〜 成人の日について考える 〜           手島佑郎

  ◎ 13歳になると、ひとは戒律に服すべし。 

             〜 タルムード「アボット」篇5:21 〜

  ◎ たとえ幼児といえども、自分で祈祷布に身を包む作法を知っているならば、

    戒律を遵守しなければならない。

             〜 タルムード「スーカー」篇42a 〜

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[ 毎年の行事、荒れる成人式 ]

 

 このところ毎年、各地の成人式で乱暴狼藉が頻発している。若者のすべてが不真面目なわけではないが、一部の目立ちたがり屋の若者たちによって、式典が不愉快な結末を迎えている。なぜ成人の日の式典は荒れるのか。どうすれば成人式を厳粛に挙行できるのか。

 解決策が提案されないまま、これからも成人式を行なうべきなのか。

 たしかに、パフォーマンスと称して、若者たちが式典の舞台に駆け上がったり、会場から野次を飛ばしたりしていいわけではない。講演や祝辞を聞かず、もっぱら私語をしていいわけではない。しかしながら、その責任は、彼ら若者たちだけにあるのであろうか。若者たちが荒れる原因は、ほんとうは何なのか。

 わたしはユダヤ教の成人式との対比からこれらの問題を考えてみた。

 

[ バル・ミツバ ]

 

 ユダヤ人社会では、男子が13歳になると、バル・ミツバ(戒律を守る子)というユダヤ教の成人儀礼を行なう。

 これはユダヤ教の戒律を担う者という意味で、満13歳を迎える誕生日の週に、ユダヤ教会の礼拝中に、この儀式を行なう。その日、少年は、ユダヤ教の礼拝用の祈祷符(テフィリン)を額と腕に装着し、祈祷布(タリート)に身をつつみ、会堂の中央の大テーブルに広げられた聖書の1章を、ユダヤ教の作法に則って、ヘブライ語で朗読しなければならない。2000年以上の前のヘブライ語テキストには母音記号も記されていない、いわば白文である。朗読ばかりではない。その後で、読んだの箇所の内容を踏まえて、自分なりの意見を会衆の前で述べなければならない。つまり説教をするのである。

 無事にこの任務を果たしてのち、男の子は正式にユダヤ社会の1人前のメンバーとして迎え入れられる。これ以後は、ユダヤ教の礼拝に必要なミニヤン(成人メンバー最低10名以上で構成)に参加する資格を得るのである。

 別途、女子は12歳になると、バット・ミツバ(戒律を守る娘)という儀式を行なう。

 キリスト教社会には、ユダヤ教のような成人式はない。強いていえば、洗礼式であろう。だが、これは特定の年令に達したら自動的に洗礼式を受けるというものではない。キリストへの帰依を自覚し告白して初めて受ける儀式である。その点で、何歳になれば全員が一斉に洗礼を受けるというものではない。

 イスラム社会では、イスラム教徒の通過儀礼として、割礼を受ける。しかし彼等の割礼はイスラム教徒としてのシンボルであって、必ずしも成年に達したことの儀礼ではない。割礼を受ける時期は、4〜5歳から12歳前後までなど地域によって異なり、必ずしもイスラム教全体で統一した規定はない。

 

[ 成人の日 ]

 

 ところで、わが国には「成人の日」という不可解な祝日がある。それも国をあげて一斉に成人式を祝う。

 筆者は、イスラエルで4年、アメリカで7年を過ごし、ユダヤ人、アラブ人、アメリカ人、中国人、韓国人などに数多くの外国の友人を持っている。だが、筆者の寡聞のせいか、それとも不勉強のせいか、日本以外に国家として成人の日を制定している国を、筆者は知らない。

 しかも、その成人の日がこのところ不調・不人気になってきている。

 いったい成人の日とは何か。いつから始まったのか。あれこれ調べているうちに、インターネット上で、3年前(平成13年9月)に京都市がまとめた「市民みんなで祝う成人の日の意義・在り方について」という報告書を見つけた。これは低迷する成人の日式典を活性化させようと狙って、当時の京都市長が諮問委員を招き、提言報告させたものである。

