らは男女それぞれ別の大広間で祝宴をはじめる。

 ちなみに伝統に熱心でないユダヤ人の結婚式では、イフッドは二人だけの接吻と、その後で、家族との記 念写真撮影のための時間にむけられている。

[ 深夜までつづく披露宴 ]

 ユダヤ教の結婚披露宴はべつだんスピーチや挨拶があるわけではない。テーブルごとに飲み、食い、しゃ べり、食事に花がさく。たいていはホールの片隅に楽団をやとって、ユダヤ人の好きなフォークメロディを演奏して、会場の雰囲気を盛り上げている。

 30分から一時間もするとイフッドを済ました新郎新婦が宴会場に現れる。

 さっそくエネルギッシュなフォークダンスがはじまる。花婿と花嫁をそれぞれ椅子に座らせたまま、花婿 を男友達が、花嫁を女友達らが椅子ごと担ぎ上げて、男女別々に、別々の会場で大輪舞をくりひろげる。

 踊り疲れては、テーブルに戻って休憩する。食事をたべては、また踊りと、ひたすら輪舞と休憩が交錯す る。休憩の合間をぬって、男は新郎に、女は花嫁にそれぞれ個人的にお祝いを述べる。

 夜半にいたって、ようやく披露宴の食事のための感謝祈祷を全員でとなえる。さらに7人の賓客が結婚の 祝祷を朗詠して、ようやく宴会が終了する。新郎新婦が挨拶して、ついに披露宴が果てる。 

 念のために申し添えておくが、イスラエルでは結婚式も離婚手続きもすべて正統派のラビたちが独占して いる。そのため、改革派や保守派のラビの認証による結婚も離婚も有効とは認めれていない。

Jacob Y. Teshima, all the copy right reserved,  1997. 


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