第4回ヘブライ大学同窓会講演(2005/3/3)
テルと年代測定
欧米諸国の宗教の大半はキリスト教で、その故郷はパレスチナにあった。またその発祥はメソポタミアやエジプトで、ユダヤ教から生じたキリスト教もその影響を多分に受けていた。19世紀後半から歴史文明の研究も盛んに進められてきたが、それ以前からユダヤ教との対立等から、神学論争が中心となり、三位一体論等で皇帝は権威を保持していた。皇帝やキリスト教に対する民衆の不満は、徐々に高まっていた。そんな状況でダーウィンの進化論「人間は猿が進化したもの」は、キリスト教の根底を揺るがすものであった。脱キリスト教が広がるなかで、近代考古学が聖書を裏付けるものを立証し初めたのである。例えば、ノアの箱舟の大洪水の実証、聖書に描かれている物語や中東の町々の名が、粘土板の解読や発掘から証明されたのである。
さて、中東地帯の古代の町や村は、今でも地中に眠っている小高い丘が無数にある。それをヘブライ語では「テル」という。
古代の人が洞穴から出て集団で住む際、小高い地で近くに泉や川があるところを選んだ。外敵のため石を積み塀を巡らせたが、人口や建物が増えるとそれが城壁となり、村から町・都市国家に発展した。立地条件が良ければ外敵の進入も多く度々破壊された。破壊された際、土台まで掘り起こすことはせずその上にまた建てることが多かった。
日本のように木材が多くないので、建造物等は石を積み重ねた。生活していればゴミ処理が問題となる。ゴミは城壁の外に捨てるか、庭に穴を掘るか、一階をゴミ収納庫にして二階に住むだ。外敵に壊されては建てまたそれを繰り返していくうちに何千年もすれば自然とより高い丘になる。これがテルである。
トロイの木馬で滅びたトロイアの遺跡は人々が町を復興しなかったようだ。発掘したシュリーマンは子供の頃読んだ叙情詩があまりにもリアルに描かれていたので絶対にこれらの物語は地中に秘められていると信じ、ほとんど自然に近い状況になっていた丘を調査・発掘・発見したのである。
また、現在もその遺跡の上に町が存続しているのは、エルサレムである。自然層から現在地まで深いところでは約20メートルもある。この間約五千年の歴史、複雑な幾重にも重なる層が秘められているのだ。現代考古学ではテルを中心に航空写真を撮り碁盤の目のように区分けして、ある時は隅の方でブルドーザーでトレンチを掘り層を定め、宮殿、城門、墓等の位置を予測しながら発掘調査が始まるのである。
パレスチナのテルの発掘作業とは非常に地味で淡々としたものである。エジプトのように巨大なピラミットや王家の墓のようなものはなく、古代エジプトとメソポタミアの帝国の狭間で両国の『橋渡し』のような場所で、常に双方に叩きのめされた地帯であった。
例えば、一番重要なエルサレムは三大宗教の中心地で、現状はイスラム教のモスクが神殿の上にあった。限られた地、密集した住居、その発掘関心は高まる。一度掘り起こせば二度と掘り起こせない発掘作業、例え、その発掘隊が求める時代でなくても、より緻密で正確に科学的なデータが求められてきた。
さて、年代測定には放射性炭素(C14)が約5700年前から半減していく測定方法があるが、まだ年代が浅いもの2、3千年前の年代は測定しにくいのが現状である。そこで、出土の多い土器等の変化から層位的な上下関係で決める層位形式学が重要となった。その層の中に文字や王名が発見される絶対年代学等が重要なキー・ポイントとなる。
例えば、古代エジプトの王朝年代順はかなり正確に碑文として現存しているが、他の場所でそれらの碑文が見つかること、それは希である。だが、地中海周辺の各文明・文化を結びつける出土品が奇蹟的に、エジプトのテル・エル・アマルナの遺跡で発掘された。エジプトのアマルナ文化のアメンホテップ。−「(BC1410〜BC1340)、ギリシャのミケーネ文化(Myc.。A)、カナン文化(LBA)時代が同じ層で発見されたのである。この結果、この時代前後の各層が、他のテルの層との関連して大きな影響をおよぼした。層位形式学が発展すれば、各地のテル及び各層から出土された発掘品はそれぞれの地域的な特異性や時代に流行があった。それらが流通すると、土器の形・土質・色・模様等が他の地域の層と結びついて年代測定に役立つのである。
ユダヤ人が国を建設して世界中から非難もされているが、彼らが真剣に自分たちの国を科学的に発掘・調査していくことは三大宗教の国々にとって非常に重要なことである。
(註:この一文は、中村氏の諒解を得て、ヘブライ大学同窓会ホームページ上に収録しました。 手島)