 報告書を読んで、成人の日の不人気ぶりの疑問がいちどに氷解した。戦後、政府が一方的に上から押し付けた官製祝日だったのである。ご参考までに、報告書の一部を紹介しよう。

 

[ 成人の日の背景と制定過程 ]

 

   成人式とは、『一人前』の男女になったことを社会的に認知する儀礼で古代から行  われており、中世以降、 男子は「元服」や「加冠」等と称して15歳頃に、女子は   「成女式」「髪上げ」等と称して13歳頃にそれぞれ行っていたといわれている。そ  の後、明治時代になり、明治9年、太政官布告により、成人は20歳と定められたが、  儀礼は各地域で 個別に行われていたといわれている。

   戦後の昭和21年11月22日、埼玉県蕨町(現蕨市)で、敗戦による虚脱感の中で、次  代を担う青年達に希望を持たせ励ますという趣旨で、「成年式」が開催された。これ  が、日本で最初の成人式といわれるものである。これらを受けて、昭和23年7月20日  に施行された「国民の祝日に関する法律」の中で、1月15日が成人の日として定めら  れ、その後、文部事務次官から2回にわたって通達が出された。1)昭和24年:成人の  日の趣旨を徹底するため、適当な行事を実施するべき旨の通達。2)昭和32年:行事  は厳粛で温かみのあるものを。主催は市町村及び教育委員会で、その他の機関・団体  が加わるのが望ましい。会場は、効果的に実施できる施設、たとえば学校や公民館等  で実施するのが望ましい旨の通達。これらの通達に基づき、各自治体で成人式を開催  するようになった。 

 

[ 押し付け成人の日 ]

 

 そういえば、成人の日の儀式は、すべて政府が市町村に押し付けて、実施させている。

 文部省が、国旗掲揚や君が代斉唱を学校に強要して来たことが、日本中の多数の教師の反発を招いた。それが結果的には、国民全体の日の丸離れや君が代無視を蔓延させてしまった。これと同じ事情が、成人の日不振の背景にはあったわけである。

 そもそも政府命令の仕事で「温かみのある」仕事など過去に何があっただろうか。最初から、「趣旨を徹底」させようという。権力を笠に着た押し付けがましさばかりが目立っている。これでは、成人の日にかぎらず、何事も嫌われるのは当然である。

 成人の日に関する官庁的押し付けがましさは、「国民の祝日に関する法律」の成人の日に関する規定に最もよく表れている。成人の日とは「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます」日と定義されている。満20歳になった者たちに対して、一方では、「おとなになったことを自覚せよ」「みずから生き抜こうとせよ」とお説教しながら、他方では「祝いはげまそう」というのである。

 お説教しながら、それでもって祝おうというのは、筋違いも甚だしい。

 祝うということは、物事を達成したことを祝うのである。それなのに、お前はまだ大人の自覚が足りないとか、自分で生き抜く決意を固めよとか、お説教することは祝福ではない。こういう矛盾した態度で成人式を挙行しようとするから、成人の日が空虚になるのである。というよりも、成人の日という制度は、最初から形骸化していたのである。

 

[ 本来の成年式 ]

 

 元服は、旧暦1月15日の松の内、しかも立春とかさなり、人生の出発にでめでたいということで、1月15日に元服が行われていた。しかし元服や加冠などは、もともと武士や貴族階級での儀式であって、それは日本の民衆全体の成人確認の行事ではなかった。

 明治時代になると、徴兵制が敷かれ、男子は満20歳になると全員徴兵検査を受けるようになった。明治9年の太政官布告による成年の確認は、徴兵制の強化が目的であった。その後、徴兵検査がいわば国民的な成人儀礼となっていたのである。

 さて、第2次大戦後、徴兵制が廃止されるにおよんで、国民的な成人確認儀礼が消失した。その空白を埋めるべく考案されたのが、成人の日だったのである。

 ところで、戦前の徴兵制度や武家社会の元服と、あるいはユダヤのバル・ミツバと、現在の成人の日とでは、大きな違いがある。それは、何か。

 徴兵検査も、元服も、バル・ミツバも、いずれも社会の成員としての義務を確認する儀式だという点である。同時に、その義務を遂行できる能力の実証が要求されていた。不適格者には成人資格を認めなかった。

 戦前までの日本各地のムラ社会でも、成年式はムラの義務遂行能力がある者への儀式であった。

 成人メンバーとして認めるために、ムラでは独自の資格試験を行なっていた。農村であれば、田打ち、田植え、草刈りなどについて成人が1日でなすべき仕事量が決まっていて、それをこなせる能力をムラの衆の前で実証してはじめて、若者にも共同作業や利益配分に参加を認めた。

 自立できる能力を実証した者を成人と認めたのである。ムラの成年式は、成年としての自覚や自立しようとする覚悟を促すものではなかった。成年として自立できる能力のある者を祝う儀式であった。

 戦後の成人の日の式典は、成年が姿を消し、まだ能力も不十分な青二才の青年ばかりの集会になった。

 

[ 成人式の条件 ]

 

 成人式を有意義なものとするためには、こうした日本古来の伝統にもう一度立ち返る必要がある。

 則ち、成人式を迎える前に、あるいは成人式参加希望者には、各自に社会のために何ができるか、その能力の実証試験を課すことである。田植え、草刈りがない都会では、道路のゴミの収集、路上の放置自転車の整理整頓でもいい。高齢者や身体障害者の介護でもいい。夜回りパトロールでもいい。もちろん、毎週の生ゴミや資源ゴミの回収でもいい。暴走族経験のある若者には、1日警察官を体験させてもいい。そういう作業に一定期間参加し、公共のために役立つ能力と役立てようという意思を表明できた者であることを、成人式参加の条件とすればいい。

 成人式というのは、本来、そうした共同体による能力選抜認定試験だったのである。少なくとも、そうした能力を認定し、各自の公共能力認定証を授与するぐらいのことをしてもいいのではないか。

 

[ 便乗する商業主義 ]

 

 ちなみに、京都の報告書には、もう1つ本来の成年式の考えにはない思想が含まれていた。同報告書は、「市民みんなで祝う成人の日の意義・在り方について、伝統的な日本文化の振興や、伝統産業をはじめとする京都経済の活性化も含めた幅広い観点に立って、検討を行った」と述べている。

 そして、「市民みんなで成人の日を祝う気運づくりとして、経済界、たとえば商店街や百貨店・ホテル、また和装業界・理美容業界などの各種業界団体で、新成人を祝うためのイベントなどで賑わいをつくり、京都経済の活性化を図る」とまで明記していた。

 ここに至って、「日本的」成人の日の不純さがいっきに露呈してくる。純粋な気持ちで新しい成年を祝うのではなく、式典に便乗して商業拡大を図ろうというのである。    もし成人・成年式を地域経済の活性化につなぎたいのであれば、1年に1度だけ一過性の式典をするよりも、昔の元服のように地域の暦に応じて、もしくはユダヤのバル・ミツバのように各自の誕生日に応じて、成人を祝うほうがいい。

 いずれにせよ、個人の成年到達を、国家の命令や自治体の音頭で祝おうとするから、無理がある。

 

[ 子ども扱いをする成人式 ]

 

 国民全体で祝典を実施するというのであれば、正月や盆のように、国民生活全体に根ざした伝統であることが第一条件である。

 そればかりではない。現行の成人式は、どこでも、機械的に「満20歳になったので、はい成人おめでとう」というやり方だ。つまり、成人の日の式典の対象者を、はじめから成年としても、成人としても扱おうとはしていない。

 文部省次官通達は、「市町村及び教育委員会」の主催で行えと明言している。どの自治体のホームページを見ても、教育委員会、生涯学習課、社会教育課、子ども青少年課の主催になっている。要するに、子ども扱いなのである。京都市の報告書にあるように、成人の日の式典を通じて、「社会人としての役割を認識させ」ようとする。 

 しかし、税務課や年金課、警察や消防などが共同主催に名を連ねている成人式などは見たこともない。たしかに義務と能力が伴わない20歳は、肉体的には成熟していても、精神は単純に子供のままである。そういう者に対して、「今日から君たちは大人だ。さあ、酒もたばこも飲んで宜しい」というのでは、不都合が出てくるのもやむを得まい。

 むしろ、「今日から君たちは大人だ。全ての社会的責任を自分で負う。税金、国民年金も君たち自身で払うのだ。君たちが望む社会をつくるために、君たち自身が政治にも参加し、代表も選ぶのだ。また犯罪を犯せば、君たち自身が裁かれるようになる。これらの点をよく自覚し、より良い社会を築いてほしい」と激励すべきである。

 

[ ユダヤ人と成人式 ]

 

 ユダヤ人の成人式「バル・ミツバ」は、上述の通り、男13歳、女12歳で迎える。筆者の友人ハイム・ベルコビッチは彼のバル・ミツバを回顧して、次のように述べている。

 「バル・ミツバのために、私の親は私をユダヤ教会のラビのもとに通わせた。幾週間にもわたって聖書を学び、作法を覚えるのは苦労であった。だが、準備のために聖書の読み方を覚え、作法をならうに従って、私には自分がユダヤ人であるという自覚が湧いてきた。だが、バル・ミツバの経験して、ユダヤの世界をより深く知るようになったのは、ずっとずっと後年になってからのことであった」と。

 バル・ミツバの式での説教に関して、別の友人ヨセフの話は面白かった。

 「ぼくはバル・ミツバを控えて、どのような説教をすればいいのか悩んでいた。するとラビが助言をしてくれた。『いいかい、君が説教しなければならない聖書の箇所に関して、もし映画監督のスピルバーグが君の立場だったら、どのようなことを話すか想像したまえ』と。そこから、ぼくにもアイデアが湧いた」。

 12歳でバット・ミツバ(女子の成人式)を迎えたアリスは、その時の感動をつぎのように語っている。

 「ユダヤ教会の会堂の中央の台の前に立った時、わたしはもう引き返せないのだと観念しました。そして、つぎに声を出して聖書を朗読しはじめた瞬間、ああ、わたしは神の前で聖書を読んでいるのだという実感をしたのです。少女のわたしでもイスラエルの民のひとりだと悟ったのです」と。

 しかしながら、ユダヤ人の社会では13歳にならなければ一人前に扱わないというのではない。タルムードはいう、「たとえ幼児といえども、自分で祈祷布に身を包む作法を知っているならば、戒律を遵守しなければならない」と。

 社会の掟や作法を知っており、なおかつそれらを実践できるのであれば、たとえ13歳未満の少年であっても、一人前に遇しようとする。そこには人間の力量と尊厳への尊敬が払われている。

 筆者の恩師ラビ・アブラハム・ヨシュア・へシェルは、ユダヤ教ハシディズム派の名門の宗家の出身であった。彼の父が亡くなったとき、門弟たちは、既にバル・ミツバを済ませているヘシェルの兄、長男のヤコブをではなく、次男でまだ少年のヘシェルを自分たちの指導者に仰ぎたいと申し出た。

 年令による長幼の序も大切である。しかし、それにまさって大切なのは、精神の成熟と知性の聡明さなのである。

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( 本稿は仏教系の月刊誌『大法輪』2006年6月号に「あなたは成人の日をどう考えますか」という題で掲載された)  to the front page